第33話 遭遇戦
腹を抱えて笑うスヴェンと肩を並べ、ジュリアは早足で歩き続けていた。
「笑い過ぎだ……っ」
「いや、まぁ、そうね。まさか逢引現場とは……。刺激が強かったよね」
くっくっく、と耳障りな笑いが続く。
ふてくされ顔のジュリアは、忌々し気に
――挙動がおかしい人影がある。
薄暗い路地裏で、もごもごごそごそと、くぐもった話し声に衣擦れの音。
すわ祭りに乗じた不審者かと、路地に踏み込んだスヴェンであったが、少し進んで唐突に足を止めた。そこから「あー、あれはいいわ」と速攻で踵を返したが、ジュリアが納得しなかった。
入れ違うように前に出て「だって、変な声が聞こえる」と耳を澄まそうとするのを、スヴェンが「やめておけやめておけ」といなしたものの、すっかり戦闘の気迫を漂わせたジュリアは聞く耳を持たなかったのだ。
「何か聞こえる……女性の……悲鳴っ?」
息を飲んだジュリアに対し、スヴェンは肩をすくめて「はー」と盛大な溜息をかぶせたのだが、それでもジュリアを止めることはかなわなかった。
「仕事だ。助ける」
「後生だからやめてジュリちゃん。お兄さんの言うこときいて」
肩に置かれた手を払って、ジュリアは石畳を蹴って走り出した。
数秒後。
慌てた男の声と、女声の悲鳴に、ジュリアの戸惑った声が入り乱れてしずかな路地を賑やかし。
「止めたんだけどなぁ……」
と、スヴェンに夜空を仰がせる結果となったのであった。
*
そこから、ぶらぶらと街の外れを適当に流していたが、異変らしい異変は皆無。
スヴェンが時節思い出し笑いをするのを、ジュリアは渋面で聞き流して耐えている。
「あんまり遊んでいても仕方ないし、街中に戻るか。結構あちこちで喧嘩や小競り合いがあるからね。思う存分暴れられるよ」
「俺はべつに暴れたいわけじゃない。仕事をしたいだけだ」
何か誤解していないか? と真面目な顔をしてうそぶいたジュリア。
そのくもりのない目を横からのぞきこんで、スヴェンは堪えきれなかった笑いをかみ殺すように唇を噛みしめた。
「真面目だよな。正規兵になればいいのに。ジュリアのお師匠様はこの街に根を下ろすつもりみたいだし、お前だって稼ぎのいい仕事は必要だろ」
「……それは」
もう何度目かの勧誘を受けて、ジュリアはいまいち乗り切れないように歯切れの悪い呟きをもらした。
「それとも、何か腰を落ち着けられない理由でも? いつかこの街を出るのか?」
立て続けに問われて、ジュリアは寡黙に口を閉ざす。
街の中心に近づくにつれ、辺りに人の気配が増えてくる。光量も格段に増えて、互いの顔がはっきり見える程度には明るい。
たっぷりと長い沈黙の後に、スヴェンが穏やかな声で言った。
「この街は安全だぞ。何せ俺がいるからな」
「……大きく出たな」
苦笑しながら顔を向けたジュリアの視線を受け止めて、スヴェンは小さく頷いた。
「知ってる? こう見えて俺、昔は王宮勤務だったんだよね」
「噂くらいは聞いたことがあるけど……。都落ちの理由は?」
「おっと。オレに興味が出て来ちゃった?」
にやにやと笑われて、ジュリアは「いや」とことさらきっぱりと言い切った。
「社交辞令で聞いた。そういう風にもったいつけられるのは好きじゃない。興味はない」
「つれないな……」
唇を軽くつりあげて笑いながら、スヴェンは不意に通りに面した建物の壁にぴたりと身体を押し付けた。
その目が、建物と建物の間の細い路地を見つめているのを確認し、ジュリアははっきりと足を鈍らせた。顔には絶大なる躊躇が浮かんでいる。
「行っとく?」
親指で奥を指し示すスヴェンに対し、ジュリアは真面目くさった顔を作って言った。
「判断は先輩にお任せします」
「可愛い」
片目を瞑って見せてから、スヴェンは剣の柄に手をかけた。
ジュリアの表情が硬化する。
その次の瞬間、スヴェンは路地に身を滑らせた。
声掛けも何もなかったが、ジュリアもすぐにその後を追う。
暗いが、まったく見えないわけじゃない。
スヴェンの肩越しに、立っている男が、壁際に誰かを追い詰めているのが一瞬見えた。
(あ、これ)
つい、先程の遭遇を思い出し、足が鈍りそうになってしまったが、スヴェンが駆けながらすらりと剣を抜き放つのを見て、むしろ加速した。
「曲者、発見っ」
常にはない鋭い声を上げたスヴェンが、躊躇なく斬りかかる。
(単独犯か。俺は被害者の確保か?)
