遭遇

再開発に取り残された、廃ビルが立ち並ぶゴーストタウンと化した元オフィス街の一角。

レンガ作りの一際古ぼけた小さなビルの一室に掲げられた看板。



Polaris Mysterious Detective Agency



その外観に負けず劣らず、怪しさと胡散臭さを醸し出している。


「ひもじぃよぅー」

大きなマホガニーの机に顎を乗せ、全身脱力したまま、目だけを机の上に置かれた透明のモニターに映し出されたネット画面に向けている。

眉間に皺を寄せ、口を尖らせて恨めしそうに画面を凝視する。

まだ幼さの残る、少女といった風情の面差しの彼女の名はホクト。

この怪奇探偵事務所の所長である。

『今時、ひもじいなんて言う若者がいるか』

その様子をやや飽きれ顔で見ていた青年、アルコアは、思わず心の中で突っ込まずにはいられなかった。

アルコア、アルの冷ややかな眼差しに気付いたのか、ジロリとそちらを睨むホクト。

「文句があるなら依頼の一つも取ってこうという気概はないの!このままじゃ干上がっちゃう!」

八つ当たり気味の言葉をするりと躱し、反論する。

集客ソレは所長の仕事だろう?オレはオレの役目はきちんと果たしていると思うが?」

大体、こんな怪し気なネットサイトだけで、そうそう依頼人が来る筈も無い、とモニターに映し出されている事務所のサイトに目をやる。


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画面に踊るあおり文句を見る度溜息が出る。

よくもここまで胡散臭い文句を羅列出来たものだ。

う゛う゛う゛…と良く解らない唸り声を上げながら、自分を睨み付けるホクトに、もう少し何か言ってやろうか?と思ったその時

ドアの外に気配を感じ、すっと足音も無くドアの横へと移動する。

コン、コン、と弱々しくドアがノックされたのを合図に、すかさずノブに手を掛け、内開きのドアを開ける。

ドアの外に立って居たのは、長い黒髪が印象的な少女だった。

ノックと同時に開いたドアにハッとした様な、戸惑った表情で立ち尽くしていたのは、育ちの良さそうな、どこか品のある少女であったが、転びでもしたのか、ヒザは擦り剥け、服も土汚れが付いていた。

