第4話 ORDEAL OF SEA


陸仙人に嵌められ、零ノ国にあった『サイワープ』のようなゲートに落下した李空。

その先には別のゲート、更にその先には別のゲートと、それは対象者を連鎖的に遠くへ運ぶ仕組みとなっており、李空の体は気づくとにあった。


(っ!これは・・・)


陸仙人の家から唐突に水中に飛ばされた李空だったが、パニックに陥ったのは、よほどの玄人相手でなければ隙にすらならない、刹那の時間であった。


これも『陸ノ試練』の成果か。

インプットした情報を元に導き出された解によると、どうやらここは、余裕で足のつく浅瀬のようであった。


「ここは・・・」


立ち上がり、辺りを見渡す李空。

膝より少し上にあたる水位のそこはどうやら洞窟の中のようで、ゲートは天井部に繋がっていたらしい。


近くに人はいないものかと耳を澄ますと、洞窟の奥から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「いやー、今日も敵わんかったっぺ。やっぱり師匠は次元が違うっぺな」

「だべだべ。魚の方から寄ってきてるみたいだっぺ」

「んだな。真似しようがない神業だべ」


声の方向には三つの人影があり、内二つの正体は、『TEENAGE STRUGGLE』陸ノ国戦で活躍を見せた、海千兄弟であった。


声が極端に小さい弟の盾昌もどうやら『サイカクセイキ』を身につけているようで、兄の矛道とべちゃくちゃ言葉のドッチボールをしている。


して、そんな二人を率いるように中央に構える、もう一つの人影。

麦わら帽子を被り、いかにも釣り人といった風貌の翁が、視界に李空の姿を捉えた。


「ん?お主だれじゃ?」


その声で李空の存在に気づいた海千兄弟が、崩壊したダムのように言葉の濁流を李空に浴びせる。


「あ!李空だっぺな!何でこんなとこにいるっぺ!?」

「本当だっぺな!全身びしょびしょだべ。何があったぺな?」

「そういえば『TEENAGE STRUGGLE』はどうなったっぺ?」

「李空も釣りに来たっぺか?この辺だとポイントは───」

「『陸ノ試練』を終えて来たんですけど」


返事を聞く気がない海千兄弟の言葉の荒波を掻い潜り、李空は翁に問いかけた。


「ほう。もう『陸ノ試練』をクリアしたのか・・」


翁は李空の足元から頭までを値踏みするように順に眺め、ふむふむと頷いた。


「なに。ここで立ち話もあれじゃ。時間も遅いし、まずは宿に戻るとするかの」


「ついて来い」と歩き出す翁に、李空は慌てて後に続く。

その左右を、海千兄弟がぴったりと挟んだ。


「お客さんが来たということは、今日は宴会だっぺな!」

「海の恵みに感謝してどんちゃん騒ぎだべ!今日釣った魚たちも───」

「・・はあ。この感じだと、今日は寝れないかもしれないな・・・」


「だべだっぺな攻撃」による持続型精神ダメージを受けながら。

疲れ切った体を引きずって、李空は翁がいう宿を目指して歩き出した。




翁の案内により、海千兄弟と共に李空がやって来たのは、海が一望できる崖上に建てられた2階建ての家であった。


「ふー」


広間に通された李空は、『陸ノ試練』にて蓄積された疲労を取り除くべく、脚を伸ばしてくつろいでいた。


「李空、知ってるっぺな?海にいる生物の内、人間が観測できているのはたったの5%。つまり残りの95%は未知なんだっぺな」

「海はロマンに溢れてるというわけだべなー」

「はあ。そうですか」