背の高い男の足元に、目にも鮮やかな白い帽子のようなものが落ちている。
視界の端にとらえ、身を翻した男の影にいた人物に目を向けた。
澄んだ金属音が空気を裂く。
スヴェンの振りかざした剣を、ナイフ一本で防いだ男。
その横にいたのは背の低い少女だ。
コートの色は暗いが、白い襟やボタンが滲むように浮かんで見える。
「ロザリア!!」
叫んで、ジュリアはスヴェンが組み合った男の顔を確認した。
まさかという思いを、沸き上がって来た闘争心が瞬く間に駆逐していく。
あれはスヴェンの獲物だ、という頭の中で響く声も遠く。
剣を抜き放ったジュリアは相手を叩き斬るべく身を躍らせた。
「何やってんだよヴァレリー!!」
遠くで、ジュリア、と少女のか細い声が上がったが、すでにジュリアには届かない。
素早く懐からもう一本ナイフを抜いたヴァレリーは、「ねぇわ」と小さく呟きながらジュリアの剣も受けた。
力づくの一撃を腕一本で完璧に防ぎながら、ヴァレリーは一度身を引いた。
「俺だ俺。話を聞く気はあるか」
ロザリアを後ろにかばいながら、ジュリアは剣を構えた。
「一応聞く。何していたんだ?」
問い返されて、ヴァレリーは眉を寄せて口を閉ざした。
探るような目でジュリアを見る。
スヴェンは少し距離を置いたところに立っているが、警戒をといている様子はない。
「…………何といえばこう………逢引的な?」
なぜか疑問形だったが、もとより激高していたジュリアの神経を逆なでするには十分な一言だった。
「お前……、節操がなさすぎる!!」
言いながら、ジュリアが切り込む。めざましい速さであったが、予期していたようにヴァレリーはナイフで受けた。
「まあ、そうだな。兄さんとしては許せないものがあるだろうが。しかしだな、エスコートを依頼した時点でそのくらいは織り込み済みなのかと」
「はあああああ!? 言うに事欠いてなんだそれ。こんな年端もいかない子どもに手を出す奴がどこにいるんだよ。殺すぞ」
剣がはじかれた瞬間、ジュリアは体勢を低くして足払いを仕掛ける。「おっと」とすれすれでかわしながら、ヴァレリーは後退した。そこに再びジュリアの剣が迫る。
風を切り裂く激しいやりとりを見ながら、スヴェンはロザリアに歩み寄った。
足元に落ちていた帽子を拾いあげて、軽くはたいて埃を払い落とす。
「兄さんと恋人。オレはどっちに味方すればいい?」
「ええとですね……」
曰く言い難い顔をして、ロザリアが呻く。
それから、ひどくためらいがちに呟いた。
「なんでこういうことになっているのかなって……」
うんうん、と並んで聞いていたスヴェンがなんでもないことのように言った。
「まあいいんじゃない。面白いし」
「ジュリア負けると思うんですけど」
「なるほど。じゃあ、オレは愛するジュリアに加勢すべきなんだね?」
このひとは何を言っているんだろう、と顔にはっきり大きくわかりやすく書いて、ロザリアはにやにやと笑っているスヴェンを見上げた。
「いやあ。まあ、普通の状態だったらジュリアもあそこまで頭に血が上らないんだろうけど。さっきちょっとね。青少年にはきつい現場を目にしちゃって、疑うのを知らない狂戦士が出来上がっちゃったわけ」
耐えきれずに、ロザリアは心の底からの思いを正直に打ち明けた。
「さっきから何を言ってるの?」
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