第五章

『1、潜入捜査は十八歳以下お断り』


 明けて、日曜日の朝──


 凪砂さんは、一晩自宅で休めたとはいえ、デート中に恋人が亡くなってから息つく暇も無く警察に任意同行され、木曜の深夜から土曜の夕方まで警察から帰れず事情聴取を受けていた疲労ひろうが濃く残る表情で、再び警察の任意同行に応じる為にタクシーに乗って出かけて行ったらしい。


 美波ちゃんはお姉さんを見送り、すぐに我が家にやって来た。


 まだ十時前である。


 美波ちゃんは泣きたいのを我慢がまんしているのが分かり、彼女を出迎えた時、俺と芽衣は少し言葉に詰まった。


 しかし、今日も俺たち三人が集まったのは作戦会議をする為だ。どうやって凪砂さんの無実を証明するか、昨日得た手掛かりを生かす術を俺たちは考えねばならない。


 松林准教授から聞き出した出水氏と付き合っていたという女性が勤めている『モダン・ヴィクトリアン』というメイドカフェは新宿駅の東口側にあると分かっている。歌舞伎町かぶきちょうとは少し離れた場所だ。


 問題は、いきなりおとれた一見いちげんのただの客に、メイドカフェの店員たちが『出水氏と付き合っていたのは誰か』なんて軽々しく教えてくれるだろうかという事だったが、一晩寝て体力ゲージの回復した俺は、ある秘策ひさくを思い付いていた。


 ネットで検索してみて、くだんのメイドカフェには当日とうじつ体験たいけん入店にゅうてんというものがあると分かったのだ。


「俺が行く」


 そう宣言せんげんした途端とたん、二人は目を大きく見開みひらきあんぐりと口を開けた。


「さすがに無茶むちゃだよ、お兄ちゃんっ!」


「そうですよ、無茶ですよ、お兄さんっ!」


 俺がメイドとして体験入店をし出水氏のうわさを店員たちから聞き出す──というのは、なかなかの名案だと思ったのだが、二人は猛烈に反対してきた。


 あげくに自分たちが体験入店をして潜入せんにゅう捜査そうさをするとまで言い出したのだ。兄として断固だんこそれはさせられない。


「ふたりとも、このサイトのメイド募集ぼしゅうらんをよく読むんだ。十八歳以上にかぎる、高校生不可ふか、この文言もんごんが目に入らぬか。ちなみに男性不可とは男女だんじょ雇用こよう機会きかい均等きんとうほう都合つごうで書かれていない」


「なに言ってんの、お兄ちゃんーっ!」


 至極しごく真っ当な事を言っているつもりだが、その点に関して、芽衣と美波ちゃんは俺とは反対の意見であるようだった。


 だが、世間知らずの妹たちに(まあ、俺もたいがい世間知らずなので二人の事ばかりは言えないが)、よぉく言い聞かせねばなるまい。


「だいたい、メイドカフェは男性客が大半たいはんだろう? あわよくばメイドさんを口説くどこうとしてくる出水氏のような男がいないとも限らない。芽衣にも美波ちゃんにもそんな潜入捜査はさせられない。俺がやるしかないだろう!」


 はああっ、と二人は呆れたように溜息をついた。


 ううむ、そんなに無理があるだろうか……


 確かに俺は芽衣より背が高い。とはいえ、芽衣は小柄こがらだし、俺もさほど背が高いほうではない。隠さず言えば百六十六センチ。背の高い女性と並ぶと大差ない。骨格こっかくも太いほうではないし、声は歌い過ぎでかすれているとでも言い張ればいい。メイクをしてウィッグをかぶればどうにかなるんじゃないか──と、YouTube見過ぎの俺は主張しゅちょうした。


「お兄ちゃん、絶対無理だってーっ!」


「いや、いける。大丈夫だ。俺は整形せいけいメイクとめいった物凄い技術を披露ひろうしている動画を何本かた男だ。どうにか女に見えるようにしてみせる」


「何本か……って少ないよっ。お兄ちゃんバカじゃないのっ?」


「いえ、分かりました」


 意外な事に、ここで美波ちゃんが助け舟を出してくれた。


「メイクは私がします。慣れてるから、もしかしたらなんとかできるかも……」


 急遽きゅうきょ、XLサイズの黒地くろじ花柄はながらのふりふりワンピースを近所の商業しょうぎょう施設しせつの女性服売り場で買ってきて、美波ちゃんが渾身こんしんのメイクをほどこしてくれ、たまたま芽衣が持っていた淡いミルクティー色のゆるふわヘアのウィッグを被ったら、俺はなんとかギリギリ女性に見えなくもない仕上がりになった。


