『3、ここで刑事に遭遇する?』


 遠目に見覚えのあるシルエットを認めて、俺は思いきり仰け反った。


「うげっ」


「どうしたの、お兄ちゃん?」


「どうかしたんですか、お兄さん?」


「ヤ、ヤバイ人が……っ!!」


 思わず声に出して言ってしまった。


 なんと、黒いパンツスーツで黒いカバンを肩に掛けたキツイ表情の剣崎刑事が、すぐそこの路地ろじかどを曲がって真っ直ぐ俺たちのいるメイドカフェの前に向かって歩いて来たのだ。


 他にも何人か通行人はいるのに、剣崎刑事は際立きわだって存在感そんざいかんがあり、視線が自然と……というか強引に彼女に引き付けられる。


 うわぁ、今日も怒りのオーラをみなぎららせてるなぁ。


 ただ歩いているだけで迫力が凄い。


「どうしよう、お兄ちゃんっ?」


「どうしますか、お兄さんっ?」


 芽衣と美波ちゃんがすがるように俺に視線を向けてきたが、何を言うひまも無かった。逃げる事もかくれる事も間に合わず、十メートルほどの距離きょりで剣崎刑事とバッチリ目が合ってしまった。


「あなたたち……!?」


 剣崎刑事は呆れたように口を開けた後、案の定、物凄い顔で俺たち──特に女装の俺──を睨みつけてきた。


「どうしてここに居るの? もうGPS発信機は仕掛けてないわよね? って言うか、その恰好は何のつもりなの? ううん、それよりも、また捜査に首を突っ込んで来たら公務こうむ執行しっこう妨害ぼうがいで逮捕するかもしれないって言っておいたわよね?」


 のべつまくなくまくてられ、どう言い訳すべきか、あるいは正直に打ち明けるべきか逡巡しゅんじゅんしていると、突然、勢い良くメイドカフェのドアが開いた。


「あっ!!」


「なんなの? もう変な手には乗らないわよ?」


「違います、あの人、あの人が──」


 メイドカフェから白石妃菜が泣きながら飛び出してきたのだ。


 店の前に突っ立っていた俺たち四人に構う様子も無く猛ダッシュで剣崎刑事が来たのとは逆の方向に走って行ってしまう。


「追いかけなきゃっ!!」


「どういう事っ!??」


 剣崎刑事のみならず、芽衣と美波ちゃんも声をそろえる。


 まだ何の説明もしていないから、たった今走り去っていこうとしているメイド姿の女性が何者か知らないのだ。


「事情は後で説明します。とにかくあの人を追いかけましょう。出水氏を殺した犯人かも知れないんです」


「ええ──っ!!??」と芽衣と美波ちゃん。


「そういう事は早く言いなさいっ!!!」と剣崎刑事。


「かなり早く言いましたよっ!!」


「いいから、とにかく一緒に来なさいっ!!」


「えっ、いいんですかっ!?」


 捜査に首を突っ込んだら公務執行妨害で逮捕するかもって──


「いいもなにも説明してもらわなきゃいけないでしょ。サッサと走るっ!!」


「はいっ」


 なにがなんだか分からないまま、俺たちは白石妃菜を追いかけた。


   ◆◆◆


 幸いと言うべきかどうか、白石妃菜はあまり足が速くなかった。


 しかも何かに気を取られているようで一目散に目的地に向かって走って行く。一度も後ろを振り返らず、したがって、追いかけている俺たちにもまったく気付かなかった。


 白石妃菜は、剣崎刑事が現れたのとは逆の方向に駆けて行き、靖国やすくにどおりに出ると、歌舞伎町方面へ向かった。さすがに大通りに出ると人通りが多い。混雑混雑まぎれて彼女を追うのは、見付かる危険よりも、見失う危険のほうが大きかった。


 通行人の波の合間あいまに見え隠れする、毛先にだけウェーブのかかったピンクっぽい茶色の髪も、たっぷりのドレープがあるフリフリのスカートも、花のように揺れて、追いかけていると不思議な気分になる。


 不思議の国のアリスの逆バージョンで、こちらがウサギになってアリスを追いかけているようだ。


 かかとの高い靴のせいか、生来せいらいのものか、追跡しているターゲットの動きがのろいので、俺たちは小走り程度で追いかければ良く、余裕が出来た剣崎刑事が声を潜めて問い質してきた。


「それで、どういう状況なの?」


「ええと、ですね……かいつまんで説明しますと、あの人は白石妃菜といって、出水氏と交際していた女性で、しかもテトロドトキシンの出どころエトセトラを知っています」


 なっ、と大声を上げかけてから剣崎刑事は慌てて口を押え、しばし息を整え、怒りをにじませつつも声量せいりょうおさえて言葉をいだ。


「ちょっと待って。どういう事? どうして、あなた、出水頼次さんの死因しいんがテトロドトキシンだって知ってるの?」


「それは、その……菱山教授に……」


 俺は白石妃菜を追って小走りしながら、菱山教授が出水氏の死因を教えてくれた事、松林准教授から彼がテトロドトキシンを盗んだ出水氏に返すよう話した席に出水氏としたな女性が居たと聞き出した事、その女性の友人はメイド姿で松林准教授に名刺を渡したという事、それと、剣崎刑事は凪砂さん以外の容疑者を捜査していると教えてくれた事や、菱山教授が剣崎刑事の置かれた状況を推察して心配していた事などを伝えた。


「そんなわけで、名刺の女性が勤めているメイドカフェに、こうして女装して体験入店を利用して潜入しまして、店長からそれとなぁく話を聞き出し、出水氏と付き合っていたメイドを突き止めたんです」


「なんですってっ!? どうして誰も彼も捜査に首を突っ込んで来るのかしら、もうっ!!」


 剣崎刑事は小声で猛烈もうれつに怒っていたが、菱山教授に対しても、俺たちに対しても、公務執行妨害で逮捕するとは言わなかった。


「今は緊急きんきゅう事態じたいだから仕方が無いわ。私も松林さんからメイドの件は聞いています。ちょうど例の名刺の女性に詳しい事情を聴こうとあの店にやって来たところだったの。でも、出水さんと交際していたメイドのほうは名前も顔も分からなかったから、あなたが先に調べておいてくれたのは……決してめられた行為ではないけど……助かったわ」


「え?」


「今、彼女を追跡ついせきできているのはあなたのお陰だって言ったのよ。二度は言わないわよ」


「は、はいっ」


「それにしても、彼女はどこへ行く気かしら?」


   ◆◆◆

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