第37話 こじらせ師弟

 鍵のかかっていないドア。

 軋む開閉音に、ドアベルの涼やかな音が重なっていくのをもどかしく聞きながら、ジュリアは暗い店内に足を踏み入れた。


 輪郭のぼやけた棚や椅子を器用に避けて走り抜ける。

 足が、落ちていた花束を踏みしめた。

「お師匠様!!」

 魔石灯に照らされた明るいリビングに着く前から、気が急くままに声を上げ、飛び込んだ。


 二人分の視線がさっとジュリアに向けられる。


 向かい合うように立つ、ラナンとリーダス。

 体格の良い男と並ぶと、いかにも華奢だな、という愚にもつかない感想が心の表面を滑り落ちて行った。


「お師匠様に……、何かあったかと」

 状況がわからないなりに、ジュリアはそれだけ声を絞り出した。

 見てはいけないものを見た気分は遅れて襲ってきて、視線が定まらない。

 ヴァレリーとラナンが一緒にいるのを見るのとはまた違う。いや、その組み合わせには慣れただけだ。慣らされただけだ。

 だが、今また違う男とラナンの組み合わせを見たら、(しんどい)という心情に襲われてしまった。

(ヴァレリーでも嫌だけど、ヴァレリー以外でもダメだな)

 ことラナンに関しての心の狭さでは誰にも負けない自信がある。


「ジュリア、仕事は?」

 ラナンが落ち着き払った声で聞いて来る。

「近くまで来たので……。ドアが開いていて、何かあったかと」

「ああ。いけない。店舗に商品もあるのにね。怪しい人影はなかった?」

「目の前に」

 気が付いたら本音が口をついて出てしまい、後ろについてきたスヴェンが「ふっ」とふきだした気配があった。


「おいおい、上司だぞ。仕事さぼって何やってんだお前ら」

「施錠されていないお店があったら不用心なので店主に注意するのは、警備の仕事の一環です。隊長こそ何してるんですか。お帰りはあちらですよ」

 流れるように言ってから、ジュリアはさらに進み出た。強引に、ラナンとリーダスの間に身体をぐいっと挟み込む。

「ジュリア、あのね」

 背にしたラナンから声をかけられた。ジュリアは振り返らないまま、恐ろしく低い声で言った。


「なんで泣いているんですか? 泣いたでしょう、目が腫れていますよ」

「ああ~……これはね……。ジャックがね~……」

 ラナンの返答はいまいち要領を得ない。

「ジャック? 隊長の名前って愛称で呼ぶとジャックですか?」

 ジュリアは硬質な笑みを浮かべてリーダスにさらに詰め寄った。

「落ち着け。ジャックは海の藻屑になった」

「何言ってるのか全然わからないんですけど?」

 豪華客船の話かな……とスヴェンが小さな声で呟いた。聞こえても聞こえなくてもどうでもよさそうな調子で、止める気もなさそうだった。


 完全に背を向けられていたラナンは、軽く小首を傾げてからそーっとジュリアの腰に両腕をまわした。

「!?」

 息を飲んだジュリアを、軽く引き寄せる。

「ジュリアさ。少し僕と話をしない?」

 身じろぎすればラナンのどこかしらに触れてしまう、何より体勢的にはラナンに抱きしめられているという状態で、ジュリアは息すら止めてすべての動作を停止した。

「はなし……ですか」

(どうしよう。この体勢どうしよう。後ろからって何も見えないのがやばい)

 凍り付いているジュリアを見て、スヴェンがくくく、と笑みをもらした。


「隊長。行きましょうか。ジュリアは早番だったから休憩ってことで。朝までに詰所に戻ってくればいいから」

 片目を瞑ってにこりと笑ってから、リーダスを連れて出て行く。

 その様子をぼんやりと見送って、姿が見えなくなり、遠くでドアが閉まる音が聞こえてから、ジュリアはようやく硬直から抜け出した。


「えっと……?」

 問いかけると、ラナンが腕をといて離れていく気配があったので、ようやく振り返る。

 目をほんのりと腫らしたラナンが、ゆっくりと言った。


「ジュリア、僕聞いちゃったんだよね。ジュリアの事情」


          *


 ――少し出て来る。


 ラナンがそんな走り書きを残し、二人で家を出た。


「前夜祭は朝まで続けて、そのまま明日の本祭らしいから、今日は一年に何回かの『眠らない夜』らしいよー。特に広場の出店なんかは閉めないで続けるところもあるみたい。交代要員がいないところや下準備が必要なお店は休憩の為に朝方は閉めるだろうけど……」

