第八章

『1、真犯人への追及』


「まず、出水氏の治療内容について説明したいと思います」


 俺は根管こんかん治療ちりょうとカルシペックスについて簡単に説明した。出水氏が治療中だった歯の位置についても──


「ちょっと待って。その話、今する必要ある?」


 焦って剣崎刑事はツッコミを入れて来た。


「あります。なぜなら、右下第七大臼歯だいきゅうし根管こんかん治療ちりょうをしたからこそ、この時間差毒殺のトリックは可能だったからです」


ですって──?」


 その場に居た、俺と吉川先生以外の全員が、驚きに目を見開いた。


「時間差毒殺、あるいは遠隔えんかく毒殺と言っても良いでしょう。動機のある人物全員のアリバイを調べるなんて無駄で無意味だったんですよ。犯人は、被害者が亡くなった時、その殺害現場に居る必要は無かったんですから──」


「何を言っているの……?」


 いぶかし気に目をすがめる剣崎刑事に、俺は時間と手間をかけて順序立てて自分の推理すいりを語るしか無いと悟っていた。事態は思いの外、複雑で、そうしなければ理解してもらえないと察していたからだ。


「テトロドキンの致死量ちしりょうは一~二ミリグラムです。少量に思えるでしょうが、致死量のテトロドトキシン二ミリグラムを含んだ溶剤ようざいをターゲットの根管こんかんに仕込むには、大臼歯一本分の根管でも容量が充分かどうか俺には分かりません。でも、歯の表面のエナメルと象牙質ぞうげしつと削っただけでは毒を仕込む事は不可能です。犯人が目的を遂げる為には、歯髄しずい摘出てきしゅつする根管こんかん治療ちりょうは必要不可欠だったんです」


「どういう事なの?」


 剣崎刑事は怪訝けげんな表情を浮かべ、問い詰めるように俺に一歩迫った。


「出水氏のうしょく(むしば)は歯髄にまでは達していませんでした。それは、専門知識のある第三者にレントゲン写真を確認してもらえばハッキリするはずです」


 俺がレントゲン室で見付けたパントマを剣崎刑事に差し出すと、野村女史が横から引っ手繰るようにしてレントゲンフィルムを見る為のシャウカステンにパントマを挟みライトを着けた。


 カチッという音と共に、パノラマエックス線撮影された出水氏の歯槽骨しずいこつと周辺の写真がくっきりとその陰影を現した。


 あっ、と野村女史は軽い叫び声をあげた。


「本当だわ。出水さんの右下第七臼歯は少し欠けているだけよ」


「吉川先生は出水氏に嘘をついて、必要の無い根管治療を施して歯髄を摘出したんです。そして、その不正が露見しないよう、出水氏のレントゲンフィルムを隠したんです」


 俺はレントゲン室でパントマと共に発見したカルシペックスのシリンジを差し出した。


「これが出水氏毒殺に使われた凶器なんじゃありませんか?」


 その瞬間、全員がハッとした様子で吉川先生を見た。


 吉川先生は何の反応も示さない。表情を微塵みじんも変えず、否定するでも逃げ出すでもなく涼しい顔で黙って俺の告発こくはつに身をさらしていた。


 テトロドトキシンとカルシペックスそれぞれの性質……


 物質同士の相性……


 それを、俺は考えていた。


「ちなみに、テトロドトキシンはアルカリ性溶液で分解されてしまうため、強アルカリ性のカルシペックス、つまり水酸化カルシウムに、テトロドトキシンを混入させて毒殺することは不可能です」


 俺は必死に調べた事を、頭の中で整理しながらゆっくりと並べて行った。


「あの日、俺が見た二本目のカルシペックスのシリンジに入っていたのは、水酸化カルシウム溶液ではなかったと考えるのが妥当です。テトロドトキシンを分解しない、別の──アルカリ性ではなく、なおかつ白いゲル状の溶液……たとえばハンドクリームなどではありませんか? テトロドトキシンはペーハー値四~五程度の弱酸性でもっとも安定する性質を持ちますが、肌に優しいハンドクリームも丁度そのくらいの値です。毒殺用のテトロドトキシンを混入させるのに適していると言えるでしょう?」


 おそらく、このシリンジを科学的に調査すれば、内容物はカルシペックスではないと判明し、テトロドトキシンの残滓ざんしも発見されるだろう。それに、これを使用した際に出水氏の唾液だえきも付着しているはずだから、彼のDNAも──


「そうですよね、吉川先生。だから、出水さんの診療の時、レントゲン撮影や麻酔と長時間の診療用バキューム操作が必要な面倒な治療内容だったにも関わらず、俺に受付業務を覚えさせるという口実を設けて助手を付けず、自分一人で処置を行ったんですよね?」


 俺は吉川先生を指差した。


「つまり、犯人はあなたです。吉川先生」


   ◆◆◆

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