 くつはさすがに店舗てんぽにはサイズがなかったので、通販つうはんで取り寄せている時間も無く、手持ちのスニーカーを合わせて誤魔化した。


「まあ、なんとか……喋らなければ女性に見えなくもないかも……」


「しかし絶妙ぜつみょう違和感いわかん如何いかんともしがたいな」


 サクッと言ったら、


「お兄ちゃんがどうしてもやるって言ったんでしょ!」


 と芽衣に怒鳴られた。


 まあ、とにかく、十二時少し前には準備が整った。


 俺は女装じょそうしたまま、芽衣と美波ちゃんも三人で電車に乗り、目的地のある新宿へ向かう。道中どうちゅうチラチラと見てくる人も居るには居たが特に問題は無かった……と思う。


   ◆◆◆


 くだんのメイドカフェ『モダン・ヴィクトリアン』は、新宿通りを真っ直ぐ進み、いくつ目かの角を左折し、一度右折し、また左折した、細い路地ろじに面して建つ中層ちゅうそうビルの一階にあった。


 大通りに面した場所とは違い、なんとなく雑然ざつぜんとしている。治安ちあんが少し気になったが、都合良く、メイドカフェの真向かいにパンケーキ専門店があったので、芽衣と美波ちゃんにはそこで待機たいきしていてもらう事にした。


 美少女二人を新宿なんぞの路上に突っ立たせておいたりしたら変な男がおかしな考えを持って寄って来るのではないかと、兄としては気が気でない。女性客の多い店にいてくれれば少しは安心だ。


 さて、家を出る前に当日体験入店をさせて欲しいという電話はしておいたので──俺の声では断られるかもしれないと危惧したので電話だけは芽衣にしてもらった。もちろん、後の面倒を避ける為に俺のスマホから──すんなりと店に入れたし、履歴書を用意する必要もなく、面接は約束通り受けられた。俺は本名の真之を改変して真実まみと名乗った。


「真実ちゃんか。可愛いね。お姉さん系っていうか、ちょっとクール系?」


 なぜか俺の面接をする店長はノリノリだった。


 ぞろえのダークスーツにちょうネクタイで紳士しんしふうの服装をしているが、いかんせん顔が服に負けている。と小さい目が齧歯類げっしるいっぽい。おそらく三十代後半だと思う。


 よもや、女装した俺にこんなに食いつく奴がこの世に存在していたとは……


 芽衣と美波ちゃんはパンケーキ屋で待機させておいて良かった。あの二人はかなりの美少女だからな……メイドカフェの体験入店などという潜入捜査をさせてしまったら、きっと変な男に目を付けられて大変な事になったに違いない。ストーカーなんかに付きまとわれたら困る。その一点だけでも、俺が女装して来た甲斐かいがあるというものだ。


 なんとなく微妙びみょうえつに入っていると店長が少し首をかしげた。


「でも声は電話の時とちょっと違うね。風邪でも引いてる?」


「え、いいえ、その、ちょっと合唱がっしょうの練習で……」


「ああ、合唱部~っ。良いね、お嬢様っぽい」


 一瞬焦ったが、この店長は相当そうとうアホのようだ。俺が実は男だとまったく気付く気配が無い。逆に店長の事が心配になって来たが、今は他人を気に掛けている余裕よゆうは無い。ここで芽衣が機転きてんかせて入れ知恵してくれた台詞せりふ裏声うらごえで言ってみた。


「働かせてもらいたいんですが、実は、出水さんってご存知ぞんじですか? あの人にこちらのお店を紹介しょうかいしてもらったんです。でも、ニュースで……」


 ああっ! と店長は両手を打った。


「出水さんは良いお客さんだったんだけどね。みんなビックリしてるよ。急に亡くなるなんてね。しかも、あれでしょ……殺人かもしれないんだよね。実際じっさいどうなの?」


「さ、さあ……?」


 俺は誤魔化す為に曖昧あいまいな笑みを浮かべて肩をすくめておいた。


「とりあえず、体験入店は私服にエプロンだけ着けてくれれば良いから。その花柄のワンピース可愛いから大丈夫そうだね。入店が決まったらメイド服を支給するからね」


「あ、は、はい」


 俺は店長に手渡された白いフリフリのエプロンを自前のワンピースの上から身に着けた。


「うん、良いね、良いね。すっごく似合うよ~っ。注文を取るのは難しいと思うから、キッチンさんが出すドリンクとケーキを言われた席のお客さんに運んでくれるだけでいいからね。うちは入口から時計回りにテーブルナンバー振ってるから覚えやすいはずだよ。じゃ、一時間頑張ってくれたら二千円払っちゃうからね~っ!」


「ど、どうも」


   ◆◆◆

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