『3、完全に厄日なんですが』


 さて、すったもんだの騒動そうどう挙句あげくやっと帰宅してみれば、自宅のリビングに、またもや泣いている女性がいたのだった。


   ◆◆◆


 いったい何なんだ、今日は厄日やくびかよ……


 俺はドアの影からリビングの様子をソッと観察してみた。


 ソファでシクシクと泣いている女性を、芽衣がしきりに慰めているのが見て取れた。


 見知らぬ女性は金髪ショートで、いわゆるパンク系の服装をしている。黒いロンティーと赤いギンガムチェックのプリーツスカートに太ももが見える黒いニーハイソックス。シルバーメタルのベルトとアクセサリーはスパイスがいている。


 友達がいないひきこもり系の俺とはもっとも縁遠えんどおいタイプだと思う。


 それに、自分が何も悪い事をしていなくても、女性が近くで泣いているだけでメンタルをゴリゴリ削られるという謎現象なぞげんしょうを、ほんの三十分前まで、野村女史の醜態しゅうたい間近まぢかで見せつけられて嫌というほど学んだので、できれば泣いている女性とは金輪際こんりんざい関わりたくなかった。


 よし、退散たいさんしよう。


 今はリビングに入らないほうが利口だ。


 音を立てないようそっとドアから離れ、くるりと方向転換ほうこうてんかんした途端とたん、可愛らしい声が背後からするどくダーツのように飛んできた。


「お兄ちゃん、おかえりっ!!」


 バッと芽衣は立ち上がり、有無を言わさぬ勢いで駆け寄って俺に来て抱き着いた。頭が肺の辺りに直撃ちょくげきしズシッと重い衝撃しょうげきが響く。


「うぐっ」


「いつもの時間に帰って来てくれて良かった。お兄ちゃんを待ってたんだよ」


 なついている可愛い妹の無邪気な仕草しぐさに思えるかもしれないが、違う。


 これは『捕獲ほかく』だ。


 芽衣の奴、俺が逃げ出すのを見越みこして、他人が見たらそうとは察知さっちできないヘッドバッドで俺の動きを止め、さらに抱き着く事で完全にこの場にめたのだ。


 ダメだ、毎度のことながら、この妹には逆らえない。


 芽衣は素早く俺の右腕を引っ掴むと、リビングのソファで泣いているパンクファッションの女性のところまで捕獲した兄をズルズルと引きって行った。


「ど、どうも。いらっしゃい」


 なんで泣いてるの?──とは言えず、俺は頭をきながら愛想あいそ笑いで挨拶あいさつした。


「すみません、お邪魔してます……」


 意外にも礼儀れいぎ正しく丁寧ていねいな挨拶が返ってきた。間近で見ると彼女はまだ幼さの残る顔立ちをしていて、芽衣と同じくらいの年齢だと分かった。女性と呼ぶより、女の子と呼んだ方がシックリくる。


「お兄ちゃん、お願い、美波みなみの話を聞いてあげて」


 芽衣はそう言うと、しおらしく両手を合わせて俺をおがんできた。ウインクのサービス付きで。


「美波……ちゃん?」


 視線を向けると、ペコリと女の子は頭を下げた。


「初めまして、相沢あいざわ美波です。芽衣とは同じクラスで親友しんゆうです」


 親友だと──っ!?


 羨ましい。親友がいるだなんて。我が妹ながら、なんというハイスペック。友達すらいない俺とは雲泥うんでいの差だ。いかん、メンタルにダメージが……


「お兄ちゃん? ちゃんと話聞いてる?」


「あ、ああ、聞いてるよ……俺の様子にはかまわず好きに話したまえ」


 ううむ、と芽衣は小首を傾げたが、細かい事にこだわらず話を進める事にしたようだ。


「あのね、美波のお姉ちゃんが警察に連れて行かれちゃったんだって。だから、お兄ちゃんに相談に乗って欲しくて」


「ふうむ、なるほど……ご両親に迎えに行ってもらうのが最善さいぜんだな」


 高校生が補導ほどうされたとかそういうたぐいの話だと思ったので、俺はさして深刻しんこくにならずに適当てきとうに答えた。しかし、状況は俺の予想をはるかにえていた。


「違うの。美波のお姉ちゃんは殺人事件さつじんじけん重要参考人じゅうようさんこうにんとして今まさに任意同行にんいどうこう事情聴取じじょうちょうしゅを受けていて、このままだと逮捕たいほされそうなんだってばっ!」


 はあ?


 ──?


