第六章

『1、夢女子とはかくあるべし』


「りったんて……誰ですか……?」


 気の抜けたぼんやりした声で言った俺に、白石妃菜は悪鬼あっき羅刹らせつごと形相ぎょうそうで、信じられないレベルの物知ものしらずを見るような、心底からの軽蔑けいべつの視線を投げつけて来た。


 こ、恐い……っ!!


「えっ、りったんを知らないのっ!? あんたバカなのっ!? あんな素敵な人を知らないなんて人生損してるわよっ!! 損も損、損、大損おおぞんよっ!! ほらっ、布教ふきょう用の本一冊あげるから、シッカリ読み込んであんたのチンケな世界せかいかん変えちゃいなさいよっ!!!」


 差し出されたのは小説の単行本だった。


 作者の名前を見て納得する。


「あ……なるほど、この作家さんのファンなんですね?」


 もちろん、表紙に書かれていたのはりったんなどという珍妙ちんみょう筆名ひつめいではない。白石妃菜が勝手にそう呼んでいるようだ。刺激しげきしないよう素直に本を受け取る。マニアの話は長くなるので踏み込むべきではない。(ちなみに、後に、俺はこの作家の大ファンになる)


 それはともかく──


 どういう事だ?


 白石妃菜は嘘をついているようには見えない。


 まさか……出水氏と白石妃菜は付き合っていたというのは、本当に、メイドカフェの店長と松林准教授の勘違かんちがいなのか?


「なんか……その……出水氏には興味が無かったって事は、つまり出水氏とは付き合ってなかったという事で、その手首の傷の原因は他にある……という事なんですね?」


「そうよ。さっきファンクラブの会報かいほうLINEが来て、来週のサイン会が中止になったって書いてあったの。来週にはりったんに会えると思ってずっと楽しみにしてたのに、それなのにサイン会が中止だなんてーっ!! 最愛の人に会えないから死にたいのーっ!!」


 うそまことか分からないが、作家のサイン会が中止になって死ぬと騒いでいるのだとしたら、彼女は重要な事を失念しつねんしている。俺は善意ぜんいでソレに言及げんきゅうした。


「死んだらりったんの新作しんさくが読めなくなりますよ?」


「あっ!!!」


 白石妃菜は、やっと当然とうぜんの事に気付いたようでピタッと動きを止めた。


 よし、ここはスルーだ。


 剣崎刑事も同じ事を思ったようでサクッと話を戻した。


「出水さんを殺害した罪の意識で自殺しようとしていたわけではないという事ですね?」


「当たり前よ。出水を殺したとかって何の話をしてんの? 意味分かんないんだけど。だいたい私、アリバイあるわよ。出水が死んだ日の夜はメイドカフェの仲良しみんなと、朝までナナちゃんのバースデーパーティーしてたもん」


「そのアリバイは証明できますか?」


「できる、できる。だってお客さんへのサービスで、バースデーパーティーの動画は三十分ごとに配信してたし、リアルタイムでコメント付いてるよ」


 なるほど。それは鉄壁てっぺきのアリバイだ……


「分かりました。あなたにはアリバイがあるという事ですね」


「そうよぉ。私が犯人なわけないじゃん。っていうか、出水をうらんでたのは別の女よ」


 え? また別の女性──っ!? もうっ、出水氏っ、どんだけ女がいるのっ!? いいかげんにして欲しいっ!!


 俺はウンザリしてしまったのだが、


「その話、詳しく聞かせてくださいっ!!」


 美波ちゃんは食いついた。凪砂さんが写っているスマホの待ち受け画面を(松林准教授にした時と同じように)勢い良く白石妃菜の面前に突き付ける。


「その女性ってこの人じゃないですよねっ!」


 のわっ、と白石妃菜はのけぞったが、すぐに「違う」と言ってかぶりを振った。


「その人じゃない。別の女。かなり年上だった。出水の経営するレストランに行った時、たまたまその女も店に来ていて物凄い目で睨んできたの。すっごいムカついた」


 彼女の話によると、その場は出水さんが仲裁ちゅうさいに入っておさまり、出水氏とその女性と彼女と、たまたま一緒にいた別の知人もまじえた四人で食事をしたとの事だった。


 出水氏が「今度ヨットに乗せるから」などと言って上手くなだめ、謎の女性の機嫌きげんはそれで直ったらしい。


 ちょっと想像するのが難しいシーンだ。


 つうか、どういう人間関係~っ!!??


