『2、女装イベント発生中』


 そんな調子で、俺はなるべく声を出さないよう注意しながら、他の小柄なメイドたちに混じって働く事になった。その件はウェブサイトの『体験入店の流れ』というページに記載きさいしてあったので覚悟かくごはしていたのだが、キッチンさんと呼ばれるおばさんが用意したドリンクや料理やケーキを「五番」とか「十二番」とかムスッと指示され、言われるがままに客に運び続けるのは意外と大変だった。


 テーブルにドリンクやケーキを置く際には、他の店員にも客にもなるべく声を聞かれないようボソボソと「ごゆ」と呟いて誤魔化した。


「あれぇ、君、メイドさんなのに手が意外とゴツイね。もしかして空手とかやってるぅ?」


 客の一人に唐突に声をかけられ、ギョッとして飛び上がりそうになった。しまった。手にまで気が回らずマニキュアもっていないし、そもそも男の手だ。ゴツイに決まっている。


「い、いえ……あっ、はい、そうですっ」


 俺は裏声でどもりながら返事をし、慌ててその客のテーブルから離れた。


「あっ、待ってよぉ。もう少しお喋りしようよ~っ」


 なぜ俺に興味を持つ? もしや、あやしんでいるのでは?


 うう、男性客たちの怪訝けげんそうな視線が突き刺さる。彼らは俺のようなタイプではなく、小柄で可愛いタイプのメイドが目当てなのだろう。お眼鏡にかなわなくて申し訳ない。


 どうか、俺が男だとバレていませんように……


 ちなみに、この時間はまだランチタイムで、店にいたメイドは六人だった。この中に出水氏が贔屓ひいきにしていたメイドがいるとラッキーなのだが……


 手が空いた時に、ソソッと店長に寄って行って話を振ってみた。


「あの……出水さんは、こちらのお店に贔屓のメイドさんがいたって聞いたんですが……」


 案の定というか何というか、この店長は、これ以上は無いと思えるほど口が軽かった。


「うんうん、そうなんだよ。出水さんは夜のお客さんだったんだよね。うちは、夕方に二時間休憩を入れて、夜からはアルコールも提供するメイドバーとして営業してるからさ。真実ちゃん、よかったら夜のシフトに入ってくれたら嬉しいなぁ。スタッフが足りてないんだよ」


「は、はあ……」


「それはそれとして、出水さんが亡くなっちゃったのは辛いなぁ……沢山お金を使ってくれる本当に良いお客さんだったんだよねぇ。いつも同じ子を指名しめいして、貸し切りパーティーも月一つきいちくらいでやってくれてたし……痛手いたでだなぁ……」


 大仰おおぎょうなげいたかと思うと、パッとテンションを切り替え、店長は奥のテーブルで紅茶に魔法をかけているメイドを指差して小声でささやいた。


「ちな、出水さんの贔屓はあの子なんだけど、優しくて面倒見の良い子だよぉ」


「美味しく、美味しく、美味しくなぁれ。モエモエキュンのキュンキュンキュン~っ」


 おおっ、なんという幸運っ! 素晴らしい偶然っ!


 まあ、ちょっと出来過ぎと言う気もしなくもないが、この体験入店で出水氏と関係のあったメイドが誰か判明しなければ、松林准教授を無理に引っ張って来るしか手がなかった。あの不機嫌そうな人とまた話をするのはキツイし、頼み事もし難い雰囲気だったから、そんな羽目にならずに済んで心底ホッとした。女装までして来た甲斐があるというモノだ。


 これも日頃の行いがいからだろうか……心の中で自分自身に感謝していると、隣で店長が勝手に個人情報をベラベラ喋り始めた。


「真実ちゃんも出水さんを知ってるなら共通の話題もあるでしょ。ここだけの話、妃菜ひなちゃんは出水さんと付き合ってたみたいなんだよね。本人たちは周りに気付かれてないつもりでいたみたいだけど、俺は気付かないフリをしてあげてたんだな。そんなわけで、うちは秘密も守れる良い店だよ。一緒に働いてみようよ」


 店長は下手なウインクをしながらグーッと親指を立てた。


 どこら辺が秘密を守れる店なんだーっ!?


 店長の言っている事は理解できなかったが、情報は楽に得られたほうが助かる。この際は、口の軽い店長様々さまさまだ。


 さて、くだんのメイドは、白石しらいし妃菜ひな──二十六歳らしい。


 メイドカフェの店員としては年齢が高いような気もするが、小柄こがら童顔どうがんなせいか実年齢よりだいぶ下に見える。フリフリのきわどいたけのメイド服を着て、白いエプロンとレースのヘッドドレスを着け、毛先にだけウェーブのかかった長い髪はピンクっぽい茶色だ。細い手足と赤系のメイクがなんとなく不安定な印象で、可愛い顔立ちなのだがやみを感じる。


 白石妃菜は紅茶に魔法をかけ終わったようで、客席から離れてメイドが待機するカウンターの前に戻った。表情が素に戻っていて微妙に恐い。ついさっきまでニコニコ顔で「美味しく、美味しく、美味しくなぁれ。モエモエキュンのキュンキュンキュン~っ」とアニメ声で魔法の呪文をとなえていた人とは思えない。



 まあ、そんな細かい事は気にすまい。


 とにかく、あの人が出水氏と付き合っていたメイドなのだ。


 よし、顔と名前が分かれば充分だ。


 この下らない体験入店はサクッと終わらせていいだろう。みんながみんなこの店長のようなアホではあるまいし、一時間もいたらさすがに男だとバレない自信は無い……


 女装での潜入捜査はここが潮時しおどき、と俺は判断した。


 後は、この店の営業時間が終わる頃に外で白石妃菜を待ち伏せして、出水氏とどういう関係だったのか話を聞こう。


 幾分かストーカーっぽくてヤバい気もするが、芽衣と美波ちゃんが一緒ならどうにかなるだろう。


「あの、俺……じゃなかった、私そろそろ行かないと」


「え? まだ三十分しか経ってないよ? バイト代半額になっちゃうけど大丈夫?」


「はい、もちろんです」


「働いてみてどうだった? 入店してくれる気になった?」


「そ、それは、その……お店の雰囲気は分かったので、またご連絡します」


「うちはいつでも大歓迎だいかんげいだからねーっ!」


 やたらと前のめりな店長にバイト代として千円札をにぎらされ、満面まんめんの笑みで見送られて店を出ると、芽衣と美波ちゃんが急いで会計を済ませた様子で慌ただしくパンケーキ専門店から出て来た。きっと、窓からずっとメイドカフェの入り口を見張っていたのだろう。


 ハラハラした顔で二人が駆け寄ってくる。


「予定より少し早いけど、どうしたの、お兄ちゃん?」


「女装がバレちゃったんですか?」


「いや、まあ、バレはしなかったんだけどさ……」


 地声じごえで話せるって良いなぁと気を抜き、ちょっと油断ゆだんしていたら、収穫しゅうかくがあった事を芽衣と美波ちゃんに報告ほうこくする間もなく、まだ会うべきではない人物と鉢合はちあわせをしてしまった。


   ◆◆◆

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