第36話 犯行は顔見知り

 張り巡らせた糸に何かが触れたとき、ジュリアが帰ってきたのかな、と思った。

(忘れ物か、仮眠? まさかな。帰らないって言ってたし)


 店舗のドア周りをウロウロしていて、入って来る気配はない。ヴァレリーではないのは確かだ。

 念のため、誰か確認しようと店舗スペースに向かい、物陰に隠れながらドアに近づく。

 薄明りの差し込むドア横の窓からこっそり外を見てみようとしたら、同じ目的で覗き込んでいたらしい相手とばっちり目が合ってしまった。


「隊長さん……?」

 いかつい顔立ちに屈託ない笑みを浮かべている衛兵隊隊長のリーダス。

 窓越しに、ドアの方を指でさし指し示して何か言っている。なぜか声をひそめているようだが、口の動きを見るに、「あけてください」だ。

(なんで? この付近で事件でも? というかジュリアの上司だし、ジュリアに何か?)

 疑問でいっぱいだったが、目が合ってしまった以上、開けないわけにもいかない。

 ドアに触れて魔法で解錠し、開け放つ。


「こんばんは……っ!?」

 と声をかけた鼻先に花束を突きつけられて、ラナンは言葉尻をはねあげた。

「なんですか? 落とし物ですか? 僕のじゃないですよ」

「いやいやいや、贈り物ですよ。うつくしい魔導士様に」

「はあ。暇なんですか? お仕事大丈夫ですか?」

 と言っている間に距離を詰められ、足が二、三歩後退した。リーダスが、後ろ手でドアを閉める。


「何かご用ですか?」

 ラナンはいささかムッとして問いかけた。

 気にした様子もなく、リーダスは両腕を広げてにこやかに言う。

「魔導士様にお会いしたく」

「僕の仕事に不備でも? もしくはジュリアに何かありましたか」

「こんな祭りの夜に、おひとりで過ごされているとは。おひとりなんですよね? どなたのお誘いも受けなかったんですか。それとも、誰かが誘ってくれるのを待っていたら不発に終わりましたか?」

 思わず受け取ってしまっていた花束を、リーダスの胸に軽く押し付けてからラナンは笑みを形作った。


「僕はもともと家にひきこもって、一人で過ごすのが大好きなんです。あなたの価値基準で、僕を寂しいひとみたいに扱うのはやめてくれません? 僕はいま最高に『一人』を楽しんでいるんです。わかります!?」

 返す、受け取れ、とばかりに花をぐりっと押し付けるが、逞しい胸板に擦れただけだ。リーダスは手を出してくる気配もなく、にやにやと笑っている。


「たしかに、最近ではジュリアも独り立ちの気配がありますし、妹の方もあなたについて歩くのをやめているようですね。こうして一人の時間も確保できるようになったようですし……。そろそろどなたかと親密なお付き合いをされてみては? ああ、それとも。一緒に暮らし始めたの男ですか……?」

 いかにも含んでいるところがあるとばかりに付け足された一言に、ラナンはこめかみに青筋を立てた。


「だからさ。僕もそれは本人に言ってるんだよね。あいつが! ちゃんとどこかの誰かと付き合ってくれないと! ごく普通に家庭内でなんかあるのかなって目で見られるじゃない……!? 」

 迷惑してるんだよね、とばかりに力強く言い切ったラナンであったが。

「それはジュリアが女装していた頃、姉妹と暮らしていたご自分が陰口叩かれていた経験からですか?」

 すかさず言い返されて、ぐっと言葉を飲み込んだ。


 未成年美少女姉妹と他人なのに一緒に暮らしていた自分の外聞がいかに悪かったかはよーく心得ているし、反省もしている。

 ラナンは「住み込みの弟子として」二人を引き受けているように体裁を取り繕っていたが、それでもまとわりつく疑念を払拭することはできなかったはずだ。

 ジュリアが自分は男性だという事実を明らかにしたのは、その辺の事情もあるとはうっすら感じている。

 つまり、ラナンは元から「男だと知っていて」二人を引き取っていたという体を装っているのではないかと。


「しかも、家を男どもに荒らされた際には、姉妹ではなくあなたが標的にされてしまったとか」

「それはついでですよ。魔が差したんでしょう。男相手に何を楽しめると思ったんだか」

 苛々としながら言い募っていたラナンは、ふと頭上から影が落ちて来たことに気付いた。

 ものすごく近い、と思って顔を上げる。


「以前から疑問に思っていたのですが。あなたは本当に男ですか?」


 前方はリーダスによってふさがれている。後方に下がれば家の中に追い詰められて、外に声が届きにくくなるだろう。

(こいつ、うちに『何』をしに来たんだ?)


「それ……。答える必要あります?」

「答えたくないという意味ですか? こんなに簡単な質問なのに?」

 答えないのが答え、と言わんばかりの言い草である。

(めんどくさ)


「僕は僕に関する質問をあなたから受け付けた覚えはないんです。一律却下ですよ。今日の晩御飯だって答える気はない。お帰りはあちらです」

 ばん、と胸に押し付けた花束から手を離す。

 二人の間に落ちた。

(花は悪くないんだけど)


「つれないですね」

 苦笑まじりに言われて、ラナンはわざとらしく自分の腕に手をかけて自分自身を抱きしめるような仕草をした。

「寒ッ。これ、対応としては普通の範囲ですよ。そもそもいきなり家に入り込んできて、なんで優しくしてもらえると思ってんの? 不審者ですよね? まあ確かに、顔見知りによる犯罪って多いみたいですけど……」


 言い終える前に、ラナンは身を翻した。

 ほとんど直感だった。リーダスの腕がすれすれのところを掠めていった。

 煽った自覚はあるが、まさか衛兵で立場もある人間が本当に仕掛けてくるとは思ってもみなかった。

 だが、現実だ。

 その場にある小さな棚を蹴倒そうかと思ったが、寸前で思いとどまった。

 店内の瓶詰の薬品には、肌を溶かすようなものもあったが、さすがに先制攻撃は気が引ける。

(なにこれ。逃げるしかないの?)