「ようこそ、Polaris怪奇探偵事務所へ」

低く、落ち着いた声音に、口元に嫌味の無い笑みを湛えた柔和な物腰のアルに、少し安堵した表情を見せる。

「あの…わたし…」

少女が乾いた声でそう言いだした時、

「ここでは何ですから、どうぞ中へ」

流れる様な仕草で少女を事務所の中へと導く。

『このたらしが』

優しく、自然に少女をエスコートするアルの姿に、心の中で毒づくホクト。

アルに促され、事務所中央の応接ソファーに腰を下ろし、やっと少し落ち着きを見せる少女。

「所長、何か?」

二人の動きを、顔を顰め、茶化す様な表情で目で追っていたホクトに、アルが向き直る。

「ぶぇぇぇぇぇつぅぅぅぅぅにぃぃぃぃ」

明らかに含みを持たせた返答だったが、いつもの事なのだろう、アルは気にも留めていない様子だ。

「えっと…所長さん…ですか?」

アルの言葉に驚きを見せたのは少女の方であった。

目の前にいる、自分とさして変わらぬ年の少女に見えるのが所長だと言われ、改めてその姿をじっくりと眺めた。

抜ける様に白い肌に、白髪と見紛うばかりの見事なプラチナブロンドを腰まで伸ばし、榛色はしばみいろの瞳は長い睫で縁取られている。

黒いゴシック調の服に身を包んでいるせいで、余計に際立っている。

「いかにも、あたしがこのPolaris怪奇探偵事務所の所長、ホクト様よ」

腰に手を当て、ふんぞり返るホクトに、少々困惑気味に、ホクトとアルに交互に視線を送る。

「あんなんでも腕だけは確かですのでご安心ください」

フーッと小さい溜息を吐きながら、宥める様に軽く肩を叩くアル。

ホクトとは対照的に、長身の、短く切り揃えられた黒髪をきちんと整え、ダークブルーの切れ長の瞳の青年であった。

「今お茶を入れて参りますので、詳しいお話はその後で」

と言い残し、パーテーションの奥へと姿を消した。


アルの入れた紅茶を一口飲んで、やっと本格的に落ち着きを取り戻したのであろう、ふーっ、と一つ息を吐いて、口を開き始めた。

「わたしはミモザといいます。ここ最近悩まされている事があり、こちらに伺わせて頂きました」

手にしたカップをソーサーに戻しながら、そう告げた。

テーブルを挟み、向かいのソファーに腰を下ろしていたホクトがふーん、と小さく頷く。

「とりあえず自己紹介させてもらうわ。あたしがここの所長をしているホクト。そっちが調査員兼雑用係のアルコアよ」

言いながら、自分の背後に立つアルを親指で指した。

その言葉にアルが軽い会釈で答える。

「アルコアと申します。どうぞアルとお呼びください」

「で?具体的にどんな事が起こってるのかしら?」

ホクトに促され、心を落ち着かせる様にもう一度深く息を吐き、話を続ける。

「気付いたのは2か月程前でした。いつも、どこにいても誰かの視線を感じるのです。そして、何者かがわたしの耳の横で何かを呟くのです」

まるでその声を振り払うかの様に数度、首を横に振った。

「何を言っているのかは聞き取れないのですが、それが否定的な言葉であるという事だけは感覚で解るのです。一人の時もですが、人と会ってる時もその声は聞こえ、まるで相手が本当はわたしを嘲笑ってるかの様で…」

話している内に、その時の事を思い出したのか、小刻みに震え出した肩を抑える様に両の手で肩を握りしめ、身を小さくしてギュッと目を閉じる。

「それさぁ」

ゆっくりとホクトが口を開く。

「精神科の分野じゃないのぅ~?」

茶化す様に語尾を伸ばし、人差し指を横に振る。

そのホクトの言葉と態度に、ミモザの表情が強張る。

「ホクト!」

窘める様にアルが声を上げた。

「今まで相談した方達も同じ事をおっしゃいました」

そう続けるミモザの顔には明らかな落胆と絶望の色が表れていた。

「実際、わたしもそういった所に行きもしましたが、改善する事はありませんでした。そして異変はそれだけでは終わらなかったのです」

俯き、唇を噛み締めながらも声を絞り出す。

ミモザの耳には今も例の声が聞こえているのか、耳を手で塞ぎ、首を横に強く振った。

「他の方と話をしている時、その声が聞こえ出すと、疑心暗鬼に陥ってしまい、相手の方を恨めしく思ってしまう事もありました。そうすると、その方が数日の内に必ず不幸に見舞われる様になったのです」

胸をギュッと押さえ、俯いたその顔から表情を伺う事は出来なかったが、容易に想像する事はできた。

「まるで、相手の方を恨むわたしの心が、自覚のないまま相手が不幸な目に合えばいいと考えてしまい、それが実現したかの様に…事故にあわれたり、病を得たり…」

己を責める様に言葉を続けるミモザの様子を黙って見つめるホクトとアル。

「わたしに関わると不幸になる。そう思うと誰とも関わる事もできず、ただ一人、どうしていいかも分からず、縋る思いで色々と調べている時にこちらを知りました」

考え込むような仕草で天を仰ぎ、組んだ腕を指でトントンと叩いていたホクトがミモザに向き直る。

「とりあえず服、脱いでみましょうか」

「はっ?」

あまりにも意外なホクトの言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「さっきはああ言ったけど、明らかに何者かの作意を感じるわ」

静かに立ち上がり、ミモザの周りを回りながら、注意深く観察する様に全身を眺める。

「でも、そいつはあんたについて回ってるワケではないの。多分呪いなり、何かしらの術をかけて、安全な場所であんたがおいしく育つのを待っている」

「おいしく…育つ…?」

どういう意味か解らず小首を傾げるミモザ。

「低級な魔物ってのは、エサを見つけるとすぐに貪り喰っちまう。けど頭のある奴はエサを自分好みに味付けするのさ。恐怖や孤独、絶望といった感情は奴等にとってたまらないスパイスになるのよ。そうしてじっくりじっくりエサが熟成するのを待ってるワケさ」

ホクトの説明と、何より人間を含めた対象物を『エサ』と言い切るホクトの言葉に、底知れぬ恐怖を感じ、ぶるっと身震いする。

しかし、今の説明では肝心な所が抜けている事に気付く。

「それと、服を脱ぐことに何の関係が?」

ミモザの向かいのソファーに再び腰を下ろし、足を組むと、ミモザの鼻先に人差し指を突きつける。

「つまり、あんたの体にはそいつが付けた術の痕跡が残ってるハズなの。それに、せっかく育ててるエサを他の奴に攫われちゃたまらないからね。自分のモノだって印が必ず付いてるハズ。そいつを確かめたいのさ」