「あ、そう言えば。出水、その女にもなんか変な名前の毒を持ってる事、自慢じまんしてたかも。『なんで、そんなヤバイ事を誰にでもしゃべるのか意味分かんない」と思ったけど……でも、出水ってどっかおかしいとこあったからなぁ……」


 どっかおかしいっ!? あなたがそれを言うんですかっ!? と心の中で突っ込んでしまったが、声に出すのは必死ひっしに押しとどめた。


 だが、これで出水氏を恨んでおり、なおかつ出水氏がテトロドトキシンを所有していた事を知る人物──つまりは『容疑者ようぎしゃ』が増えたことになる。


「でもさぁ、出水を恨んでた女は多いと思うなぁ。出水は誰にでも『結婚しよう』とか『ヨットに乗せる』とか言ってたし、その女も本気にしちゃっててバカみたいだった。あいつ何人と付き合ってたか分かんないもん。あれじゃ殺されても仕方ないんじゃなぁい?」


 あぐうっ、と俺は頭を抱えそうになった。


 ちょっと待ってよ~っ。容疑者が無限に増える~っ!!


 そう言えば吉川先生も言っていた。出水氏は女性とみると誰でも口説きにかかるから迷惑している──と。


 セオリー通り『恋愛れんあい感情かんじょうのもつれによる恨み』=『動機どうき』と考えるならば、『容疑者』は大勢いる事になり、俺は暗澹あんたんたる思いにとらわれた。



 大勢の女性のアリバイをひとりひとり確認していく事にでもなったら悲惨だ……


 実際、殺人事件の約九割は顔見知りによる犯行で、その過半数かはんすう親族親族配偶者はいぐうしゃによる犯行、恋愛感情のもつれによる犯行は金銭きんせん問題もんだいの次に多いらしい。


(話がちょっと逸れるが、要するに、殺人事件の原因の第一位は金銭問題=金をめぐいさかいだという事なので「金が絡むと人は恐いな)と俺はコッソリ思った)


 俺が余計な事を考えている間にも話は進んでいく。


「白石さん、あなたは本当に出水さんと付き合っていなかったんですか?」


 剣崎刑事が念を押すと、白石妃菜は質問自体じたいを小バカにするように片目をつむり、舌を出して、肩をすくめた。


「私はただの友達。出水とは、たまに一緒にごはん食べたり、お酒飲みに行ったりしてただけだよ。っていうか、私の事は『見せびらかす用の女だ』って出水が自分で言ってたし。とにかく女を連れて歩きたい奴だったのよ。モテるアピールがしたかったんじゃないの?」


 なぜか、そこで、白石妃菜はふっふ~んと自慢げに手を胸に当てた。


「そもそも私の愛する人はりったんだけだもん。一生りったんに付いて行くんだから。りったん大好き。愛してる」


 ううむ……なんだか物凄い話だ。どうにも理解が追い付かない。出水氏の女性関係に対する態度は理解し難い。


(ついでに白石妃菜の心理も理解し難い。熱烈ねつれつ過ぎて引くんだが……ファンというものは、みんな、こういう感じなのか……???)


 俺が呻いていると、白石妃菜は飽きた様子でそわそわし始め「そろそろ帰って欲しいな、傷も痛いし」と、なんともマイペースな態度で言い出した。いや、ホント、この人マイペース過ぎる。絶対仲良くなれないっ。


 剣崎刑事も潮時しおどきを感じたようで、眉間みけんしわを寄せた不機嫌な顔で溜息をつくと、最後の質問を口にした。


肝心かんじんな事をまだ伺っていません。あなたが出水さんと一緒に居る際にレストランで会ったという、その女性の名前は?」


「名前は知らない。あの時、一緒に食事をした男なら、その女の名前を知ってるかも……出水にナントカって毒を売った奴よ」


 出水氏にナントカって毒──つまり、テトロドトキシンを売った人物……それって……


「ええっ!? 松林准教授──っ!??」


 アイツやっぱりテトロドトキシンを出水氏に売ってたんじゃないか~っ、やっぱり嘘ついてた~っ、と思ったが、そんな事まで追及ついきゅうしている余裕は無いので、今は触れない事にした。


 それにしても、またあの感じ悪い人に話をかねばならないのか……


 同じ場所をぐるぐる回っているようで疲れてきた。


   ◆◆◆

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