ともに

笹霧

ともに

「____さい」

 声が聞こえる。少女のような高い声。

 ああ、呼んでるのね、でもごめんさい、今は眠いのよ。

  私は布団をかぶり直して、今一度意識を手放した。

「起きて____」

 スイッチを入れた音がする。閉じた瞼の視界の隅で音量ボリュームが最大にされるのが見えた。

 あ、やば。

 私が飛び起きるよりも速く彼女が叫び出す。

「____くださぁあああい!」

 鼓膜が破れるかと思うほど大きな声が頭に響く。起きようとしていた動きも相まって、私はベッドからゴロゴロと転げ落ちた。

「い、たたた」

 あちこちにぶつけたから痛い。ヒリヒリとする場所を撫でつつ私は起こしてくれた彼女に抗議する。

「もうちょっとマシな起こし方をしなさい」

 乱れた髪をとかす私の視界に一つのボイスマーク。彼女が話す度にそのマークが薄く光る。

「そうは言われてもですね。だいたい、私はマスターが昨日言ったことをしっかりこなしただけです。何か文句があるんですか」

「あるわよ、大いにね」

「態度でかいですねー。このマスターさんは」

  口ではそう言いながらも、私の友達は家を出るまでの制限時間を視界に表示してくれる。


 学校の授業を受ける間は彼女、"ピクシー"は出てこれない。でも、もうお昼だ。昼休みのベンチで弁当箱を広げて、私はピクシーを呼び出す。彼女は動画を抱えて私の視界に飛んで来た。