なるほど、理由は納得できた。

しかし同性であるホクトだけならまだしも、成人男性のアルの前で服を脱げと言うのはさすがに抵抗がある。

「あの、今ここで…ですか?」

「別に脱がないならそれでもいいわよ」

ホクトの言葉に一瞬安堵したミモザであったが

「命よりも羞恥心が大事ならね」

続けられたホクトのセリフに言葉を詰まらせる。

「アルは伊達でここの調査員をしてるワケじゃないのよ。あたしとアルの力を合わせなきゃ敵は倒せない。アルの前で服が脱げないってんなら話はココでおしまい」

言いながら席を立とうとしたホクトを、宥める様に押し留め、あるが口を開く。

「安心してください、純粋に調査の為だけです。それ以外の感情は一切持たないとお約束します」

アルの言葉に意を決した様にスッと立ち上がるミモザ。

「分かりました、よろしくお願いします」

深く頭を下げ、シャツのボタンに手を掛ける。

服を脱ぐ仕草を見られたくはないだろうとアルが背を向けた。

やはり緊張しているのであろう、おぼつかない手つきで、時間をかけて服を脱いでいくミモザの様子を、静かに、じっと見守るホクト。

その顔には、先程までの少しおどけた様な表情はなく、射る様な鋭い視線でミモザを観察する。

下着姿になったところで、ミモザはホクトを伺い見た。

「あの、下着も、でしょうか?」

できればせめて下着は付けたままでいたかったが、ホクトは小さく頷く。

仕方なく全てを脱いで、腕で体を隠す様にしながらホクトに向き直った。

「体を隠さないで」

隠したままでは全て脱いだ意味が無いのは解ってはいたが、そうそう思い切れるものでもない。

2、3度深く息をして、ゆっくりと腕を広げる。

「アル」

ホクトの声にアルが振り向く。

初めて会った男性に、一糸纏わぬ姿を見られる事に、ミモザの羞恥心は最大まで高まり、反射的に体を隠そうとするのをなんとか押し留めた。

アルが応接セットを回ってミモザの背後に移動すると、少しホッとした。

「髪を上げて、アルに背中を見せて」

ホクトに促されるまま、両手で髪を掻き上げると、白い背中が露わになる。

滑らかな曲線を描くその背中に、注意深く視線を走らせたアルが、首を小さく左右に振った。

「ここじゃ狭いわね、ちょっとそっちに移動して」

言いながら、自らも立ち上がり、応接セットの後ろのスペースへミモザを促す。

「どうやら印は隠されているみたいだから炙り出すわ。少し苦しいかも知れないけど我慢してね」

ホクトの言葉に、小さく、だが力強くコクリと頷く。

今まで、誰もまともに自分の話を聞いてくれる者はいなかった。

しかし、この二人は自分の話を信じ、共に闘ってくれるのだと思うと体の奥底から力が湧いてくるのを感じた。

自分も二人を信じ、全てを委ね様と決めたのだ。

例の声は今もミモザの耳元で聞こえ続けているが、それを撥ね退けるだけの力を二人はくれたのだ。

背後のアルの手が、ミモザの背に添えられた。

「いきますよ」

その声と同時に、アルの手から電流の様な衝撃がミモザの全身に走る。

「あ…あ…」

決して耐えられない様な苦痛では無かったが、今まで味わった事の無い衝撃に、身体を仰け反らせ、指先まで強張る。

その刹那、今度はアルが「ぐぅっ」という唸り声を上げてミモザから弾かれる様に飛退いた。

アルが離れ、衝撃から解放されたミモザがその場に崩れ落ちる。

「思った通り、印が現れたわね」

力なく床に膝をついていたミモザをホクトが抱き起す。

そのミモザの左の乳房の上には、見た事の無い文様が浮かび上がっていた。

「これは?!」

自身の体に浮かび上がる文様にミモザが戸惑いを見せる。

「アルの力に反応して、他の魔物から自分のエモノを守る為に発動したのよ」

それがホクトの言っていた印なのだとすぐに納得できたと同時に、やはり今までの出来事は、自分の心が作った幻覚などでは無かったのだと安堵を感じた。

しかし、ひとつだけ引っ掛かった言葉もあった。

『他の・・・魔物…?』

だがそれを口にするのは躊躇われ、口を噤んだ。

やっとホクトの支え無しで立てる様になったミモザの胸の文様に、ホクトが指を滑らせたかと思うと、おもむろに顔を近づけ、ペロリと舐め上げる。

「きゃっ!」

