『2、三つのdone it』


 翌日──月曜の午後、俺は悶々もんもんとした気持ちを抱えてバイトに向かった。


 挨拶あいさつと共にクリニックのドアを開けると、たまたま吉川先生が受付カウンターにいて、俺は ほわわん としてしまった。


(野村女史も吉川先生の横に並んでいたので、ゲンナリ気分も混じってしまったが……)


 吉川先生、今日も綺麗だ──っ!!


 スラリとした立ち姿はまるで白い百合のようだ。


 白衣の下には、淡い若草色のシンプルなワンピースを着ていて、上品なメイクとまとめ髪にスクエアカットのダイヤのピアスがよく似合っている。相変わらず女優のような華がある。


 しかも、吉川先生は穏やかで優しい。


 こんな美人と付き合える男は幸せだよなぁ。


 いいなぁ、とうっとりしていたら、すかさず野村女史に怒鳴られた。


「ボーッとしないっ! サッサと午後の診療の準備してっ!」


「は、はい、すみませんっ!」


 俺はスタッフルームにけ込み、パーテーションの陰でユニフォームに着替えると、荷物を定位置に置いて、サクッとタイムカードを押し、大急ぎで業務にいた。


 どんな煩悶はんもんがあっても時間は進むし、午後の診療時間になれば予約をしていた患者や飛び込みの患者が次々にやって来る。吉川先生は慌ただしく診療をこなし、野村女史も仕事に関してはさすがにプロフェッショナルで、きびきびと診療介助をこなしていた。


 野村女史……歯科助手としては、たぶん優秀なんだよなぁ。そこは素直に認める。


 決して美人ではないが、いて言えば愛嬌あいきょうのあるタヌキ顔で、外面そとづらを取り繕っているだけにしても、表面的には明るく振舞ふるまえるし、よく喋るし、機嫌が良い時は気さくな態度なので、偽りの仮面かめんだまされて、彼女をしたっている様子の患者もいる。


 しかし、俺はたまたま仕事を教わる立場になり、仕事をマトモに教えてもらえないという虐めを受けてしまったので、野村女史の本性を見てしまった。


 底意地そこいじが悪く、嫉妬深く、陰険いんけんだ。


 怒りのスイッチがどこにあるか分からず、気分が不安定ですぐにキレるし、吉川先生が俺に対するパワハラに気付いていない事からも分かるように、後ろ暗い事=悪事あくじを隠すのが上手い。


 考えれば考えるほど、野村女史への疑惑ぎわくは深く濃くなっていく。


 午後四時半頃──


 少し患者の流れが途切とぎれたので、俺はあくまでもさりげなく野村女史に話しかけてみた。


「あのぉ、野村さんって、出水さんが亡くなった日の夜、何してました?」


「はっ!? 出水さんを失って傷心しょうしんの私によくそんな事聞けるわねっ!!」


「す、すいませんっ」


「家で映画のソフト見ながら、一人でごはん食べてたわよ」


「え? 出掛けたり、誰かと会ったりしなかったんですか?」


「なんでそんな事聞くわけ? 別に、どこにも行かなかったし、誰にも会ってないわよ」


 相変わらず理不尽にキレられたが、犯行時刻の野村女史の行動はアッサリ分かった。


 アリバイは無く、動機はある──


 やっぱり、この人が出水氏を殺害したのだ。


 もはやそうとしか思えない。


 野村女史は吉川歯科クリニックの近所に住んでいるらしい。つまり、うちの近所でもある。


 うちの最寄もより駅から横浜ベイサイドマリーナの最寄駅・鳥浜とりはままでは電車で一時間四十分ほどで行ける。そこからマリーナまでは徒歩十分だ。


 俺たちが剣崎刑事にしたように出水氏の持ち物か、あるいはヨットにGPS発信機を仕掛しかけておけば、その位置情報でだだっ広い海の上でも出水氏の居場所は特定できる。


 モーターボートを使ってヨットを追いかけ、エンジンを切って、どこかで調達ちょうたつしておいたオールを使って近付けば音もしなかったはずだ。


 出水氏が亡くなったのは夜も更けてから。辺りは真っ暗だっただろう。凪砂さんが不審者ふしんしゃの侵入に気付かなかった可能性も充分じゅうぶんにありる。


 出水氏を毒殺した後、モーターボートで港に戻り、始発しはつ電車に乗り込めば、野村女史が吉川歯科クリニックに出勤しゅっきんする時間までには自宅に戻っていられる。


 ちなみに、昨夜のうちに検索して調べておいたのだが、三メートル以内のサイズで二馬力までのモーターボートなら、身分証みぶんしょうさえ提示ていじすれば、免許めんきょ不要ふようで誰でもレンタルできるらしい。


 もちろん野村女史にもだ。


 数日間借りっぱなしのレンタルプランもあるので、一旦ハーバーに停泊ていはくさせておいて、後日──おそらく、俺たちが探偵ぶってあちこち調べまわっていた土日の間に──ボートのレンタルショップが営業している時間に、返却へんきゃくの手続きだけしに行けば乗り捨てにはならない。


 そうして犯行を終え、何食わぬ顔で出勤し、ニュースを見て初めて出水氏の死を知ったような演技をしていたとも考えられる。思い返してみると、出水氏が亡くなったというニュースを俺たちに知らせて来た時の野村女史の反応は大仰おおぎょう過ぎてわざとらしかった……


 うん、怪しい。


 なんたって、野村女史には犯行が可能だ。


 すきを見て、剣崎刑事に横浜ベイサイドマリーナ近郊のモーターボートをレンタルしている店を調べてくれるようメールで頼んでおいた。野村女史がレンタルした記録が見つかれば、きっと有力な証拠になるはずだ。


 ただし、経口けいこう摂取でもなく注射でもなく肛門からの投与でもない方法で、どうやってテトロドトキシンをターゲットの血中に入れられるのか、その方法は依然いぜんとして謎のままだが……


 俺はついに「ホワイダニット=なぜ」と「フーダニット=誰が」が明らかになったと確信していた。犯人は、凪砂さんでなければ、野村女史に違いない。


 最後に残った、たったひとつの謎は「ハウダニット=どうやって殺したのか?」だけだ。


   ◆◆◆

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