エピローグ
第38話 終わりの足音
「ちょっとヴァレリー、そこに座ってみて」
ロザリアが「おやすみなさい」と二階に引きあげて後。
ラナンにソファを指し示されて、ヴァレリーは首を傾げつつ腰を下ろした。
その横に座るかのように見えたラナンは、身体を横たえてヴァレリーの腿に思い切り頭をのせた。
「なんだ……?」
「膝枕ってさ。膝じゃないよね。膝なんてただの骨で点じゃん。枕にしようがないよね」
「わかるけどなんで俺いま枕にされてんの?」
「枕が喋らないでくれる?」
剣呑な様子のラナンに対し、ヴァレリーはひとまず口をつぐんだ。
寝るには窮屈なソファだというのに、ラナンは胸の前で腕を組んで目を瞑る。
何が起きたのか皆目わからぬまま、ヴァレリーは首を傾げた。
前夜祭の日から数日経っていた。
本祭まで華々しく終えたあと、街は冬支度に慌ただしい。
ジュリアはそのまま詰所で仮雇いが続いており、夜の勤務が多いらしく朝方帰ってきて昼まで寝ている生活となっている。同居人たちとはあまり顔を合わせない状態だ。
敢えてなのか、たまたまなのかはわからないが「家族のいる人は夜勤は嫌がるから独り者が多い。あと手当が高い」とジュリアが言うので、保護者とて辞めさせる理由もない。
ジュリアとロザリアの事情について、全員で顔を合わせて話す場は、まだ設けられていなかった。
「俺いつまでこうしていれば」
「枕が喋らないでくれる?」
「八つ当たりなら俺じゃなくてジュリアにしたら?」
さりげなくヴァレリーは生贄を差し出そうとしてみたが、「いないし」と、ラナンの不機嫌いっぱいの返答に閉口することとなった。
しかし、黙っていても解放されることはない、と思い直してため息交じりに問いかける。
「お前ジュリアのことどうするんだよ」
「そっくりそのまま返す。ロザリアのことどうするの? というか、あの二人兄妹じゃないんだよね。部屋分けた方がいいのかな」
「どういう組み合わせにするんだ。言っておくが俺の部屋なんか店舗の物置だから人は置けないぞ。『男同士』にするならお前の部屋にジュリアを移動するしかぐえ」
ラナンに喉ぼとけを潰されて、ヴァレリーはしゃがれた声をあげた。
「ねえ。前から思っていたけどこれってぐりぐりされると痛いの? 苦しいの? どんな感じ?」
「触られた程度では痛くないができればぐりぐりはやめて欲しい」
やめる気配がないので、ヴァレリーはラナンの手首を掴んで引きはがした。
「身体のサイズ感だけでいえば、今ヴァレリーの使っている物置でもロザリアには十分な広さかもだけど。さすがに一人で一階で寝起きしろと言うつもりはない。だとすると……」
「一ついいか」
ぐずぐずと結論が出ないまま続きそうなラナンの独り言を、ヴァレリーがしずかな口調で遮る。
「ロザリア、たぶん、あれ男だぞ」
「……え?」
目を見開いたラナンだが、その数秒後に飛び起きた。
ヴァレリーはすんでのところでかわしたので激突は避けられたが、そんなことは折りこみ済みとばかりにラナンがヴァレリーの胸倉に掴みかかる。
「なにいってんの? うちのかわいいロザリアに何いってんの!? あれでおとこ……」
「ジュリアの例もあるし、そんなに驚くことじゃないよな。だからまぁ、あそこの二人は他人同士とはいえ男同士だし、本人たちが同室嫌だって言い出さない限りは……」
「最近ジュリア昼夜逆転して家を避けているみたいだったし!? 今までは護衛の必要性から一緒の部屋に甘んじてただけで本当はきまずかったのかなとか……え……ええー!? 嘘言ってない? たしかめたの?」
シャツをもみくちゃにしながら詰め寄るラナンを、大変鬱陶しそうに目を細めて睨みつけつつ、ヴァレリーは「どうやってたしかめるんだよ」と呟いてから続けた。
「人型を取る魔族は性別も変えられるらしい。で、男女の姿で年齢でばらつきがあるんだと。俺が聞いていた逃亡者の特徴は『十代半ばの少女』だ。おそらく、ロザリアは女性型だとそのくらいの外見年齢なんだろう。ただし男のジュリアと逃走するにあたって、男性型をとったんじゃないかと思う。で、俺みたいな『特徴はわかるけど面識はない』人間が追手できたときに備えて、ジュリアが囮になるために少女のふりをしたんじゃないかと」
「つまり……? あの二人は見た目は女性だけど中身は男で……姉妹じゃなくて兄弟だったってこと?」
「血の繋がりはないようなことを言っているから兄弟というのは……。まぁ、俺とお前みたいな?」
