レベル17


 臨時城壁警備兵シルヴィの説明によると、『第三城壁』の外の世界は、モンスターや敵国の密偵などが跋扈ばっこする危険地域のため、戦闘経験や装備が伴っていないと『通行証』は発行されないそうだ。


 アグリの場合、ソロ、職種、装備、レベル、戦闘経験、つまり全てにおいて不適合とのこと。


「俺、未だにレベル一なんですけど、どこへも行けないってことですか?」

「レベル一だからしょうがないよ」と苦笑するシルヴィ。「訓練してレベルを上げて、プレイヤーギルドの発行する通行証を手に入れれば、城外に行き来できるようになるから」


 貧困から脱するために無茶を繰り返し、デスペナを食らうプレイヤーが後を絶たないらしい。それ故、このような規則が設けられたとか。

 自殺予防の看板も同じ理由という。


「ところで……これってそのままアイテムストレージにしまえないのですか?」


 アグリの言う「これ」とは討伐したてのイノシシのことを意味する。


「無理ね。アイテムストレージの容量は、ステータスと重量で管理されていて、レベル一だとそう大きくはないかな?」

「つまり……このイノシシは重過ぎて運べない。それならどうするんです? 俺、こいつの肉と毛皮も当てにして、ここまで出張って来たんですけど……」


 ネイチャーウェポン以外にも、「肉っぽいの見つけたらお願いします」と隣人NPCカミラさんから頼まれていた。

 確かに、畑で採れる野菜と『おにぎり』だけでは飽きる。


「どうしても持ち帰りたいのなら、荷馬車が必要かしら。それも二頭立ての大きなの。でも、それを商人から借りちゃうと完全に赤字よね。だから、スキル持ちがこうしてばらして、美味しい所だけを……」

 シルヴィは次々とイノシシを解体していく。


 見事な手さばき、というか凄い光景だった。アグリの『草刈り鎌』では刃が通らなかったイノシシの表皮が、シルヴィの『銀のナイフ』だとチーズのように切断される。


 アグリはというと、それを横目で見ながら『かまど』を作っていた。城壁の石で。


「それなら普通はどうするんです?」

「普通? 普通は誰もこんなの相手にしないわよ。皮は硬いし、攻撃力は高い。HPが赤くなったらすぐ逃げる。それで武器でも破損したらそれこそ大赤字ね」

「なんか聞いていた話と違う……NPCの説明では……」


 そして、ここに至った経緯を説明した。


「もしかして、ワイルドボアかしら……あれなら小さくて皮も使えるし……」

「それだ!」


 カミラさんからは「ワというイノシシです」と説明を受けていたから、ワートホッグの姿を一目見て「このイノシシだ!」と誤認してしまったのだ。

(ワしか合ってないし……カミラさん酷いな……本当にAI制御か?)

 それにアバター内臓のAI(ピコピコ)の意地悪な英語表記にも問題がある。


「聞いた限り、そのNPCは責められないわね。ワしか覚えていないのも酷いけど」

「ですよね~」と落胆する。「ということは、俺の決死の労働は無駄だったと……」

「まあ、美味しい所だけ持ち帰ってそれを売れなくもないけど、大した値がつかないから食べた方がお得かしら? 武器は壊れなかった?」

「壊れましたけど使い捨ての竹槍ですから。鍬は最初からゴミ同然だし」

「へぇ~君って凄いのね」

「何が凄いのです?」


 これまで醜態以外見せた覚えがない。


「竹槍と農具でこいつを仕留めるなんて。しかもレベル一でしょう? ワートホッグはワイルドボアの上位種よ。ギルドではレベル五相当のモンスターと案内しているわよ」


「いやあ……」と照れては見たものの、あまり威張れないことに気づいた。


『warthog』はイボイノシシ、『wild boar』が普通のイノシシという意味らしいが、英語を解せなかったのはアグリのミスだ。

 カミラさんは元メイドで今は農婦だから、そこまで知らなくても仕方がない。


「そもそも、いつから見ていたんです?」

「初めからよ。第三城壁を超える前から」

「そんなに前から? それならその時に声をかけてくれても……」

「まだ距離があったのよ。だから密出国者見つけた~って追いかけたら、君、樹海の看板の前で考えていたよね? うわぁ~農民の自殺だ~ってドン引きしていたら、今度はモンスターとの戦闘が始まって、邪魔しちゃ悪いから観戦していたの。ネットゲームってそういうマナーがあるじゃない?」

