第34話 謎キスと本音

 時はすこし遡る。


 首をしめて殺される……!!


 と、覚悟を決めたロザリアであったが、その時はなかなか訪れなかった。

 とはいえ、あまりの恐怖に居ても立っても居られず目をきつく瞑っていた。

 しかも、開けた瞬間、まさに自分を殺そうとするヴァレリーを目撃をしてしまったらどうしようと思うあまりに、なかなか目が開けられない。

 開けられない。


 そろり。


 観念して、片目だけ開けてみた。

 ヒッと息を飲んでしまう。

 ものすごく間近な位置からヴァレリーに見つめられていた。


「何してるのっ?」

「いやあ。こう、本気の殺意でさ。危機感も煽ったつもりなんだけど。竜とか、何かの魔物に変化する様子もないなぁ……と」

 目の奥をのぞきこまれるが、あまりにも近すぎて何がなんだか。

「だからって、そんな……。間違えて動いたらキスしそうな距離で見てなくても良くない?」

 危うく唇と唇がぶつかるところだった。

 いささか呆れてそう言ったものの、ヴァレリーは何を思ったのか「ああ」とくぐもった返事をしながら、ロザリアの額に軽く唇を押し付けた。


「~~~~~~~~!?」

 ばっと手を当てて額をおさえる。

(なに!? 今の何!?)

 視界の先では、何事も無かったようにヴァレリーが背を伸ばし、考えこむような遠い目をして自分の顎髭を指でしごいていた。


「ロザリアの方だと思っていたんだけどな。ジュリアなのか……?」

「な、なにが?」

「神聖教団が追いかけている『人型の魔物』だ。人と魔族を親に持つ……。教団の禁忌に触れた存在だとか。長く神殿の奥に秘されていたものの、処刑が決まった折に、世話を任されていた神殿の少年兵がさらって逃げたと聞いたんだが」

 ちらり、と視線が戻ってくる。

 額を両手でおさえたまま、ロザリアはびくりと身体を震わせた。


「事前情報と細かい齟齬があってな……。まず、『人型の魔物』は十代半ばかもう少し上くらいの少女だと聞いていた。なので、最初はジュリアだと思った。だがあれは間違いなく男だし、だとすると『少年兵』の方なんだと思ったんだが……」

 視線が、ロザリアの上から下まで往復する。額をおさえている手にも気付いているだろうに、ガン無視された。


「前から気になっていたんだが……。ロザリア、お前、おとこ……」

 言いかけたそのとき。


「曲者、発見!!」

 という威勢の良い叫び声とともに、走りこんだ勢いで斬りつけてくる人物が現れたのであった。


          *


「言い訳できる状況に見えないんだけど」

 と、ジュリアは強く厳しく責め抜く口調で対峙したヴァレリーに言った。


「そうだなぁ。言い訳はしないなぁ。こう、なんだかんだでロザリアと二人きりって状況が今までなくてな。この機会にちょっと親交を深めようかと」

 のらりくらりとした調子で言い出したヴァレリーを、ジュリアは首を振りながら睨みつける。


「おっさんが、なんでこんなガキと親交深めたがるんだよ!? おかしいだろ!!」

「一緒に暮らしているわけだし」

「他人なんだからほどほどで遠慮しておけよ。好きでも嫌いでもなくても一緒に暮らすくらいはできるだろうが」

 口うるさい小言のようにがみがみと言い募るジュリアに対し。

 神妙な顔で聞いていたヴァレリーは、途切れた隙にぼそりと言った。


「お前ラナンに対してほどほどで遠慮するつもりある?」

「ああ?」

 完全に、険のある目つきと声で問い返したジュリア。

 二人の乱闘を避けるようにロザリアと引っ込んでいたスヴェンが「ガラ悪ぃな」とふきだしていた。


「仮にも『お師匠様』として、この二年間なんの縁もゆかりもない他人なのに、あいつ、お前らのこと養っていたんだよな? お人好しとしても度が過ぎるわけだけど、つけこんでる自覚くらいはあるだろ? それでこの先、どうするつもりなんだ。お前、あいつに何を返せるんだ?」