「警備の打ち合わせのときにだいたいのことは聞いてます。去年までは何も考えずに夜は寝ていましたね」

 二人で肩を並べて、なんとなく広場を目指す。

 実は食事をしていなかった、とラナンが言い出したので、食べ物を調達するためであった。


「寒いしお腹空いたし早く何かあったかいもの欲しい」

 背中を丸めてラナンが自分の腕を手でさする。

 思わず肩を抱きそうになったジュリアであるが、寸前で堪えた。さすがにそれはしてはならない、と理性が働いた。

「ホットワイン、レモンチキン。アーモンドパウダーのクッキーと……」

 広場の出店を端から読み上げていたら、ラナンが「考えるの面倒だからそれで」と言い出し、手分けして並んで買い求めた。ワインを買ったお店の外には椅子やテーブルが並べられていたが、さすがに満席だったので広場の中央、水の止まった噴水周りに腰を下ろす。


「ヴァレリーたちはそろそろ帰りましたかね」

「ロザリアがいるからね。そこまで遅くはならないと思うけど」

 言いながら、ラナンが素焼きのカップでホットワインをすする。祭り用に大量に仕入れたような粗悪品で、カップは返しても返さなくてもいいらしい。値段は上乗せされていたようだった。


 しばし、ラナンはチキンやクッキーをつまみ、ワインを飲みながら器楽隊や踊ったり笑ったりする人々を眺めていた。

 二人分座る場所を確保するのが精一杯なほどに混みあっていたので、ジュリアは両手にチキンとクッキーを持って簡易テーブル替わりになっている。


「それでさ。隊長さんがうちに来たのは、ジュリアとロザリアの話をしたかったらしいんだけど。すぐ本題に入ればいいのに、僕のこと結構からかってくれたから面倒くさかったね。つくづくヴァレリーみたいな系統の魔法を学んでなくて良かった。家ぶっ飛ばしてたかも」

「そんなに?」

 忌々し気に言うラナンに、ジュリアは思わず聞き返す。

 ラナンはワインをあおり、ふう、と息をついてから前方を見た。


 魔石灯だけでは足りないので、あちこちに篝火が焚かれている。

 調子の外れた楽の調べや、怒鳴り合うような音量の会話、はじける笑い声と辺りはとにかくうるさい。

 ちらほらと衛兵の姿も見えるが、時折掴み合いの喧嘩をはじめた男たちを引きはがしたりしている。

 そういった様子をじっと見てから、ラナンがため息交じりに言った。


「僕は事情はジュリアから聞くつもりだったけど、第三者から聞いてしまったものは仕方ない。知らないふりにも限度があるから知ってしまったことは隠せない。『神聖教団からの逃亡者だけど、この国に入ってからはひそかに王宮から護衛をかねた監視がついていて、安全が保障されていた』って話らしいね」

 ジュリアは一瞬言葉に詰まったが、すぐに頷いた。


「確信はなかったんですが、追手がもういないのは薄々感じていました。今回のような種明かしがなければ、確認の為に一度教団に潜入しようとは思っていました」

「うん……。王宮は最大限尽力してくれるみたいだね。ヴァレリーの楽隠居は何か意味があるのかと思っていたけど、ロザリアの護衛だと聞いたら納得はした。それでジュリアは、今後どうするの? どこかへ行く? この街に住む? 仕事する? 将来のことは考えている?」

 段々と早口になり、たたみかけるように質問をされる。


「将来……。お聞きになったかもしれませんが、俺とロザリアは本当の兄妹ではありません。これまでは行きがかり上一緒に暮らしていましたが、ロザリアにヴァレリーがつくとすれば、他人の俺は一緒に暮らす理由もないので……」

 ラナンとヴァレリーは幼馴染で仕事仲間。

 ロザリアはヴァレリーの護衛対象。

 自分はどちらとも関係が、必然性がない。


「ジュリアはいま十六歳でしょ。成人する十八歳まではうちにいていいから。その後のことは知らない」

 目を伏せてワインを飲みながら、ラナンが言った。

(知らない)

 他人なのだから、それは当然のことだった。

「わかります。甘えていました」

「うん。僕も甘やかしていた。無理に事情を聞けば出て行くんじゃないかと思って聞かなかった。そのくせ、いつか出ていくのかもと思って、定職につかないのも黙認していた。あんまりいい保護者じゃなかったね」