「討伐を手伝ってくれても良かったのに……(勘違いも酷いな……)」

「ピンチになったら助けようって考えていたのよ!」


 いよいよイノシシに追い詰められた時、頭上から敵とは異なる気配を感じた。その気配はシルヴィだったらしい。

 その気配のおかげで格ゲーの『三角飛び』と、空中からの攻撃バリエーションが閃いたので、ある意味、シルヴィに助けられたともいう。


「何だか悪いわね、何もしていないのに……」

「いえいえ、俺の方こそ助かってます。一人だと今頃、途方に暮れていたでしょうから」


 もし、シルヴィに出会わなかったら、と考えるだけで恐ろしい。

 城壁の見回りが頭の固いNPC兵だったら、拘束され、下手をすれば奴隷落ち。

 運良く見逃してくれたとしても、この巨大イノシシを前にして何もできなかった。


「モンスターを肉塊や素材に変えるには、スキルとアイテムが必要なのよ」

「アイテムってその銀のナイフですよね。スキルは調理スキル?」

「狩人でも良いわよ。上位スキルで即席の服やアイテムまで作れるようになるわ」


 先ほど『銀のナイフ』を拝見させてもらったが、アイテムというより武器だった。刀身こそ短いものの『装備可能レベル八以上』と申し分ない強さだった。


「でも、調理スキルってどういう意味です? 俺、こうして料理しちゃってますけど?」


 アグリは『調理』スキルなど有していない。だが、かまどを自作し料理まで出来ている。


「それがこのゲームの不思議な所なのよ。リアルで経験があれば融通が利くの。君はリアルで料理が得意なのよね? わたしが初めて料理した時なんか、毒が付加されたし……」

(それってゲームAIにディスられてるよね?)

「俺の場合は日常的に熟しているだけです。それならシルヴィさんは、どうしてイノシシを解体できるようになったんです? もしかしてリアルでマタギとか?」

「ないない、わたしのどこが狩猟民族に見えるの! 都会っ子よ!」


 山鳥タクミの田舎ではイノシシ狩り(害獣退治)が盛んで、ぼたん肉は頻繁に食卓にも登場した。しかし解体経験まではない。

 それに、普通の都会育ちは「都会っ子」なんて表現はしない。イノシシ解体経験を持つ若人わこうどの方が圧倒的に稀有けうなので、そこだけは信じられるが。


「わたしの場合は、見様見真似みようみまねで何度か繰り返している間に、スキル化したの。スキルの有ると無しでは、名称が変わるから一目瞭然よ。ほら、これってになっているでしょう?」