そこに海千兄弟があれやこれやと言葉の弾丸を打ち込んでくるが、李空はそれをのらりくらりと躱す。


「できましたよ。お腹空いてるでしょう」

「おー!」


そこに翁の女房であろうお婆さんが姿を見せ、名前までは分からないが随分と立派な魚の活け造りを運んできてくれた。

目の前の机に置かれたそれに、空腹の李空は目を輝かせる。


「待ってましたっぺな!」

「海に感謝だべ!」


海千兄弟も意気揚々と箸を掲げ、そのまま活け造りへと伸ばした。


「いい食べっぷりじゃの!」


がっつく若者たちを見て満足げに頷いては、翁も箸を持つ。


「まだまだありますよ」


そこにまたしてもお婆さんがやってきて、今度は魚の煮付けを置いていった。


して、それが繰り返されること、実に10往復。

机の上には順調に皿が増えていき、それに合わせて李空の顔も苦しくなっていく。


皿が机の上に載らなくなった頃。

料理の減りが悪くなったことを確認した翁が、口を開いた。


「どうした?箸が止まっておるぞい。若者が遠慮をするでない!」

「いや、流石に多すぎますよ・・・」

「何を言っとるんだ。情けないのう」


もう食べれないと降伏を示すように手を上げる李空を眺め、翁はやれやれと首を振る。


「おでたちはまだいけるっぺな・・・」

「だべだべ。まだ腹八分だっぺ・・・」


口を揃えてそんなことを言っているが、海千兄弟の顔も限界が近いことを示していた。


「まあ良いわい。後はわしが片付けるかの」


そう言うや否や、翁は凄い勢いで残った料理を胃袋の中へと放り込み始めた。

そのスピードは凄まじく、まるで掃除機で吸い込んでいるかのようである。


「出たっぺな!師匠の早食い芸!」

「吸引力の変わらない、ただ一つの翁だっぺ!」

「ちょっと馬鹿にしてません?」

「・・・ふう。完食じゃ」


海千兄弟の掛け声に李空がツッコミを入れている間に、翁はまだ全体の半分ほど残っていた料理たちを、一瞬の内に飲み込んでしまった。


「さて、私もそろそろご飯に・・・」


そこに、配膳を終え、食べ終わった食器を戻していたお婆さんが合流。

自分が食べる分がもう残っていないことを認識し、ジロリと翁の方を睨む。


全てを察した翁の額に、ダラダラと冷や汗が流れ始めた。


「か、堪忍じゃああぁ!!!」


翁は全身全霊を込めた、この上なく綺麗な土下座を披露した。



「さて、次なる試練。『海ノ試練』について、軽く話しておくかの」


豪勢な晩御飯を食べ終え、翁が改まって語り出す。


ちなみに、お婆さんは冷蔵庫の残り物で晩御飯を済ませていた。

お婆さんの分を考慮せずに全てを平らげてしまった翁に対するお婆さんの態度が、他の人と比べて明らかに冷たくなったことは、言うまでもないだろう。


ちなみにちなみに、食器の片付けは海千兄弟と李空で協力して行った。

性格の違いはあれど、礼儀の正しさは3人の共通事項である。


その時に『TEENAGE STRUGGLE』の決勝進出が決まったことを李空が報告すると、称賛とだべだっぺの雨嵐に巻き込まれた。


その後一方的に聞かされた海千兄弟の話によると、今話している翁は二人の釣りの師匠であり、よく一緒に海に行く仲らしい。

今日は洞窟の珍魚を狙っており、李空と出会ったのはその帰りであったそうだ。


「その前に自己紹介じゃの。わしは三仙人が一人。海仙人である。主のことは剛堂や海千たちから聞いておる。して、わしが担当する試練こそが『海ノ試練』。陸の仙人から基本の3ステップについては聞いたかの?」