「それはお師匠様のせいではないです」

「ジュリアは全然食べなくていいの?」

 クッキーを摘まみ上げていたラナンが、ふと気づいたように言って来た。


「両手がふさがっています」

「あ、なるほど」

 言いながら、ジュリアの口にクッキーをぐりぐり押し込んでくる。このタイミングで、と眉間に皺を寄せつつジュリアはひとまず咀嚼した。甘くサクサクした食感で、オレンジやレモンで香りづけがされている。

 ラナンはさらにジュリアの口元に飲みかけのワインを運びかけ、「おっと未成年」と呟いてひっこめてから自分で飲んだ。


「束縛が嫌いでね」

 相変わらず賑やかな周囲に目を向け、ジュリアを見ることなく、ラナンはぼそりと言った。


「僕が『行かないで』って言うことはないんだ。どこへ行くかはジュリアが決めることだから。仮に引き留めたからって、僕が何かをあげられるわけじゃない。だから好きにしてよ」

 ジュリアは軽く瞑目した。

 ラナンの言い分は、そのままジュリアにも当てはまる。そばにいたところで捧げられるものは何もない。


「もし……ロザリアをヴァレリーが守ってくれるというのなら……。俺はこの国の王都に行ってみようかと思います。いったい、どういう人がロザリアの保護を命じたのか、目通りが叶うのならば会ってみたいです。何を考えているのか、自分で確かめたい」

「そっか。それくらいだったら、隊長さんが口利きしてくれそうじゃない? 僕もまぁ……。叔父の伝手つてというか、王宮に紹介状を書くくらいはできる」

「叔父さんですか」

「僕が生まれる前に死んでいるんだけどね。それなりに有名な魔導士だから、名前を出せば悪いようにはされないはず」 

 少しの沈黙の後、ジュリアは躊躇いながら言った。


「ですがこれ以上お師匠様の世話になるのは気が引けます。俺、お師匠様を利用するだけ利用して、何も返せるあてがありません」

「返せなんて言ってない。子どもに恩を着せるつもりなんかないよ」

 強い口調で言ってから、摘んだクッキーをジュリアの口に放り込んでくる。話の最中にやめてほしい、とジュリアは横を向いて逃げようとしたが押し込まれた。


 サクサク甘くて、甘酸っぱい香りが広がっていく。

 咀嚼して飲み込んで、ジュリアは溜息をついた。

(側にいたいけど、いる理由がない。お師匠様は俺がいなくても楽しく生きていけるひとだし。俺は……この先お師匠様がいない人生か)


 何も持たない「子ども」が「好きです」なんて言えるわけがない。


「お祭り……、お師匠様と一緒に来れて良かったです。誰かの誘いを受ける気がなくて仕事にしてしまったけど、いざ見てみるとすごく綺麗でみんな楽しそうで。こんな感じなら、俺もお師匠様と来てみたかったなって思ったから」

 ジュリアの隣でワインを飲み干したラナンは、空のカップを持ったまま前を見つめていたが、ややして小さく呟いた。

「うん。僕もジュリアと来たかったから、良かった」


 ほどなくして食べ物も食べつくして、家路につくことになった。

 往来には恋人たちも多く、顔見知りもいたが特にジュリアやラナンに注目しているそぶりもない。あたり憚らず身を寄せ合い、笑い合う姿を見ていたら、ジュリアもふと、

(手を繋ぎたいな)

 とは思ったが、思っただけで何もせぬまま家までついてしまった。


 解錠しながらラナンが「ヴァレリー戻っているみたいだ」と呟く。

 建物に入る後ろ姿に向けて、ジュリアは小さな声で言った。

「仕事に戻ります。おやすみなさい」


 もし、この先この家を出たら、いつもこんな挨拶を交わすのだろうか。

(いつも……。そもそもいつも会う理由がない……)

 つくづく他人なのだ、と思い知った、そのとき。

 ドアから中途半端に姿を見せたラナンが、ひょこひょこと手招きをしていた。

 なんだろう、と歩み寄って見下ろすと、困ったような顔で見上げられる。


「お師匠様?」

「君は未成年で、僕は保護者だ。だから僕は君に何もできない。抜け道も提示できない。酔ったふりをしようにも、僕があの量では潰れないのは君にバレている……」

 そう言いながら、自分の掌に唇を寄せる。その手を伸ばしてきてジュリアの頬に触れた。

 さらりとした冷たい感触の掌、細い指。


「おやすみ。風邪をひかないように」

 そして背を向けて中へと入って行ってしまった。


 ジュリアは、ラナンが触れた頬に自分の手を押し当てたまま、しばしその場で考え込んだ。

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