突然の、予想外の行動に驚き、バランスを崩して後ろに倒れそうになったのを、いつの間にかミモザの背後に戻っていたアルが受け止めた。

そんなミモザの動揺を気にも留めず、舌先で唇を舐め、満足気な表情を浮かべるホクト。

「ふむ、中々」

ホクトの言動に困惑を隠せないミモザの肩に、アルがそっと、ソファーに掛けてあったミモザの服を着せかけた。

「もう大丈夫ですので、服を着けて下さって結構ですよ」

改めて全裸だったことを思い出し、恥ずかしさが蘇る。

ミモザが服を着ける間、アルがホクトの手を取り、二人で何やら話をしている。

アルが離れたせいだろうか、胸の文様はいつの間にかまた消えていた。

「どう?」

「これだけでは情報量が少ないので確定はできませんが恐らく─」

服を身に付け、乱れた髪を手櫛で整えていると、ホクトがソファーに腰を下ろし、自分にも座る様にと身振りした。

アルは再び、パーテーションの奥へと消えていた。

「さて、じゃあビジネスの話に入ろうか」

うきうきと嬉しそうに話を始めるホクト。

「下品な下心が現れすぎですよ」

いつの間にか、ティーセットをトレーに乗せたアルが横に立って居た。

アルは足音を一切立てずに歩く。

その為、突然現れた様に感じてドキッとするのだ。

テーブルに置かれていた、冷めた紅茶を下げて、温められたカップに新しい紅茶を注ぎながら、まるで親が子供を窘める様にホクトに注意する。

「もう少し締まりのある顔をして下さい。そんなニヤけた顔じゃ信用されるものも信用されなくなりますよ」

「うっさいなぁ!こっちだって商売なんだから料金の事は重要でしょ」

ぶーっと頬を膨らませ、アルを睨むホクト。

「ほら、そういうすぐ感情を表に出す所!」

二人のじゃれあう様なやり取りに、思わず笑みが零れる。

「うふふっ」

つい声を上げて笑ってしまった。

「ほら、笑われてますよ」

「あんたが悪いんでしょー!」

こんなに楽しい気分で、声を上げて笑ったのはいつぶりであろうか。

押し殺していた感情が解放されたかの様に、明るい笑顔を取り戻したミモザだった。


コホン、と咳をひとつして、努めて真面目な顔をするホクト。

「まず、手付け金として2万ギル、成功報酬でもう3万、合わせて5万ギル頂くことになるんだケド、その年で5万、用意できる?」

普通の少女にとって、5万ギルはかなりの大金である。

親なりの保護者がいて、理解があればまた違ってくるだろうが、話の様子から見てもそれは望めない事だろうと思っていた。

「分かりました。その金額でしたらご用意することができます。振り込みで宜しいでしょうか?」

意に反してあっさりと指定金額を受け入れたミモザに、ホクトの方が驚きの表情を見せた。

そして、その言葉通り、アルから振込指定先が書かれたカードを受け取ったミモザは、携帯モバイルを取り出すと、すぐに前金の2万ギルを振り込んだのだった。

デスクに戻り、モニターで入金を確認したホクトが、モニター画面を睨みながら眉をしかめる。

『ちっ、こんなコトならもっと吹っ掛ければ良かった』

「不埒な事を考えない!」

ホクトの心の呟きを見透かした様にアルがクギを刺す。

「まぁいいや。とりあえずいつ相手が出て来るか判らないから解決するまでここで寝泊まりしてもらう事になるけど大丈夫かしら?」

ホクトの申し出を受けたミモザを、オフィスの上階にある客間へとアルが案内する。

「こちらの部屋をお使い下さい。バスルームは部屋の奥に御座います。私と所長は下のオフィスか、向かいの自室にいますので、御用の時は遠慮なくお呼び下さい。一人では決して外出しない様にだけお願いします」

手短に説明をすると、部屋を後にする。

「ごゆっくりお休み下さい」

静かに閉じられたドアを暫し眺めながら、今日の出来事を振り返る。

これで安心できる訳ではない。未だ正体の判らない者に狙われ続けているのだ。

しかし、少なくとも自分を理解してくれた味方が出来た事に、ミモザの心は救われた。

部屋の奥へと移動し、ベッドに腰を下ろす。

窓から見上げた空は既に暗く、欠けはじめた月がミモザを見下ろしていた。

久し振りにゆっくり眠れそうな気がする。

疲れ果てた体をベッドに横たえると、自然と瞳が閉じられた。

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