 やりあって勝てる相手ではないし、時間稼ぎをして庇わねばならぬ相手もいない以上、自分の身さえ守ることができればそれでいい。


「確認なんだけど! 僕いま襲われてる!?」

 背中を見せないようにリビングまで後退しつつ問いかけると、リーダスは笑ったように見えた。 

「そうですね。ずっと興味があったので。男にしては柔らかい声をしているし、骨格も華奢だ。背の高い『女性』であるジュリアと並んでいるせいで悪目立ちしているのかと思っていたが……。こうして見ると、やはり信じがたい。あなたが女性なのでは」

 ほとんど確信を持っているような声で言われて、ラナンはきつくリーダスを睨みつけた。


「それはねぇ。たぶんあなた以上に、ずっっっと知りたがっているけど、僕が言わないから無理に聞き出せないで気にしているだけの子がいるわけ。言わないんだよ、僕。言いたくないから。それなのに、なんで僕の人生にまったく関係ないひとに聞かれているのかな。全ッ然納得がいかないんだけど」

 答えたくない以前に聞かれたくもない。

 なんでジュリアが遠慮しているのに、この男は遠慮の欠片もないのかと。


「だいたい確認してどうするのさ。まさか詰所の仕事は女には任せられないとか言い出す? それならそれで別にいいよ。こっちから願い下げだって。仕事なんか他にたくさんあるし」

 少し強がった。

(金払いいいし。内容的には単調で楽だし。ジュリアの職場だし。本当はあんまり揉めたくない)

 内心を包み隠して、リーダスと対峙する。


 強盗に押し入られて、家を荒らされたのはそれほど前ではない。

 またあんなふうに散らかされて、後片付けしなきゃいけないのかな、と思ったらかなりげんなりもした。

 というか、よくわからない。

 なぜこんな状況になっているのかが。


「そもそも何が目的なの?」

 ソファのそば、小卓に軽く手をついて尋ねてみた。

「今晩家でひとりだと聞いていたので。親交を深めたいなと」

「それどう考えてもおかしいよね? 僕とあなたは親交を深める必要がない」

 エンド、とラナンは速やかに言い切った。これ以上会話を続けたくないという意志表示。

 無視された。

「私はあなたの仕事の得意先であり、ジュリアの上司ですよ。仲良くしておいて損はないのでは?」


 軽く首をかしげて、ラナンはリーダスを見た。ついでに、ほっそりとした指で喉をばりばりとかいてから言った。


「別に癒着するつもりはないし。ジュリアの上司だって言葉が脅しになると思ってんのも間違いだよ。もしこれが理由であなたがジュリアに何かしら難癖つけて仕事やめさせるっていうなら、すればいい。僕は何も困らない。知ってる? 僕二年間あの子のこと養っていたんだよね。僕の稼ぎで生活なんかどうとでもなる。ジュリアは別の仕事をしてもいいけど、僕の世話だけしていたって全然いい」

 むしろ外に出ると悪い虫がつくからなぁ……と考えてしまったのは、忌々しいことに見透かされてしまったらしい。

「自立を阻むのは良い保護者とは言えないな」

 ドきっぱりド正論を言われて、ラナンはわずかにひるんだ。


「自立しろなんて……言ってないし」

「それで? 自分に依存させて自分なしではいられない身体からだに仕立て上げようと?」

「変なこというなよ!! 身体なんかどうもしてない!! 手なんか出してないからな!!」

 思わず、売り言葉に買い言葉で喚いてしまった。

 そんな自分に気付いて、ラナンは視線を落ち着かなさげにさまよわせる。


「出していない、か。生殺しか……あの年頃には辛いだろなぁ」

 妙にしみじみと言われたのはほとんど煽りであり、ラナンは再び視線を厳しくした。

「いったいあんた何しに来たんだよ!? 言っておくけど、僕はいまめちゃくちゃ忙しいんだからな!! 本読んでて!! ちょっと続けてひきが悪かったけど、次は絶対に面白いサイコスリラーサスペンスホラーだと思うんだよね。猟奇殺人ものかな。なにせ内臓だしね」

 言いながら、小卓に積んでいた本の一冊を手に取る。


 リーダスが、曰く言い難い微妙な表情をした。

 その憐れむようなまなざしは、本日出がけのヴァレリーを彷彿とさせるもので……。


「なん……だよ……」

 恐ろしく警戒しきり、腰がひけたような弱気な声でラナンは問いかけた。

「いや……。それ、読んだことあるんだが」

「なんだよ!? なんでそんな目をしているんだよ、言いたいことがあればはっきり言ったらいいだろ!!」

 よせばいいのに、怖いものみたさでつい口が滑っていまい。

 わずかに逡巡した後、ぼそりと言われてしまった。


「泣きたいなら止めないが……、泣きたい気分なのか?」


 次の瞬間、ラナンは悲鳴を上げてソファに座り込み、両手で顔をおさえる。

 絶望に染まった、地の底から沸き立つような陰々滅々とした声で呻いた。


「あの書店員……!」

 その隙だらけの様子を、ぼんやりと見ていたリーダスであったが。

 音も無く、ラナンの方へと歩き出した。


 

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