 うっとひるんだジュリアの反論を許さず、ヴァレリーはさらに続けた。


「見返りは求められていない、なんて言うなよ。他人だからな。た・に・ん。安全な生活、不自由のない衣食住。逃亡犯にしては恵まれ過ぎた環境にあったわけだけど、全部あいつのおかげだよな。日々の世話くらいはしていたみたいだけど、それで返せたつもりになってるのか?」

 逃亡犯。

 明確な意味を有するであろう単語をつきつけられて、ジュリアのただでさえ固い表情が凍り付いた。

「あんたまさか……」

 硬化した態度を探るように見ながら、ヴァレリーは穏やかな声で言った。


「神聖教団が秘してきた異端児が、処刑を前にさらわれたという話は少し前から噂になっていたんだ。さらったのは、教団で剣技の訓練を受け、神聖魔法由来の治癒魔法などをいくつか修めた年若い僧兵……。さて」

「賞金稼ぎの真似事か。教団の依頼を受けて追って来たのか?」

 問うジュリアの身体から、ゆらりと細く湯気のようなものがたちのぼる。


「だったらどうする? お前、俺に勝てるのか?」

 ヴァレリーが、頬を歪めて笑った。

「それは。やってみなければ」

 言いながら剣を構えたジュリアに対し、笑みを浮かべたままヴァレリーは言った。


「仮に勝てたとしてどうする。ラナンには、なんて言うんだ? もしくは、言わないのか? 壊すだけ壊して、言い訳すらしないでいなくなる、か。それができるっていうなら、戦う必要もない。この場で見逃してやるぜ」

 剣先が、わずかに揺れる。

 動揺を瞳にはしらせたジュリアが、思わずのようにロザリアを見た。

 その横顔に、ヴァレリーが厳然たる口調で声をかける。


「ジュリア、決めるんだ。逃げるなら追わない。あくまで戦うというのなら、相手をしてやる。ただし、お前が負ければロザリアは無事では済まない。勝てば、もしかしたらこの街で暮らし続けることはできるかもしれないが……。家族である俺を、お前が殺したと、ラナンに伝えた上で、にはなるだろうな」

「……ヴァレリー……!」

 渦巻く思いをのせて、ジュリアが血を吐くように呟く。

 一方のヴァレリーは泰然とした様子を崩さず、トドメのように言い切った。


「詰んでるんだよ、お前」


          *


 一瞬、ヴァレリーが視線を流してナイフを軽く胸の前で構えてみせた。

 それが合図であったかのように、ジュリアは踏み込んで、剣を打ち込んだ。


 ギリリリッと金属のこすれる音が空気を捩るように響く。

 身長差はさほどでもないが、女性にも見えてしまうジュリアのこと、恵まれた体躯を持つヴァレリーとは膂力において圧倒的な差があるのが明らかであった。

 競り合わずに一端ひく、

 と見せかけて速さだけで横から抜きにかかる。

 それを見越していたかのように、危なげなく受けるヴァレリー。


 ジュリアは勝ち目がないと分かっているだろうに挑み続け、ヴァレリーはといえば正確無比な動作ですべていなしていく。

 それを並んで観察するスヴェンとロザリア。


(思えば)

 ジュリアはずっと、ヴァレリーと本気でぶつかりたかったに違いない。

 ロザリアはしみじみとした感慨にふけってしまった。


 何かにつけて敵わない。

 もともと腕には自信があり、逃亡中も鍛錬も怠らず、神殿で培った神聖魔法の使い手でもあって、女装をしても如才なく振舞える程度に目端の利く人間であるジュリアだったのだが。

 ヴァレリーはあらゆる分野でどうしても先を行く存在であり(女装では負けないだろうが)、しかもよりにもよってラナンとは昔馴染みで仲が良いときた。

 心の中はいいだけささくれ立っていただろう。

 

 もはや発端を忘れたかのように、狭い路地で時に壁を蹴って縦横無尽にやり合う二人を見ていると、お互いの感情的な行き違いが爆発しているように見えてならない。主にジュリアだけ。