「はい」


海仙人の問いかけに、李空は頷く。


それというのは、サイストラグルの基本手順『インプット・プロセッシング・アウトプット』のことである。


思い出される陸仙人の問題ある言動の数々。


残りの仙人も陸仙人のような変人だったらどうしようかと心配していた李空であったが、海仙人は少なからず陸仙人よりはまともな人間のようだ。


「『海ノ試練』で主に鍛えられるのは、3ステップでいうところの『プロセッシング』である。インプットした情報を、正確にかつ迅速に処理及び加工する訓練と思ってくれ」

「なるほど・・・」


海仙人の話を頭に入れるように頷く李空。

それを眺め、海仙人も「ふむ」と頷いた。


「今日は遅いし詳細は明日話すことにするかの。二階の部屋が空いとるから、主はそこを使うといい・・・・ひぇ!」

「どうしました!?」


突然奇声をあげる海仙人に、驚き半分心配半分といった様子で李空が問いかける。


「か、じゃああぁ!!!」


そう言い残して、海仙人は広間の外へと飛び出していった。

その光景を、李空は呆然とした様子で眺める。


「心配することないっぺな。師匠がいう『還元』は、いわゆる『排便』のことだべ」

「師匠の胃は処理が速すぎて、食後すぐに催すんだっぺな」


きっと、いつものことなのであろう。

海千兄弟が何気ない調子で解説を加える。


「なんて不便な体なんだ・・・」

「あ、大便だけにだっぺ?」

「李空もそういうの好きなんだっぺな」

「いや、今のは事故というか何というか・・・・・」


ニマニマとこちらを見てくる兄弟に、遅れて恥ずかしさが込み上がってくる。


「今日はもう寝ます!」


思わぬ巻き込み事故に顔を赤らめ、李空は逃げるように広間を後にした。




───翌日。


李空はまだ朝日も昇らぬ早朝に海仙人によって叩き起こされ、昨日と同じ洞窟へと続く道を歩いていた。


「何が何でも早すぎませんか?」

「漁師と老人は朝が早いと相場が決まっとるんじゃ。・・って、誰がジジイじゃ!」

「いや、自分で言ってるじゃないですか・・・」


そんな会話を交わしている内に、李空と海仙人は洞窟へと到着した。

ちなみに、李空が起きた時には海千兄弟の姿は既になく、海仙人曰く今日がアツい別のポイントへと釣りに向かったらしい。


「昨日は気づかなかったですけど、この洞窟随分と広いですね」

「そうじゃの。正に海の力強さを物語る出で立ちじゃ」


洞窟には海の水が通っており、李空と海仙人はその端にできた砂利の路を通って、奥の方へと進んでいく。


時間にして10分ほど歩いただろうか。今まで細道であった洞窟は突如姿を変え、円状に開けた場所へと出た。


そこが海水の終着点となっているようで、湖のような水溜りができている。

それなりに広く、外と違って波一つない。静かな場所であった。


「さて、ここが『海ノ試練』の会場じゃ。主には、ここの底に生息する『カラ貝』と呼ばれる貝を捕獲してもらう」

「貝、ですか?」

「ああ。といっても、勿論只の貝ではないぞ。この貝は名前の通り人をからかっとるような貝での。通常は口を固く閉ざしており、開くには正しい手順を踏まねばならん。更に、その手順は貝によってバラバラじゃ」

「つまり、インプットした情報を、貝に合わせてプロセッシングしなければいけないわけですね」

「その通りじゃ。話が早くて助かるわい」


理解が早い李空に、海仙人は感心したように頷いた。


「『海ノ試練』の大きな目的はプロセッシングの質を上げることじゃが、潜るという行為自体が体力の向上にも繋がる。言い忘れとったが、通常状態のカラ貝は地面とよう引っ付いとる。つまり、処理は水中で行う必要があるわけじゃ」


水中という人間にはアウェイの環境でも、繊細な処理を施せるほどにプロセッシングの質を向上させることが、この試練の目的というわけだ。


「ちなみに、カラ貝の処理手順の一手目から最後の一手までに掛けることができる時間は決まっておる。その時間は個体によって変わるが、平均1分といったところかの。それから、カラ貝は底に何匹も生息しとるはずじゃから心配はいらんが、一度失敗すると3日は何があっても口を開かん。まるで怒った女房のようじゃの」

「嫌な例えですね・・・」


経験が滲み出た例えに、李空は苦笑を浮かべて返す。

海仙人も苦く笑って言葉を続けた。


「『海ノ試練』は少々地味に感じるかもしれんが、見た目と違って難易度は高い。焦らず、気長にやるんじゃぞ。それじゃあ、わしは海千たちと合流することにする。修行、頑張るんじゃぞ」