くすり、と笑いながら言ったヴァレリーであるが、ラナンはもはや何も聞いていなかった。
「たしかめてないの!? 僕ちょっと聞いてくる……っ」
「何を?」
尋ねたヴァレリーに応えるのももどかしげに、ラナンは床を蹴って走り出す。
「男性型と女性型、どっちがいいのって。追手から逃げる必要がないなら、本人の好きにさせておけばいいじゃない!?」
「……そうなのか?」
何をそんなに焦っているんだ、というヴァレリーの呟きは、バタバタと忙しない足音を立てて二階に駆けあがっていくラナンに届くことはなかった。
*
寝るに眠れず、寝台の上でぼんやりとしていたロザリアであったが、恐ろしい音量で足音が近づいてきて、そのままの勢いでドアをノックされて思わず毛布を握りしめた。
「ごめん、僕だけど! ロザリア、少し話できる!?」
「はいっ!? もちろん大丈夫です、どうぞ?」
と言うや否やという素早さで、ラナンがドアを開け放って踏み込んできた。
「お師匠……さま?」
「ロザリアはさ、男がいいの!? 女がいいの!?」
寝台まで一直線に歩み寄ってきて、突然言い出したラナンを、ロザリアは毛布を握りしめたまま見上げた。
「それ質問として、難し過ぎませんか」
んん~? 何言ってるのかな~? という愛想笑いを浮かべたロザリアに対し、ラナンはあらゆる説明をすっ飛ばしてたたみかけた。
「シンプルだよ!! 難しく考えないで!! どっち!?」
いつになく勢いのありすぎるラナン。
ロザリアは少しばかり呆然とした様子で、小さく口を開いたまま固まってしまった。
「えっと……。どちらにもそれぞれいいところがありますよね?」
「そういうのいいから!! そういうんじゃなくて!! 男として生きていきたいのか、女として生きていきたいのか。それとも」
一瞬、ラナンの視線が泳いだ。
言い淀んだ内容に思い当たり、ふっとロザリアは笑みをもらす。
「ああ。そういう……『わたしがどちらを選択するか』ですか。どちらというか……、わたし、たしかに魔族の血をひいていますけど、魔物に変化する能力はないみたいなんです。だから魔族として生きることは難しいので、このまま人間に紛れて生きていきます。それで、男か女かという問題ですが……」
額に手をあて、少しだけ考えてから、ロザリアは顔を上げた。
「お師匠様はどうなんですか?」
「ん?」
目を見開いたラナンに対し、ロザリアは重ねて問いかけた。
「男として生きたいんですか、女として生きたいんですか」
逃がす気はないとばかりに、しっかりと目を見つめる。
ラナンはしばらく「えーと……」と薄笑いを浮かべていたが、真顔のロザリアが絶対に目を逸らさないとばかりに見つめ続けていると、さすがに折れた。
溜息とともに床に座り込み、あぐらをかく。
組み合わせた足に手をかけて、ゆらゆらと揺れたりもぞもぞと落ち着かなさげに動いてみてから、ようやく顔を上げた。
「女として生きたいと思ったことが、あまりないんだよね」
「理由を聞いても?」
「うん。理由があれば言うけど……。理由らしい理由はないかな。容姿や生まれ持ったものが気に入らないわけでもないし。女性ものの服に抵抗があるわけでも……多少はあるけど。ただ、生家を出て、知り合いのあんまりいないところに住み始めてさ。最初は一人暮らしは何かと不用心だから、くらいだったけど。段々慣れてきちゃったんだよね。慣れるとあんまり考えなくなっちゃうというか」
普段より、少し言い訳がましいラナンが、それでも真面目に考えながら話しているのを見て。
ロザリアはしっかりと頷いた。
「わかりました。それはジュリアにも同じこと言えます?」
「……うん。今度聞かれたら言うかも。隠しているというより、対外的にはこれでいきたいっていうだけだから」
「まあ、そうですね。お師匠様、ちょっと駄々っ子で甘えん坊なところありますからね。今は男だからなんとなく対象外だと思っているひとも、女性だと知ったら目の色変えるかもしれませんし。とんでもないトラブルメーカーになりかねないですからね」
「いまなんか僕のこと責めた……?」
大きな目を見開いて抗議するラナンに対し、ロザリアは不意に冷たい視線を向けた。
「お師匠様、ヴァレリーに甘えすぎでは?」
「え……? いや、だってヴァレリーはヴァレリーだし!?」
「『だって』は禁止です。見苦しいですよー? 毎日毎日いちゃいちゃべたべた、ヴァレリーは自分のものだって思っているんでしょう? それでよくよそに恋人作ればなんて言いますよね。実際にヴァレリーに見捨てられたら寂しくて、ジュリアのベッドにもぐりこんじゃうんじゃないかしら」