「これはさぁ……、犬も食わないねぇ」

 腕を組んで壁に寄りかかり、スヴェンが呟いた。

「夫婦喧嘩みたいな例えはやめてください。剣先が向かってきますよ」

「お、そりゃ怖いな。ヴァレリーにはさすがに勝てる気がしない」

 にやにや笑いながら気安い調子で言ったスヴェンを、ロザリアは胡乱げな目で見る。


「知り合い……?」

「オレとヴァレリー? そうだよー」

 あっさり。

 認められて、ロザリアはまじまじとその横顔を見つめてしまった。

 ロザリアからしてみると、この男は女装時のジュリアにしつこく言い寄っていた相手という認識だ。

 そのしつこさが、その実結構わきまえていて、脅威にはならない程度だったせいでずっと見過ごしてきてしまったが。

 ここ二年間、気が付いたら近くにいた。


「ヴァレリーと……、連絡を取り合ったりしていたの?」

 ヴァレリーの握っている情報を、知っているのかと。

 暗に尋ねた内容にはすぐに思い至ったようで、にんまりと笑いながら髪をかきあげていた。


「取り合うというのは違うかなぁ。むしろ、オレの持っている情報を流して呼んだ。あれ以上の人材はいないって上にかけあって、王宮に推薦した。ちょっとジュリアだけじゃ心許無いなって思ったから」

 心許無い。

 何か、妙なことを言った。

 剣戟の響く寒空の下、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んでから、ロザリアはゆっくりと聞いた。


「なんの話?」

「君の話かな」

「私が何?」

「追われてるだろ、神聖教団に。この国は宗教色薄いし影響も少ないけど、あいつら執念深いし。異端には目くじらたてるっていうか」

 軽い。

 さくさくと言われて、ロザリアは思わず押し黙ってしまった。

 しかし、気が遠くなっている場合ではない。


「あなたやヴァレリーは、教団関係者では、ないの?」

「ないね。雇い主はこの国の上の方。ちょっとわけありで……、魔族と人の間に生まれた子どもに興味を持っているんだ。でも、そんなこと言ったら『実験動物扱いするつもり?』って君らが怒るんじゃないかって気にしちゃって。遠くから守るだけにしろってお達しがね」

「さっき、私、ヴァレリーに殺されかけた気がするの」

「気だけだろ? あいつなりに確かめたかったんだろう。教団が追いかけまわす異端児ってのは、どの程度ヤバいのか」

 軽い。

 ものすごく簡単に話を進められている。


「ヤバい力があれば、ここまで苦労しなかったと思うんだけど」

「そうだよね。ところで腹減ってない?」

 非常に変な間を置いて、ロザリアは隣の男を見上げた。


「腹」

「そう」

「今」

 すわ打ち明け話か、というタイミングで見事に腰を折られてしまった。あまりの手際の良さに折られた事実に気付かないで話し続けそうになってしまったが。

「なんか食べよ?」

 悪びれなく三度言われて、ロザリアは諸々飲み込んだ。


「減りましたね。なんか食べたい……」

「だろ? ジュリアの青春爆発に付き合ってないでなんか食おうぜ。おーい、そこの二人ー!」

 ひたすらぶつかりあっている二人組に対し、スヴェンは能天気に声をかける。


 犬も食わない喧嘩を続けていた二人であったが、気勢を削がれたように、微妙に動きを鈍らせた。

 間もなく戦闘は終了するだろう。どちらかが身を引けば。

 それを見届けた上で、ふとロザリアを振り返ったスヴェンが、自分の額に手を置いた。


「ところで、さっきからここ気にしているけど。なんかあったの? 虫にでも刺された?」

 言われた瞬間、ロザリアは慌てて自分の額をおさえた。

 目に見える痕跡などあろうはずもないのに、湧きあがって来た恥ずかしさのようなものに、頬を真っ赤に染めてしまう。

 その反応が答えだったとばかりに、スヴェンは意味深ににやりと口の端釣り上げた。


「冗談だよ。虫なんかいないよね、いま時期」

 そして、くすくすと声をたてて笑ったのだった。


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