「はい。頑張ります」


踵を返す海仙人を見送り、李空はカラ貝が眠る海水の溜まり場の方を向き直す。


水面から確認できる色は、青と黒の二色。

そのことから、カラ貝が生息する底は相当に深い位置であることが判る。


「また一人か・・・」


李空は孤独に少しの寂しさを感じながらも、全貌の見えない黒。


底を目指して飛び込んだ。




一方、こちらはイチノクニ学院から少しだけ離れた場所にある、とある屋敷。

そこというのは堀川家の敷地であり、詰まるところ、堀川美波の家であった。


「すみません。ご飯までご馳走になって」

「全然だよ!口に合うか分からないけど、遠慮せずに食べてね!」


そこで食卓を囲むのは、京夜と美波の二人。


事務所の地下をみちるに譲った京夜は、新技の開発にうってつけの場所を探していた。

京夜はイチノクニ学院側に正式な才の登録を行っておらず、クラスは「玄」であるため、学院の施設を利用するのは憚られる。


そこで名乗りを上げたのが、美波だった。


美波の家の敷地は広く、庭には使用されていない蔵がある。

その蔵は小さめの体育館ほどのサイズであり、丈夫な造りで衝撃に強く、特に何かを収納しているわけでもないため、新技の開発にはもってこいであった。


そして何より、美波にとっては想い人の京夜と近づくチャンスである。


しかし、「開発に集中するため」という名目の元、家に泊まってもらうことには成功したものの、今日まで進展と呼べるような出来事は何もなかった。


というのも、京夜は飯時くらいしか顔を出さず、それ以外は蔵に籠りっきりなのだ。

それが目的なのだから仕方がないと自分に言い聞かせ、美波はこうして少ないチャンスである飯時に手料理を振舞い、控えめなアピールをするのだった。


「新技の方は順調?」

「苦戦中ですね」

「そっか・・私にできることがあったら何でも言ってね。闘えない私にできることは限られてるから・・・」


少しだけ曇った笑顔を向ける美波の言葉に、京夜は何やら考え込む。


「そんなことないですよ」

「え?」

「確かに美波さんは闘えないかもしれませんけど、俺たちが闘えるのは美波さんたちがいるからです」

「京夜くん・・・」


京夜の言葉に、美波は俯く。

それは感情の溢れを抑えるための行動であったが、疎い京夜はその様子を心配そうに見つめていた。


「すみません。俺、また変なこと言いましたか?」

「ううん。ありがとうね」


負の感情を正の感情で上書きし、凪となった自然な笑みで、美波が返す。

その反応に、京夜はホッとしたように胸を撫で下ろした。


それから、話の舵を切るように美波が話題を変える。


「そういえば、あの寝袋でちゃんと寝れてる?お父さんが昔使ってた部屋が余ってるから、そこを使っても良いんだよ」

「今のところは時間が惜しいので大丈夫です。そういえば、ご両親はいつ頃帰ってくるんですか?泊まらせて貰ってるからには、挨拶しておかないと」

「両親に挨拶!?」


それ以上の意味がないことを頭では理解していても、その響きに美波は思わず反応してしまう。

煩悩を取り払うように首を振り、気を取り直して会話を続ける。


「えーと、今は旅行中で帰ってくるのは来週の予定だから、多分すれ違うになっちゃうかな」

「そうですか・・」


お決まりのフラグをしっかりと設置する美波。


そう、予定とはあくまで予定。

確定事項ではなく、ある意味では未定と同義であるのだ。


「ただいまー!」

「今帰ったぞ!愛する娘よー!」


見計らったようなタイミングで、屋敷の玄関から、旅行の余韻が残ったテンションの高い男女の声が響いた。


「え!なんで!?」


帰ってこないはずの両親の声を聞き、美波はパニックに陥る。


「どーしよ!?えーと・・・そうだ!隠れよう!!」

「え?」


事情があったとはいえ、両親の留守中に男を家に招き入れたのは事実。

それがバレれば、厄介な誤解を招く恐れがある。


となれば、見つかるわけにはいかない。

隠れるには移動。移動といえば『ウォードライビング』という思考の元、美波は才を発動し、生まれた光の球体の中に京夜を詰めた。


操縦士として自分も乗り込み、移動の準備を進める。


「座標になりそうなのは・・・・」


段々と近づく両親の足音に焦りを感じながら、近くに才の反応はないかと検索をかける。


「・・これしかない!」


唯一見つかった反応を座標にセットして、光の球体は移動を開始。

二人の身体はその場から消えた。


「美波たんに会えないのが寂しくて、早めに帰って来たよー!・・って、なんだ居ないのか・・・」


それとすれ違うようにして、美波の父と思われる人物が部屋へやってきた。


「お父さん。その呼び方は止めてと美波も言ってたでしょ」


その後ろに、美波の母親も続く。


「と、言われてもだな。美波の可愛さを正確に表現するには、これでも足りないくらいなんだぞ!」

「それには全面的に肯定ですけど、美波も思春期ですから。その内、彼氏なんかも紹介されるかもしれませんよ」

「彼氏だと!?そんな輩が現れたら、縛り首の刑だな」


ガハハ、と豪快に笑う美波の父親。

「程々にしてくださいよ」と、母親の方も満更でない様子だ。


このような言動から判るように、美波の両親はいわゆる親バカであった。


さて、肝心の愛娘。

美波は今どこに居るのかという話だが。


(なんでこうなったの!?京夜くんが近い!身体が熱い!!体温がおかしくなってる!?)


