『4、健気な姉妹の悲壮な覚悟』
美波ちゃんの自宅は、我が家とは駅を挟んで
初めて会った時に少しだけ聞いていたけれど、美波ちゃんと凪砂さんの両親は十年以上前に亡くなっていて、姉妹は母方の祖母に引き取られ、今も三人暮らしだそうだ。
通されたのは普通のキッチン兼リビングだった。
狭いが掃除の行き届いた清潔な家で、シンプルな家具とカーテンはセンスが良い。四人掛けダイニングテーブルのベンチタイプの椅子に、
祖母の
少しやつれてメイクもしていなかったが、凪砂さんは
金髪でパンクファッションの美波ちゃんとは真逆の外見だけど、美波ちゃんと今日一緒に過ごしてみて真面目でシッカリしたお姉さん思いの子だと分かっていたので、二人が姉妹だという事に
むしろ内面は似ているんじゃないかと思った。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
美波ちゃんは凪砂さんの隣にぴたっとひっつくように座って、顔を
「ちょっと疲れた。明日も任意で警察に呼ばれているの……おまえが殺したんだろうって何度も言われていると頭がおかしくなりそう……」
菱山教授に聞いて捜査本部の事情を
美波ちゃんは言い
「お姉ちゃん、辛いと思うけど聞いて。出水さんにはお姉ちゃんの他にも付き合っていた女の人がいたんだよ。その人が真犯人だと思う」
「え……どういう事……?」
人は信じ難い事を言われると、一瞬、笑ってしまうらしい。
凪砂さんも例にたがわず表情だけで微笑んだ。
それから、ジワリと美波ちゃんに言われた事の意味が
濃い
美波ちゃんは、お姉さんの複雑な心情を理解できていないようだった。ただ、お姉さんを無実の罪から救おうというだけの気持ちをぶつける。
「お姉ちゃんの無実は必ず証明してみせるから、負けないで!」
真っ直ぐで純真なだけの気持ちをぶつけられた凪砂さんは、
「待って……どういう事……?」
分からない、と呻くように凪砂さんは呟いた。
「たくさんの事が一気に起こり過ぎていて気持ちが追い付かないわ。どういう意味なの? 彼が浮気をしていたって事?」
美波ちゃんはじれったそうに畳みかけた。
「シッカリして、お姉ちゃん。ショックなのは分かる。でも今は自分の無実を証明するほうが大事でしょ。出水さんが浮気していたって事は、その浮気相手の女の人が出水さんを恨んでいたって事だと思わない? その人には出水さんを殺す動機があるんだよっ!」
「殺す……動機……?」
凪砂さんはぼんやりした声音で呟いた後、
「そんな……彼に他の女性がいたなんて信じられない。だって、私たち結婚する約束をしていたのよ……出水さん、あの日も、君を必ず幸せにするって言ってくれて……彼が私だけを愛してくれていると信じていたのに……ぜんぶ嘘だったの……?」
あっ、と美波ちゃんは
やっと気付いたのだ。婚約者の突然の死や、それが殺人事件だという事実や、あまつさえ自分が婚約者を毒殺した犯人と
「お姉ちゃん、ごめん。私、お姉ちゃんを傷付けるつもりじゃ……」
苦しげに言葉を
「ううん、違うの。私がバカだったの。あんな素敵な人と夢みたいなデートをしてもらって浮かれていたから、何も気付かなかった。私は本気で愛していたのに……」
凪砂さんが心身共にかなり
それも当然だ。
結婚の約束までしていた恋人がデート中に突然亡くなったうえ、自分はその恋人の殺害
とても受け止めきれないだろう。
か弱い女性でなくとも、普通の人間なら精神的にも肉体的にも
しかし、時間は無情だ。
今は凪砂さんに気持ちを強く持ってもらうしかない。俺は、彼女の気を逸らす……あるいは引き戻す
「すみません。ご心痛は察しますが、俺たちは凪砂さんの無実を証明したいんです。だから、事件のあった日の事をなるべく詳しく聴かせてもらえませんか?」
「事件のあった日……?」
凪砂さんは相変わらず焦点の合わない悪夢の中にいるような目をしていたが、水を飲んで呼吸を整えた後、ひと通り警察には話したけど、と
「本当に……何があったのか分からないの……
凪砂さんの話によると、事件の起きた先週木曜は凪砂さんがわざわざ
出水氏が自分のヨットをいつも
出水氏から有事の際にそうしろと教えられていた通り、凪砂さんは無線で海上保安庁に連絡し、後は報道されていた通りになった。
何者かがヨットに忍び込んで出水氏に毒を盛った様子は無かったですか、とも訊ねたが、狭いヨットなので誰かがヨットに乗り込んできたらすぐに気づいただろうし、凪砂さんは誰かが乗り込んできた気配は感じなかったとの事だった。それに、他の船も二人が乗っていたヨットには近付いて来なかったらしい。
参った。
これでは振り出しだ。
誰もヨットに近付いて来なかったと言われてしまうと、容疑者は
ちなみに、シャンパンを飲みながら食べたものは、凪砂さんが作って持っていったベーコンとレタスとチーズのサンドイッチと、出水氏が用意していたナッツ類だったという。当然、テトロドトキシンが含まれる食材は無い。
「そう言えば……彼、倒れる少し前に『歯が痛い』って言っていたわ。歯科クリニックで固いものを食べないよう注意されていたのに、うっかりアーモンドを仮の詰め物をした治療中の歯で
「それは事件とは関係なさそうですね」
出水氏が事件当夜、歯が痛いと言っていたとしても、それは不自然な事ではない。出水氏は事件の一週間前に吉川歯科クリニックに来ていた。俺が初めて彼を見た日に、馴染みの患者としてやってきて吉川先生に迷惑顔をされつつも治療を受けていたし、死亡した日にも診療予約が入っていた。
実はカルテをこっそり確認しておいたのだが、右下第二
そんな事が分かるのも、ある意味、野村女史のお陰だ。あの人がろくに仕事を教えてくれないから自力であれこれ調べて勉強しているうちに歯科治療について
野村女史の顔を思い出すと気が滅入る。
それで、ふと思い出したのだが──いや、ふと思い出したとか言うのは、俺の
なんとしてでも、この土日のうちに事件の
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