 そう言われて思い出す。

 畑でとれた『サツマイモ』を『やきいも』にして持ち帰ろうとすると、元の『サツマイモ』に戻っていたのだ。その場では食べられたのだが。


「調理して食べることは出来ても、スキルが無いと不便なの。アイテムストレージに収納した瞬間にバラバラになっちゃうこともあるし」


 数種類の食材を使用した料理だと、収納直前に解体されて食材に戻されるらしい。


「それだと、俺がイノシシを解体したらどうなるんです? アイテムストレージの中で元に戻るんですか?」

「まず収納できないわね。外見はバラバラでも、重量設定が変更できていないからエラー表示が出るはずよ。食べるには問題ないけど」


 そして、かまどに手を伸ばすシルヴィ。


「もう少し待って下さい」とその手を差し止めるアグリ。

「気に障ったのならごめんなさい。でも、お肉はどうしてもレア派なの。血の滴るようなブルーが堪らなく好きなのよ! 待つのも超嫌いだし!」

「色々とダメすぎるだろ!」


 そんな冗談はさて置き、止めた理由は存在した。

 まず「ブルー」とは、フランス人が最も好む牛肉の焼き加減と説明すればピンとくる方も多いかもしれない。

 具体的には、ほぼ生肉なまにく。数十秒焼いて表面に焼き色をつけただけで、中まで火が通っていない状態を指す。肉の厚みによっては冷たく感じたりもする。

『ブルー』よりも焼いたものが『ブルーレア』、日本でもお馴染みの『レア』に相当する。


「これが衛生管理された畜産牛肉なら問題ないでしょうが、ジビエはマズいです」

「マズい? ジビエが美味しくないってこと?」とはシルヴィのボケか。


『ジビエ』とは、狩猟対象の野生動物、もしくはその肉を指す言葉である。

 だから、イノシシだけでなく、シカやウサギ、野鳥なども含まれる。おそらくこの『ワートホッグ』のようなモンスターも。

 肉食系や雑食系の動物に多いのが『旋毛虫せんもうちゅう』などの寄生虫。

 イノシシ以外にもクマやキツネの体内に生息し、地域性はない。世界中に蔓延はびこっている。

 離島だと「寄生虫はいない」説もあるが、大抵が調査不足であったり、根拠のないお里自慢だったりするので、当てにはしない方が良い。過去に死亡例もあるだけに。

 そもそも、その野生動物が人為的に島に持ち込まれていたりする場合が大半だ。


 草食動物であっても、例えば鹿肉(雑食のイノシシも含め)はE型肝炎ウィルスや腸管出血性大腸菌の感染リスクが高い。

 これは日本でも食中毒の事例が非常に多い。


 鶏肉に関しては言わずもがな。

 養鶏場のニワトリを含め、生は厳禁。カンピロバクター菌は高確率で含まれるし、海外ならばサルモネラ菌で生卵さえ危ない。


「わたしが調理する時だけ、いつも毒表示が出るのはそれが原因ね!」

(たぶん違うと思う……)


「でも……そんな話を聞くと、食欲がなくなりそう……」

 という方も多いが、対処は至って簡単。火をしっかりと通せば良いだけ。それで雑菌や寄生虫の大半は死滅する。

(*適切な食肉処理を施したジビエ肉に限ります。長期間自然放置した肉、病死した動物の肉などは含まれません!)


「でも、硬い肉は嫌いなのよ。特にごわごわした肉の焦げ目はダメ!」

 という方には、焼き加減でなく焼き方を工夫すればよい。焦げは焼いた後にそぎ落とす。


 世界一とも言われるアルゼンチンステーキ『ロモ』の平均焼き時間はなんと二十分。

 日本人観光客はそれを聞くと驚いて、レアかミディアムレアを頼むことが多いそうだが、出てくる肉はどう見てもウェルダン。お任せで頼めばベリーウェルダンが出てくる。


「焼き時間二十分? 無理無理、そんなの焼きゴムよ!」

 という方は、フランス人かそれを真似た日本人、食わず嫌い、もしくは本当に美味い肉を食べたことがない人物だろう。


 直火を当てず遠赤外線だけで長時間焼いた肉は、ステーキというより燻製くんせいに近い。しかも乾燥することなく、肉の旨みも逃がさない。

 肉を切った瞬間に美しい桃色の肉からたっぷりアツアツの肉汁があふれ出るから一目瞭然。そうでなければ、コックが下手なだけ。


 コツとしては出来る限り大きく厚く切ること。

 名店となるとステーキの形はほぼビル型。

 そのためボリュームもある。一人前五百グラムとか六百グラム。スーパーでは絶対手に入らない肉のサイズだし、日本人の胃袋では完食もほぼ無理なので難しい所ではあるが。

 塊で焼いた後に切り分ける、というひと手間が必要となる。


「一時間かけて焼いた鶏を食べさせてもらった事もあるけど、ジューシィ感が凄かった。あの味は今でも忘れられないな……」

「それを聞いていると、ウェルダンも食べたくなってきた……」


「もうそろそろかな……」と即席でつくった石窯から原始人アニメに登場しそうな串焼きの肉を取り出す。

 そして、食べやすいように切り分ける。シルヴィのリクエストに応えて、焦げ目も削ぎ落とし。


「お、美味しい!」とかぶりついた直後に目を輝かせるシルヴィ。

 アグリは(勝った)と内心ガッツポーズを決めた。


  ☼

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