部屋に備え付けれた押入れの中であった。


唯一見つかった才の反応は、この押入れの中から。

以前購入した『サイポイント』の余りがここに収納されていたのだ。


その広さは、精々小さな子どもがかくれんぼに使用する程度のもので。

美波と京夜の二人にとっては、少々狭いスペースであった。


縦に細長い押入れに、二人は向かい合った状態で身を潜める。


「美波さん、その・・・」


すぐそこにいる美波の両親に聞こえないように声を潜めて、京夜が何やら言いにくそうに声をかける。

その態度、僅かに光が入ってくる環境、それから京夜の視線により、美波は一つの事実を知る。


「きゃああ!!」


その堪え難い真実に、美波は思わず声を上げてしまった。


「美波!?」

「美波たん!!」


それに気づいた両親は押入れの戸を開き、中にあった光景を見て、表情を一瞬の内に3度変化させた。


それというのは呆然、驚愕、それから怒りであった。


「君。覚悟はいいね」


静かな怒りを滲ませた声色で、美波の父親は京夜に死刑を宣告する。

母親も仕方がないといった様子で目を瞑った。


「ち、違うの!これには深い事情が・・・」


慌てて京夜の無実を訴える美波。


しかし、その声に説得力はない。

何故なら、彼女は下着姿であったからだ。


軽いパニック状態だった美波は、才の発動時にミスを犯した。


美波の『ウォードライビング』は、下着までは無意識で移動するが、それ以上は意識的に運ばねばならない仕様である。

最近は仕様頻度が高いためそのようなヘマをすることはなかったのだが、久しぶりの発動時や慌てて発動した場合には、よくするミスであった。


「問答無用!」


聞く耳を持たない美波の父親は、京夜を敵として認識し、襲いかかる。


「なんでこんなことに・・・・・」


新技の開発のため堀川家を訪れたはずの京夜。


彼のもまた、困難を極めるのであった。




───こちらは海仙人の家。


「なんじゃ。もう出たのか」


時刻は早朝。

貸し与えた部屋に李空の姿は無く、おそらくは既に『海ノ試練』に向かったと推測できた。


「今日中にはクリアするかもしれんのう」


誰も居ない部屋の前で海仙人は呟く。


『海ノ試練』開始から数えて3日目となる今日。

昨日の晩の段階で、李空は「コツを掴みつつある」と語っていた。


それに合わせてこのやる気。

カラ貝の捕獲も時間の問題と思われた。


その時。


「海仙人!」


興奮気味の李空の声が、玄関から響いた。

それに合わせて、2階の海仙人がニヤリと笑みを浮かべる。


ドタバタと足音が近づき、呼吸を乱した李空が海仙人の前に姿を現した。


「これ!中身じゃないですか!!」


その手には例のカラ貝が握られており、口はパッカリと開いていた。

どうやら、李空は無事『海ノ試練』をクリアしたらしい。


「ホッホッホ。実はの、カラ貝の本体はその貝殻なんじゃよ」

「どういうことです?」

「まあ、ついて来い」


海仙人は意味深な言葉を残し、家を出た。

李空も疑問符を浮かべながら後に続く。



行き先は例の洞窟で、その奥の『海ノ試練』会場にて、海仙人はどこからか取り出した釣竿の針に、李空の適切な処理によって柔らかくなったカラ貝の貝殻を仕掛けた。


「その釣竿、才ですか?」

「ああ、わしの才『フィッシング』の能力じゃ」


