第26話 帰り道
月が出ていて、風は冷たく、せめて寄り添う相手がいれば紛れるのだろうかという寒さの夜道。
(相手はいないわけじゃない。だけど会話がない)
結果的に、二人の間に降り積もるような沈黙が骨身にしみて
手を伸ばせばぎりぎり届く程度に、中途半端な距離。
「あ、の、さ。飲んでいこうかな?」
それがあまりにも耐え難がったので、ラナンはついそんなことを口走ってしまった。
「何言ってるんですか?」
当然のように聞き返された。しかも、かなり怪訝そうに。表情なんか、見なくてもわかる。ここ二年間、ずっと一緒にいたのだから。
「べつに。そういう気分だったから。僕は飲んで帰る。付き合えなんて言ってないよ。ジュリアは未成年だし」
早く終わる予定が狂って、なかなか帰れなくなってしまい、まとわりつくリーダスに困り果てながら詰所を出たら、戸口にもたれかかってジュリアが待ち構えていたのだ。
『一度家に帰って、ヴァレリーにはお師匠様の仕事が遅くなりそうだと話してあります。暗くなってからの一人歩きは危なそうなので、自分が連れ帰ると。迎えに出る必要はないと言ってきました』
ジュリアがそう言ってくれたので、リーダスの「この後食事でも」という誘いはその場でていよく断ることができた。
口実ではなく、その時は、本当にまっすぐ帰るつもりだったのだ。
詰所から店舗兼住居である住まいまでの道は、繁華街を通る。
冷たい石畳を魔石灯が照らし出し、通りに面した店からは賑やかな声が聞こえる。しかし暖かい季節ならともかく、
あまりぐずぐずせずに帰った方がいいのは、重々承知していた。
だが、急に帰りたくなくなってしまったのである。誰かが悪いわけではなく、強いて言えば最近なんとなく会話がかみ合わない自分が空気を悪くしてしまっている家にいると息が詰まる……と言っては同居人たちに申し訳ないのだが。
「保護者」どころか一個師団相当とか言われる「守護者」もいるわけだし、実に二年ぶりに、子どもたちの心配をすることなく、独り身らしい羽目の外し方をしてみようか、と。
思いついてしまったのだ。
よって、飲むしかない、と自分の中で決まってしまった次第である。
「お師匠様、最近素行悪くなりましたね」
諸々含むところがありまくりといった渋い調子で、自分よりずっと背の高い弟子に指摘されてしまう。
「そりゃ今までは、未成年姉妹の保護者として、夜遊びも飲酒もしなかったよ。君たちだって、僕が飲んだくれていたら嫌でしょ」
「家や目の届くところでなら構いませんよ。すいませんでした。お師匠様が飲むひとだって知らなくて。我慢してました?」
さらりと切り返されて、まだ酔ってもいないのにラナンはつい意固地になって言い返す。
「我慢ってほどじゃないけど。遠慮はしていたかな。一人暮らしじゃないっていうのは大きいよ。若い男女の同居なわけだし」
言ってしまってから、何かひやりとした気配を首筋に感じた。風が抜けた。
気のせいかと思いながら視線を巡らすと、思いのほか近くにジュリアが距離を詰めてきていた。
「な……、なに?」
見上げたジュリアの向こうに、魔石灯の光と夜空の月が見える。
「いえ。ヴァレリーには遅くなると言ってあるわけだし、少しくらい寄り道してもいいかもしれないですね。お師匠様が飲むっていうならお付き合いしますよ。俺は飲みませんが『男同士』ですし、細かいことは気にしません。醜態晒しそうになったら家まで抱えて帰りますし」
通りを眺めていたジュリアが、不意に目を向けて来る。
非の打ちどころのない、完璧な笑みを浮かべていた。
男性であると明らかにした後のジュリアは、顔の造作こそ変わらないのに、日に日に少女の面影を失っていっているように見える。
服装も、男性用に縫製されたもので、正規兵と色違いの上着を羽織っているせいか、もはや体つきからして女性と間違うことはない。
それでいて、視線の鋭い、水際立った美貌は相変わらずであり、間近で微笑まれるととにかく迫力がある。
(おかしいな……。今までは僕に対してこういう、威圧的な態度とることなかったと思うんだけど)
いつからこんなことになったんだろうと考えようとして、思い出しかけて、すぐにその記憶を遮断した。
強盗の入った翌日。
閉じ込められて、抱きすくめられて、男性であると打ち明け次いでにラナンの何かを確認したいと言っていた覚えはある。
だが、少なくともラナンはその件に関して、ジュリアと話し合うつもりはなかった。
「あ……。翼竜亭って、煮込み料理が美味しいって聞きました。ここにします?」
何気なく、ジュリアがラナンの袖を軽くひく。
「え、あ、うん。そ、そうだね!?」
引きずられない程度にきちんと足の向きを変えて、ジュリアについて歩く形になる。
歩調を速めて肩を並べると、改めて感じる身長差。普段、側にいても、ほっそりとしているせいかそこまで意識することもないのに。見上げると、気付いてしまう。
先に立ったジュリアが、通りに面したこぢんまりした店の、丸い木戸に手をかける。
(う~ん、飲みたいとは言ったけど、夜遊びしないから僕はろくにお店知らないんだけど……)
せいぜい仕事で取引のあるお店やその評判くらいは知っているが、下手に付き合いのある店で常連になっても、他のお店との関係が……など考えてしまって、昼間の店何軒かに顔を出してはいる、という程度だ。
飲みたいといっても、どこで飲めるかまでは特に考えていなかったまである。
しかし、ジュリアはさっさと店を決めてドアを開き、中の混雑具合を軽く確認してからラナンを振り返って言った。
「さすがに、祭りの前だとみんなお金を使わないのかな。思ったよりすいてます。入りましょう」
「ジュリアは」
先に帰ってもいいよ、と言うつもりだった。
いくら場慣れしていなくても、料理の注文くらいできるし、お酒も一杯程度では酔わない。未成年を連れまわすくらいなら、おひとり様でも大丈夫。
喉元まで出てきていた言葉を、実際に口にすることはなかった。
「一人で飲むというのなら止めませんけど。その場合、さっき詰所の外で待っていたみたいに、ここでお師匠様が出て来るまで待ちますが。俺はべつにどちらでも構いませんよ」
そう言ったジュリアの口から吐き出された息は白く、冷たい夜気に溶けこんでいく。
すでにかなり相当待たせた事実に思い当たったラナンは、悔恨の思いとともに力なく呟いた。
「ごめん……。一緒に、あったかいものでも食べようか」
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