『3、すんげえ怒られた』


「いいかげんにしなさいっ!」


 剣崎刑事に怒鳴られながら、俺は、去って行く中年男性の顔を必死で脳裡のうりに焼き付けた。


 覚えておいて後で調べればいい。あの人が教授か准教授、あるいは講師こうしなら、K大学のウェブサイトに写真と名前がアップされているに違いない。誰であるかさえ分かれば、接触せっしょくのしようはいくらでもあるはずだ。


 上手くやれば何か手掛かりになる情報を聞き出せるかも知れない。


 俺はそう思ったのだが、美波ちゃんは彼があゆみ去ってしまった事で手詰てづまりになったと思い込んだようだ。あせった様子で剣崎刑事に詰め寄った。


「あの人は誰なんですか!?」


 からめ手も使わず、ただ剣崎刑事の口からあの人の名前を聞き出そうと必死になっている。


「あなたたちは知らなくていいわ」


 剣崎刑事はツンと顔を背けて、とりつく島も無い。


 美波ちゃんはそれでも何か聞き出そうと真っ向から切り込んだ。


「お姉ちゃんは無実です。出水さんを殺したのは別の人ですっ!!」


 一瞬、剣崎刑事は複雑な顔をした。


「なるほど……あなた、相沢あいざわ凪砂なぎささんの妹さんだったのね。吉川歯科クリニックで最初に会った時に気付くべきだったわ」


「お姉ちゃんを家に帰してください。逮捕なんかしないでっ!」


 眉間みけんにしわを寄せ、はあっ、と剣崎刑事は溜息をついた。


「あなたたちも、あの野村さんという女性も、何か勘違いしているようだけど……出水さんは不審死あつかいで、事件性があるかどうかは今現在いまげんざい捜査中です。これが殺人事件だなんてニュースでも言っていないはずよ?」


「じゃあ、どうしてお姉ちゃんは警察に連れて行かれたんですか? どうしてまだ帰って来ないんですか? 任意同行って、いつでも帰してもらえるんですよね? なのに、一昨日の夜に警察に連れて行かれてから、ずっとお姉ちゃんが帰ってこないのはおかしくないですか?」


「それは……」


 剣崎刑事は口ごもったが、すぐに言葉をいだ。


「とにかく事情は分かったわ。私があなたの立場だったとしても、お姉さんの無実を証明しようと躍起やっきになるでしょうね」


「刑事さん、じゃあ、協力してくれるんですか?」


 美波ちゃんは期待に満ちたかがやかしい眼差しで剣崎刑事を見詰めた。


 スッと剣崎刑事は視線をらし、美波ちゃんの表情は一瞬で絶望ぜつぼうの色にり替えられた。


「それとこれとは別問題よ。さっきも説明したように、本件はまだ不審死として捜査中です」


「でも──」と、俺は思わず声を張り上げていた。


「剣崎刑事は吉川歯科クリニックを出てすぐに誰かと通話しましたよね。その時、この事件、冤罪えんざいの可能性も……って言ってましたよ」


 俺は立ち聞きした事を剣崎刑事にストレートにぶつけた。


 自分たちに不利ふりな事をさら追加ついかでバラす羽目はめになっても、芽衣と同じたった十六歳の女の子の、こんな悲痛ひつうな姿を黙って見ていられなかったのだ。


「呆れた……通話の立ち聞きまでしていたの?」


 案の定、剣崎刑事は眉間のしわを更に深くし、目をすがめた。


 数秒、俺たちは──剣崎刑事までもが──各々おのおの心中しんちゅうを探るように視線を動かした。


「捜査で判明した事は何も言えません」


 剣崎刑事は心のドアを閉ざすように冷たく言い放った。


 俺は、剣崎刑事が誰かとの通話で言っていた事を必死に思い出した。


 要点ようてんまとめれば以下の六つになる。




●容疑者は凪砂さん一人しかいない。

●だが、犯行時刻に二人きりだったという状況証拠しかない。

●そして、凪砂さんは犯行を否認ひにんしている。

●犯行に使用された毒を入れた容器などの物的証拠は見つかっていない。

●毒物の入手法は未解明みかいめい

●だから、この事件は冤罪の可能性もある──




「冤罪だと思っているんですよね?」


 俺の言葉に、剣崎刑事はぴくりと片眉かたまゆふるわせた。


「刑事さんっ!」


 美波ちゃんの悲痛な呼びかけに、剣崎刑事は数秒固くまぶたを閉じた。


「そうね……捜査で分かった事は言えないけど、私が思っている事なら言ってもいいわ」


 剣崎刑事はギリギリの譲歩じょうほをしてくれたのだと思う。


「私は、相沢凪砂さんが犯人だとは決めつけていません。可能性のすべてを調べる──それが捜査の基本だからです。だから、出水いずみ頼次よりつぐさんと接点のあった人物、特に彼をうらんでいそうな人物をひと通り洗ってみようと思っています」


 被害者の交友こうゆう関係かんけいを調べ、怨恨えんこんの線を辿たどる──いわゆる『かんり』という捜査だ。俺はオタクなので小説やドラマから得た無駄な知識だけはあるのだが、殺人事件のやく九割きゅうわり顔見知かおみしりによる犯行で、この『鑑取り』はほとんどのケースで有効ゆうこうなのだとか……


 だが、ひとつだけ剣崎刑事の行動におかしな点がある。


 俺がグルグル考えている横で、パアッ、と美波ちゃんは再び瞳に希望の色を浮かべた。


「刑事さん、お願い、私にも手伝わせてっ!」


「ダメよ。首を突っ込まないで」


 ああっ、もうっ、と剣崎刑事は苛立ちをあらわにする。


「捜査は私たち警察官に任せて結果が出るまでおとなしく待っていなさい。次にこんな事があったら公務こうむ執行しっこう妨害ぼうがいで逮捕するかもしれないわよ」


「そんな……」


自重じちょうしなさい。あなたたちは警察官ではないのよ」


「っ……」


 言葉を詰まらせる美波ちゃんの肩を軽く叩き、剣崎刑事は背中を向けて歩き始めた。


 もう剣崎刑事の後は追えない。


 頼りのGPS発信機は見付かってしまい、今は俺の手のひらに乗っている。スマホアプリを開いても位置情報が示すのは俺のいる場所だ。尾行の役には立たない。


 それに、次にこんな事があったら公務執行妨害で逮捕するかもしれないとまで言われた。芽衣と美波ちゃんに、そんなヤバイ事はさせられない……


 失意しついに包まれ、どうしていいのか分からず三人そろって黙り込んでいると、さっき立ち去ったはずの中年男性が少し離れた建物の陰からひょっこりと顔を出した。


「君たち、ちょっと」


 おいで、おいで、と手招てまねきされる。


 俺たち三人は、黙り込んだまま、お互いの顔を見合わせた。


   ◆◆◆

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