実に慣れた手つきで、海仙人は仕掛けの準備を進めていく。


「ここには『ヌル』と呼ばれる魚が住み着いておるんじゃが、非常に臆病な性格での。釣り上げるのはわしにも難しいんじゃ」

「はあ」

「そんなヌルの好物こそが、カラ貝の貝殻というわけじゃ。カラ貝の本体は貝殻。すなわち、栄養も全て貝殻に詰まっておるんじゃな。人間が食べても美味いぞ」

「なるほど」

「じゃが、口を開かねばどれだけ鋭利な刃でも噛み砕けんほどに硬い、という厄介な性質の所為で、ヌルはカラ貝を普段は食すことができんのじゃ。食に飢えたヌル。そこに適切な処理を施して柔らかくなったカラ貝を垂らしてやれば・・・」


説明を交えながら、海仙人は釣り糸を垂らす。

暫くすると、釣竿に明確な反応が見えた。


「こんな風に、釣り上げられるというわけじゃ」

「おー!」


李空は素直に感動した。


名前の通り表面がヌルヌルとしている、洞窟の珍魚ヌル。


暗闇の底から釣り上げられた珍魚の皮膚は透明で、水と一体化して消えてしまいそうな儚く幻想的な見た目は、まるで一種の芸術作品のようであった。




「久しぶりに食べたけど美味いっぺなあ!」

「この独特な食感、最高だべ!」


洞窟の珍魚ヌルの切り身を次々と口に運びながら、海千兄弟が感想を語る。


ヌルを釣り上げた海仙人はそのままそれを家へと持ち帰り、それをお婆さんが捌き、こうして朝の食卓に並んだのだ。


李空も箸で摘み、食す。


「・・・うま」


皮膚と同じくヌルヌルとした舌触りでありながら、弾力もあるしっかりとした身。

噛むごとに旨味が溢れ、永遠に噛んでいたい衝動に駆られる。


「どうじゃ?苦労した分、特別旨く感じるじゃろ?」

「そうですね」


李空は頷き、『海ノ試練』の苦労を思い出す。


挑戦の度に深くまで潜らねばならず、『陸ノ試練』と比べて体への負担も大きかった。

肝心の処理も難易度が高く、パターンを把握するだけで長い時間を要した。


それらの苦労が、噛む度に溢れる旨味に上乗せされているような気がして、李空は感傷に浸る。


「やや!わしの分が無くなってしまうではないか!?」


そんな李空の目の前で、主に海千兄弟の箸が進むスピードに慌てた海仙人が、残りの切り身を達人の箸捌きで持ち上げては頬張っていく。

その吸引力を以って、皿は一瞬の内に空になった。


「・・・・・」


それに合わせて、李空の感情も一気に冷めた。

結局李空は、ヌルの切り身を一切れしか口にすることが出来なかったのだった。


「ふう。・・そうじゃ。次の試練じゃが、奥の扉

が会場に繋がっとる。そこから向かうと良い」


広間の奥を指差し、満足した表情の海仙人が李空に語る。


その直後。「む!?」と、海仙人が突然顔をしかめた。


「か、還元じゃああぁ!!!」


脂汗を浮かべた余裕のない顔で、海仙人が広間を飛び出す。


その姿を見送り、李空は溜息を一つ。


「はあ。それじゃあ、俺行きますね」

「海の恵みをありがとうだっぺな」

「最後の試練、頑張るっぺ。決勝戦も観に行くっぺな」


手を振る海千兄弟に見送られ、李空は海仙人が言っていた扉を開く。


そこにあった禍々しいゲートをくぐり、李空は最後の試練への一歩を踏み出した。

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