 ん? ちょっと待てよ……なんか、既視感きしかんが……近所の人が関係している……というか被害者になった殺人事件(仮)に心当たりがあるぞ。


「ま、まさか……それって、出水頼次っていう幾つか会社を持ってる気障な青年実業家がヨットで死んでた事件か──?」


「そう! それっ!」


「いや、それは弁護士べんごしに相談に乗ってもらうべき案件あんけんだろーっ!」


 俺は思わず叫んでいた。そんな大層たいそうな事件の相談なんて、俺にはが重過ぎる。


 しかし、芽衣はがんとしてゆずらなかった。


「弁護士なんてダメ。高校生の言う事なんか聞いてくれないもん。手当たり次第しだい法律事務所ほうりつじむしょに電話したけど『保護者ほごしゃに電話してもらって下さい』って言われて、ぜんぶ断られたんだから」


「いやいやいやいやっ、だからって俺に何ができるって言うんだっ?」


「お願い。真犯人しんはんにんを探して!」


 ははは、笑える。


 さすがに、その無茶振むちゃぶりはないわ。


 人生じんせい最大さいだい最悪さいあくの無茶振りだぞ。


「だいたい、その……言い方は悪いけど、美波ちゃんは芽衣と同じ学校に通ってるんだよね。あの学校って私立だし、有名お嬢様学校だし、つまり、その……学費高いじゃん。君の家ってありていに言えばお金持ちだよね? 弁護士費用べんごしひようくらい楽に出せるでしょ?」


「お兄ちゃんっ、なんてこと言うのっ!?」


 唐突に芽衣は泣き出した。


「え? 俺、何か悪いコト言った?」


 子供のように泣きじゃくる芽衣を、さっきまで泣いていた美波ちゃんが、今度は逆に慰めながら、俺にひかえめでいじましい視線を投げてきた。他に頼る相手がいない、雨にれた子猫のような切ない視線だ。金髪やパンクな服装の印象とはかけ離れた弱々しい表情に、俺はよく分からない庇護欲ひごよく罪悪感ざいあくかんき立てられた。


 この子、将来しょうらい魔性ましょうの女になるかも……


 俺が余計よけい邪心じゃしんを慌てて心の隅に追いやったのと、美波ちゃんが口を開くのは同時だった。


「気をつかわせてすみません。うち、両親がくなっていて、祖母そぼと姉と私の三人暮らしなんです。それで、私は奨学生しょうがくせいで学費を免除されてるんです。だから芽衣と同じ学校に通えてるだけで……うちは貧乏なんです」


「す、すまんーっ!!」


 ガツンと頭をなぐられたような気分だった。


 それは想定外そうていがいだよ。


 いや、そうじゃない。想定しておくべきだった。


 未熟で世間知らずの自分がつくづく嫌になる。どうして苦労している子がいるという事を考えられなかったんだ。俺はバカだ。アホだ。クズだ。ゴミカスだ。何も知らないデリカシー皆無かいむのクソ野郎だ。ここまでの自己嫌悪じこけんおおちいったのは生まれて初めてだ。


「申し訳ない、許してくれっ!」


 俺は即座そくざ土下座どげざした。プライドが低いので俺の土下座は安いのだが、ここはもう土下座するしかなかった。本当に申し訳ない──っ!


「ちょっと……お兄さん、やめて下さい、土下座なんて……」


 美波ちゃんは、ただオロオロするだけだった。


 五歳も年下の女子高生にこんな思いをさせるなんて、俺はなんという愚かで無神経むしんけいな奴なんだ。今すぐ切腹せっぷくしておびしたいっ。


「すまんっ。心から謝罪しゃざいするっ。俺に出来る事なら何でもするから許してくれっ!」


「本当―っ?」


 その言葉に食いついたのは、お目々をキラキラさせた芽衣だった。


 あ……ヤバイ……これ、詰んだかも……


「本当の本当に何でもしてくれるんだよねっ?」


 ここでいなと言えるだろうか……言える奴がいるなら、むしろ尊敬する……


「ぜ、善処ぜんしょします……」


「じゃあ、お願いっ。真犯人を探してーっ!」


「お願いします、お兄さんっ!」


 驚いたことに美波ちゃんまで芽衣の勢いにかぶせてきた。


 ははっ……もはや進退しんたいきわまった。


 やるしかない。


 例え、見通しが立たなくとも、やるという気概きがいだけは見せねばなるまい。


 それで玉砕ぎょくさいするのも男の生きざまというモノだろう……


 その時の俺は、まだ、男の生き様というモノを軽く見ていた。時間を巻き戻せるなら巻き戻してレベルマックスで反省したい。


 叶わぬ望みだが……


   ◆◆◆

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