「何か用ですか、マスター。今忙しいんですけど」

「あら、それは悪かったわね」

「ま、良いですよ。聞いてあげます。卵焼きで手を打ちましょう」

 私は箸で卵焼きの一つを挟んで宙にやる。

 他人から見たら奇怪な行動だが、私から見たら妖精が食べているように見えている。が、実際には卵焼きは消えてはいない。

 私も卵焼きを口に入れる。強めに味をつけた塩味が口に広がった。

「美味しそうです」

「食べたわよね?」

「そうですけど……ま、いいです。べつに」

 ピクシーは残念そうな顔をしていた。

 物理的には食べられなくても、電子的には食べられる。以前ピクシーからはそう説明されていた。

 だから一緒に食べているのに、何を気にしているのかしら。

 気が付くと彼女は用件に話を移している。

「授業をさぼって書いてた小説の感想を聞きたい、ですよね?」

「そ、そうよ」

「私が言うのもなんですけど。ほんと、私が言うのもなんですけど」

 ピクシーは2回も同じことを言って私の傍に寄ってきた。

「何で人じゃなくて私に言うんです?」

 つい、立ち上がる。周りに人が居ないことを再確認して私は座った。

「いいい、いい度胸ね。それを私に聞くなんて……ぅぅ」

「怒るんですか。泣くんですか」

「どっちもしないわよ」

 ピクシーは呆れたように息をつくと、視界に赤ペンが入った文章のページを表示させる。

「これでどうです」

「……なるほどね」

「いや、見てくださいよ」

「だ、だって」

 ピクシーがなんだこいつって顔をしている。私は遠ざけていたページを引き寄せた。

「わ、わかったわ。見るわね」

 赤ペンで書かれている文字に目を通す。


 理由が不明。言葉がおかしい。する意味がない。主人公の目的が全く見えない。経緯なく突然で意味が不明。理由が不明。日本語がおかしい。唐突。


 ざっと見るとこんな感じだった。

「あ、前見たやつも言うとですね。選択肢を並べすぎです。しかも選択は無数にあるとかどうとか」

「待って。待ちなさい。今はこの赤だけで」

「で、逃げるんですか。そうですか」

 私の正面でピクシーは仁王立ちしている。私は視界に映る時計にちらっと視線を送った。

「そうじゃないわ。もう昼休みが終わるもの。行かないとね。それに今見た分は午後の授業でちゃんと考えるわよ」

 そうですか、とピクシーは飛び去って行った。1人残されて、友人の言葉が重く私の心にのし掛かる。


 学校が終わってもすぐにはピクシーを呼ばなかった。

 これは避けてるわけではないわ。これは避けてるわけでは……。

 帰り道をずっと、呪文のように繰り返していた。本屋が目に入り足を止める。真上を向いて、真下を見た。

 本当に避けているわけではないわ。

 声に出さず誰かに言い訳する。しかし最後だけは本心だった。自分が今何故書いているのかを思い出す。

 ピクシーが来た時、私は既に何作か書いていた。だから、最初は興味本位でしか話さなかった。自分の事でしか、彼女という存在を使わなかった。でも、彼女の感情を見た時から、私の中で彼女が友人になった時から、私は……ずっと……。


 家に着いてようやく呼ぶ気になる。いや、まだならない。深呼吸してドアノブに手をかけた。

「ただいま」

 声をかけても誰も来ない。ピクシーも居ないようだ。息を吐き出した。

「いや、居ますからね」

「え!?」


 紅茶を入れたカップをピクシーに出す。私の分は入れない。あとで彼女のを飲むからだ。ピクシーは一口飲むと、もういいですと言って席に座った。私も一口飲む。

「えっと、追い詰めましたか……?」

「そんなことは、ないわ」

 最後の方は小声になってしまう。

 ピクシーは悪くないのに。

 気まずい空気に堪えられずもう一度紅茶を飲む。カップの中身はもうぬるかった。

「マスターは」

 ピクシーは続きを言わない。私は彼女が言おうとしたであろう言葉をそのまま引き継ぐ。

「私は、批判が怖いのよ」

「はい」

「選ぶのも、怖いのよ」

「みたいですね」

「私って情けな、い?」

「です」

 腕を組んで彼女は頷いている。私は紅茶に手を伸ばそうとして、止めた。そんな私の様子をピクシーは見ている。

「マスターはどうして人に相談しないんですか。全く友達が居ないっていうわけでもないですよね」

「それは」

 それはの続きが出てこない。

「人じゃないから私に相談してくれるのは、まあ、素直に嬉しいですけど」

 ピクシーは照れ隠しのように視界に映るリビングを飛び回る。人じゃない。そう聞いて胸が苦しくなる。

「人だとか、人でないとかではないわ。ただ」

 知らず知らずの内に籠っていた手から力を抜く。心臓が今にも飛び出そうなくらい、不安になる。

「ただ、怖いのよ」

「批判が、ですか」

 無言で頷く。

「私も批判してるじゃないですか」

「そうだけど、そうではなくて」

「やっぱり人じゃないからですよね」

「違うわよっ」

 叫んだ後で後悔した。ピクシーに八つ当たりしてしまっている。

「ごめんなさい」

「そんな落ち込まないで欲しいです。私は私なんかに怒ってくれたこと、嬉しいですよ」

「また、そんな言い方を……!」

「おっと、ごめんなさいです」

 いつからよ、もう。

 私をわざと怒らせていたみたい。舌を出して謝る彼女につい笑ってしまった。


「私の友達はライバルでもあるから。だから差を感じるのが辛かったのよ。それに皆、本当は私のこと……」

「だから最近は人の友達になにも相談しなかったんですね。皆、マスターの仲間なのに」

 私はいつの間にか下がっていた顔を上げる。上げた先に居たピクシーが何かを投げてきた。それはメールボックスに吸い込まれていく。

「メールです」

「……誰からの?」

「大丈夫ですよ、マスター」

 大丈夫。彼女にそう言われ、私は自然とメールボックスを開いていた。7つのメールは全て友人からだ。

「私を信じるマスターを私は信じています。私が信じるマスターは皆さんを信じますよね。だってマスターは」


「私のマスター、なんですよ」

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ともに 笹霧 @gentiana

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