「もし時間があったら二人で行ってみるといい」4

「なんというか」


 宿の座椅子に腰を落ち着けながら、彼女は窓から空を見て、ぽつとつぶやく。「不穏?」どうも、アランク先生の話を聞いてから今の今まで、違和感のようなものが彼女の考えに生まれては沈まないで、ぷかぷかと浮かんでいる。


 ゆっくりと彼女は白い足を伸ばして、そこから上半身を前に倒し、体をのばしていく。それから、あまり一つことに執着したり疑ったりすることはよくない、ちょっと気晴らししなきゃいけないと、日花里は村内を散歩することに決めた。さればこそ、飯田くんを誘いましょうと、彼女は部屋を出るなり、彼の部屋の前へ向かったが、一向に返事がなかった。扉に耳をすましてみても、物音ひとつせず、それからしっかりと鍵がかけられている。


「飯田くん?」


 どうやら部屋の内には誰もいないようだった。日花里は不審に思いながらも、その場を離れて階段を下る。いったいいつの間に、そしてどこへ行ったのかしら。思案していると、真っ赤な絨毯の敷かれたロビーへと出た。誰もみられていないと思ったのか、カウンターでは中年の中居があくびをしていて、彼女と目が合うと恥ずかしそうに奥へと消えていった。相当気が抜けている様子を見るに、ここを通った人間はしばらく誰もいなかったようだ。彼女の様子を尻目に日花里は外へ出る。


 ひゅるり、と秋風がスカートを撫でるからすこし薄着すぎたかもしれないと彼女は後悔する。風は遠くの林をさらって、川に波紋を立て、それからどこかへと消えてしまう——ふと彼女は川沿いの茂みに目を奪われた。なにかが動いたような気がしたからだ。風ではないなにかが、茂みを動かした。彼女はそっちの方を眺めてみるが、もうどこかへ消え去ってしまったようだった。なにをするとなしに彼女はその様子を見送ると、その数秒後にはすっかりそんなことを忘れて、あてもなく歩き始めた。チェックインの時に渡された〈沢登村観光マップ〉と題されているパンフレットを片手に。


 村は山と山に囲まれており、冷ややかで乾燥した風が降りてくる。パンフレットを見れば一目瞭然ではあるが、村は東西に長い長方形をしており、ちょうどカタカナの「キ」のように広い道が伸びている。南の方——日花里が宿泊している旅館がある——には東西に幅三メートルほどの清流がある。どこから流れているのだろう、と彼女が上流を目で辿ると、それは山の奥へ隠れてしまった。


 彼女は歩きはじめて二十分ほど経って、ようやく集落の北に上ると、建物の集まった場所へと出た。朱色の屋根を持つ四角い建物と、ログハウスが横並びで立っており、その二つは一つの廊下を共有していて連結している。彼女はそこが村役場と観光案内所であることを知っていた。だからそこで、もうすこし正確な地図をもらおうとしていたが、そのどちらもひっそりとしていて、中に人がいる気配はない。駐車場に車が数台停まっているから、きっと部屋の奥にいるのかもしれないと考えた日花里は、落ち葉を踏み分けて建物の中に入ってみるが、そこは外よりもしんと静まりかえっている。自然から音が全て奪われてしまったようだった。


「すみません」


 おずおずと声をあげてみるが、一向に返事はない。小首を傾げて、留守かしらと思った彼女は、仕方なく踵を返す。村役場と観光案内所が留守って、東京じゃありえない。と考えながら十字路まで戻ると、道路を跨いで向こう側に二人の少女が現れた。中学生くらいだろうか、と検討をつけていると、向こうも日花里の方に気がついたようだった。

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