言われ放題言われて、ラナンはたまりかねたように立ち上がる。
「何言ってんの!? 僕は別にヴァレリーのベッドにもぐりこんだことないし、ジュリアの……」
段々声が小さくなる。
想像してしまったのか、顔がかあっと真っ赤に染まってしまった。
その様子を見ながら、ロザリアがふふっと聞こえよがしに笑みをこぼす。
「もしわたしが『やっぱり女の子にしようかな♡』なんて言い出したら、お師匠様どうするんですか? わたしとジュリアが一つの部屋で寝起きすることに耐えられます?」
「なんで僕が追い詰められてんの……!? ていうかやっぱりいまのロザリアは男なの!?」
「あー……ヴァレリーは気付いていたみたいなんですけど」
にこっとロザリアは可愛らしく微笑み、ラナンは言葉もなくその顔を見つめてしまっていた。
少しの間その沈黙を維持していたロザリアだが、するりと素足を床におろして立ち上がる。
立ち尽くしているラナンを、恐ろしく綺麗な目で見上げて言った。
「お師匠様、今後一切ヴァレリーに甘えられなくてもいいですか? わたし、心が狭いの」
「……はい」
「その代わり、ではないけれど。わたしももうジュリアにはわがまま言わないわ。だって……」
そこで言葉を区切ったロザリアを、ラナンは(「だって」は禁止じゃなくて?)と心の中で小さく反論しつつ続きを待つ。
ロザリアは、にこにこと楽し気に笑いながら告げた。
「実年齢、ジュリアより結構上なの」
ついでにいうと、お師匠様よりも上ですよ、と。
年の取り方が人間と違うのです、とも言い添えて。
*
階段を下りて来たラナンが、そのまま店舗の方へ抜けたと思ったら、ドアを解錠して出て行く気配があった。
(こんな夜にどこへ……?)
それほど遅い時間ではないが、開いている店といえば酒場のようなところだけだろう。
何より寒いし、ふらふら出歩いたらあっという間に風邪をひく。
すぐに追いかけようか、とまで考えてから、ロザリアが一人で寝ているのに思い当たり渋面になる。
ラナンも、子どもではないのだし、しばらく独り暮らしもしていたのだ。世話を焼きすぎたり、心配しすぎてもとは思うのだが、どうしても小さな時分を知っているだけに過保護になってしまうのだった。
少しだけいらいらしながら、ヴァレリーはお茶でもいれるべくキッチンに立つ。
そのとき、階段を下りて来る人の気配を感じた。
「ああ、ロザリア。起こしてごめんな。ラナンが一人で盛り上がってうるさかっただろ……。お茶飲むか?」
飲みさしの茶葉の缶を確認し、薬缶に冷えた水が残っているのを確認する。熱い一杯をと思ったが、一人分でも二人でも手間はさして変わらない。薬缶は小さな竈に乗せて魔法で火をおこし、振り返らぬまま手際よくカップを並べる。そこではじめて、返事がないと気付いて振り返った。
階段に、ちょこんと腰かけた人影があった。
白っぽい、簡単な刺繍の入ったワンピースを着ている。
蜜色の長いふわふわ髪が、華奢な肩をすべり、やわらかそうな胸元に一房落ちていた。
シュンシュンシュン……と湯の沸く音だけが無音の空間に響き渡った。
「お湯、沸いているけど。大丈夫?」
鈴の鳴るような清らかな声が、笑いを含んでヴァレリーに呼びかける。
「あ、いや、ええと、そうだな……」
呂律が回らない調子で言いつつ、竈へ目を向けて軽く手を振り、火を消した。
再びの沈黙。
はあ、とヴァレリーが俯いて深い溜息をこぼした。
「どちらさまですか? って聞いても良かったんだが……。面影はある」
低い声で呟き、しばらくしてから顔をあげる。
そこにまばゆいまでの光があるような錯覚のせいで、どうしてもまっすぐに見つめられない。
何か非常に弱り切ってしまっているヴァレリーに対し、光の化身のような少女はおっとりと微笑んで口を開く。
「この服、ジュリアのを借りたの。わたしには少し大きいみたい。いつの間にかジュリア、そんなに成長していたのね。……という話はいいの。ねえ、ヴァレリー、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。あれはなんだったのかしら?」
そこまで言って、ゆっくりと自分の額を人差し指でトントン、と示して笑みを深めた。
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