第七章
『1、そんな気はしていました』
まさか、野村女史が犯人だったとは──っ!!
まだ
つまり、俺が、バイト先の吉川歯科クリニックで
やっぱり同じ場所をぐるぐる回っている気がする。
容疑者が増えたかと思いきや、そうではなく、最初から捜査線上に浮かんでいた野村女史の名前が、別の線から再び浮かび上がるとは……
これって、限りなく黒に近いのではなかろうか?
出水氏の車には残っていた指紋はさほど有力な情報ではないが、出水氏が毒を隠し持っていると知っていた件は犯行を疑うに
出水氏が通う吉川歯科クリニックの歯科助手である野村女史なら、カルテを見れば出水氏の自宅住所も分かるし(分かるんデスヨ)、自宅近辺に張り込んでストーキングをすればヨットの停泊地も分かるだろうし、ヨットに忍び込んでGPS発信機を仕掛けて置くことも出来るし、そうであれば、理論的には、太平洋上であっても追跡は可能だ。
出水氏と一緒に居ただけの白石妃菜に、あからさまな嫉妬と
確かに野村女史は、関わりの薄い俺から見ても、出水氏に一方的に好意を持って熱を上げていたと丸分かりだった。
彼の車に乗せてもらう為に、まだ最後の片付けが残っていたというのに仕事を勝手に切り上げて、着替えもそこそこに追い掛けるほどだったのだ。よほど
でも出水氏の側は、野村女史は眼中に無かったと思う。
美波ちゃんのお姉さんである、若くて優しい清楚系美人の凪砂さんと婚約していたのだから。(凪砂さんは、容姿も性格も、野村女史と真逆のタイプだ)
それに、白石妃菜の話によると(凪砂さんには気の毒だが)他の複数の女性にも「結婚しよう」とか「ヨットに乗せる」などと気軽に言っていたらしいし……
そう言えば、吉川先生にも「今度のデートは僕のヨットに招待したいな」とセクハラ発言をしていた。
凪砂さんも、吉川先生も、人格に難がある白石妃菜でさえも、顔立ちの整った美人だ。
野村女史は
都内に十数軒のレストランを経営する大金持ちで爽やかイケメンの出水氏と、あの野村女史では釣り合っていない……と言うか、無理めと言うか……松林准教授も、出水氏が野村女史をヨットに乗せると約束したのは、その場を取り繕うための
野村女史は叶わぬ恋に身を
正直、俺は納得してしまっていた。
あのどこにキレるスイッチがあるのか分からない、万年ヒステリーで
いや、きっとやったに違いない!!
しかし──
剣崎刑事から、俺たちは厳しく
「出水さんに一方的に恋愛感情を持ち逆恨みしていた人物として名前が
◆◆◆
この状況で何も言わずに野村女史と仕事をするのは物凄い精神力が
安定の仕事に行きたくない気分が襲って来た。
とはいえ、急に歯科助手のバイトを休んだりしたら吉川先生に迷惑がかかる……
「うわぁっ、やだぁっ、仕事行きたくなぁいっ。野村女史に会いたくなぁいっ。でも、吉川先生には会いたぁいっ!」
深夜の自室でPCに向かいながら、うっかり本音を叫んでしまい、芽衣が隣の部屋からすっ飛んで来た。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
もう寝るところだったようで、腰まである黒いサラサラのロングヘアはいつものツインテールではなく、青いストライプのパジャマ姿だった。
このパジャマは実は俺のおさがりだ。サイズが大き過ぎるようで手が隠れてしまい指先しかでていないし、ズボンは裾を二重に折っている。以前に「ちょうどいいサイズのを買ったら?」と言ったら「やだ」と言われた。だぼだぼのほうが寝やすいのだそうだ。
て言うか、兄のおさがりパジャマを着て寝る妹ってどうなんだろう? 芽衣が俺のおさがりパジャマしか着なくなって、早数年が経過している。もはや「おさがりを早く
「可哀想に、お兄ちゃん、ノイローゼ気味なの?」
芽衣は俺の頭を撫でる事に味を占めたらしい。勝手に部屋に入って来て、今夜も
椅子に座った俺の頭は、芽衣からするとちょうどいい高さだったようで、ふわっと抱え込まれているので、柔らかな胸のふくらみが
俺は
「おまえね、兄の頭を気軽に撫でるなよ(無心)」
「まあまあ、スキンシップはメンタルケアに必要だって本に書いてあったよ」
「何の本だよっ?」
「
「おいっ!? 俺は子供かっ??」
あはは、と芽衣は軽やかに笑った。
「お兄ちゃんは子供じゃないけど、子供みたいなところがあるから、芽衣が付いててあげないとダメなんだよね。可愛い~っ」
「うぐっ、それが兄に向って言う事か……」
「大丈夫。ちゃんとお兄ちゃんのことは尊敬してるし大好きだよ」
ううむ……なんだか言葉が軽いような重いような……???
そんなこんなで、ひとしきり俺の頭を撫でて気が済んだのか、芽衣は勝手に俺のベッドに腰かけた。俺はくるりと椅子を回して芽衣と向き合う。
「お兄ちゃん、疲れた顔してるね」
「まあ、疲れてはいるよ」
ちなみに、俺はただアホのように独り言を叫んでいただけではなく、ネットで調べものをしている最中でもあった。
「慣れないバイトを始めたばかりで毎晩一生懸命勉強してるのに、ごめんね」
いや、毎晩調べものをせざるを
「べ、別に、おまえのせいじゃないし……」
芽衣は申し訳なさそうに
「美波のお姉さんの無実を証明して──なんて頼んじゃって、無理させてるよね?」
うっ、それに関しては無理していないと言えば嘘になるが……
「まあ、でも、真犯人逮捕まであと一歩って感じじゃないか。剣崎刑事が
うん、と
「でも、また明日も事情聴取に応じなきゃいけないって、美波が……」
「そうか……早く真実が明らかになるといいな……」
「うん」
俺は、
おれは、まだ何も分かっていなかった。
菱山教授は言った。
どうやって毒を投与したのか、その方法が解明できれば犯人もおのずと知れる──
それこそが
愚かな俺は実はその時、惜しい場所に立っていたのだが、まだ論理に踏み込む事は出来ていなかった。
PCの画面には普段通り、マトモに仕事を教えてくれない野村女史のお陰で歯科助手の仕事の為に調べていたある薬剤の性質を説明する記事が映し出されている。
それと並行して、出水氏を殺害した方法を推理する為に調べていたテトロドトキシンの性質を説明する記事、横浜ベイサイドマリーナの地図、モーターボートのレンタルに関する記事など、いくつかのウィンドウが乱雑に並んでいた。
仕事も覚えなきゃいけないし、なんとかして野村女史の犯行も解明しなければ……
俺は難しい表情をしてしまったのだと思う。芽衣は気を遣うようにそっと俺のベッドから立ち上がった。
「邪魔になっちゃいそうだから、もう自分の部屋に戻るね」
「お、おう」
あのね、と一瞬、芽衣は口ごもった。
「私、お兄ちゃんにすっごく感謝してるんだよっ!」
「はあ?」
なんて答えていいのか分からず
「お兄ちゃん、辛かったらお仕事
おやすみ、と恥ずかしそうな声と共にドアは閉じられた。
「うっ、芽衣……おまえ、良い妹だなぁ……」
若干、何かが間違っている気もしなくもないが……
◆◆◆
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