第27話 掌の上
彼は、人目をひく。
つい最近まで一緒に行動をしていたので、それはもう、よーくわかっている。
どこにいても、さっと視線が集まる。華があるというのか、そこに立つと、気配だけで人を振り返らせることまである。
店の酔客も、給仕をしていた青年も、ドアから吹き込む冷たい風なんか忘れてしまったように気を取られていた。
そもそも、自分だって最初に目を奪われてしまったことを、昨日のことのように覚えている。
綺麗なひとだな、と。
(男装か女装かで、ここまで印象が変わって来るとは思わなかったけど……)
ジュリアが、さっさと柱の影になる壁際の席へと進む。
「お師匠様が奥に」
「いいよ、僕の方が年上だし男だしジュリアみたいに目立たないし」
間違えたことを言ったつもりはないのに、ものすごくきつい一瞥を投げかけられた。
「年上以外全部間違えてます。どうぞ座ってください」
「年上以外……」
ラナンは呆然と反復しながら、ジュリアがひいてくれた席におとなしく座った。
(男まで否定された!?)
気付いたときには少し遅い。
「俺もお腹空いているので適当に注文します。あ、鶏手羽のワイン煮込み、これかな。レモンのフリッターも美味しそう。お酒飲むなら適当につまめるものも欲しいですよね。生ハムとクラッカーもつけておきますか。何飲むんですか?」
「なんでそんなに手慣れているのかな……」
メニューをぱらぱらと見ながら話をどんどん進めていくジュリアを、ラナンは口出しもできずに見守っていた。
「慣れてます? そうかな。そうだ、お師匠様は飲むと甘いものも欲しくなる人ですか? ナッツのメープルシロップがけ、好きそう。あ、甘そうなお酒もありますね。食前酒に軽く飲みますか。冷えましたよね」
冷えているならジュリアの方が……と、心の中ですらもごもごとしか言えない。
その間に、ジュリアは愛想よく給仕を呼んで注文を済ませてしまう。さすがに一緒に暮らしてきただけあって、食べ物や飲み物の好みは把握されている。特に異論もなかった。
最初の一杯に選ばれたのは、林檎ジュースを発酵させたお酒で、木のコップで運ばれてきた。
薄く色づいた水面に、泡がしゅわしゅわと小さくはじけるのを見ながら、ラナンは少しばかり渋い顔をしてみせる。
「よほど信頼しているお店以外は、お酒はボトルで頼んで席で開けろって、ヴァレリーが……。混ぜ物とか気にしてるんだろうけど」
「なるほど。毒見します?」
なんでもないことのように返されて、ラナンは「子どもには飲ませないよ」と呟いてコップに手を伸ばす。
ジュリアは水の注がれたコップを手にしていて、ラナンが持ち上げたところで軽くぶつけてきた。
乾杯。
言葉にすることなく、コップに口をつける。
その様子を眺めながら、そもそも料理を頼んで食べるつもりのお店で、酒だけ疑っても仕方ない、とラナンも林檎酒をあおった。
(甘すぎない。飲みやすい)
美味しい。
疲れて冷えて強張っていたからだが、少しだけほぐれていくような感覚。
「それ飲んだら、次はどうしましょうか。泡があるから重い料理にも合いそうですよね。ボトルで頼んでもいいと思いますけど……。お師匠様のお酒の好みはよくわからないな」
メニューから顔を上げて、ジュリアが視線を投げかけて来た。
ぼんやりと見返してから、自分に話がふられていると気付いて、コップを取り落としそうになる。
ちゃぷっと一滴跳ねたが、テーブル向かいから手を伸ばしてきたジュリアがラナンの手ごとコップを取り押さえた。
「どうしました? もう酔いました?」
「そういうわけじゃないけど!? なんかこう……、話の流れが速すぎて!!」
「ついてこれてないんですか? どの辺から? 言ってくれれば待ちますし、引き返しますよ。一緒に楽しみましょう?」
まだ手を掴まれた状態で、さらさらと立て板に水の如く言われてしまい、ラナンはテーブルに額を打ち付けんばかりに俯いた。
(なんなの!? 六歳下!! 未成年!! 僕をなんだと思ってるのかな……!?)
いわゆる、リードされている状態なのは気付いていたが、事態はもう少し深刻かもしれない。
引っ張られているどころか、掌の上で転がされている気がする。やばい。
「最近家に寄り付かないけど、こういう遊びは誰に教わってるの?」
「遊び? 食事しているだけですよね」
「そ、そうだけど。まあ、だけど、それだけスマートだとモテちゃうね」
なんだろう。絡んでいるだけのような気がする。
ラナンがかぷっと林檎酒をあおると、すかさずジュリアが追加をボトルで注文していた。
すぐに届いたそれを当然のようにラナンのコップに注いで、思い出したように言う。
「
飲み込んだ直後でなければ、ふいていた。
一部、喉を伝っている途中の酒が変なところに入り込んで、むせてしまったが。
ジュリアは「背中さすりましょうか」と控え目に提案してきたが、当然のように断る。ラナンが呼吸を整える間、テーブルに届いた料理を手際よく取り分けてくれていた。
「誰かといえば、仕方ないんですけど、スヴェンと行動することは多いですね」
「仕事以外でも!?」
「教えたがりなんですよ。ああいう性格だし、『新入り』に『兄貴風』吹かせるのが好きなんですよ」
ナイフの先で簡単にほぐれるような鶏肉を口に運び、「美味しいですね」などと言いながら説明をしてくるが、ラナンとしてはどうしても流せない内容だった。
「あいつ、ずっとジュリアのこと狙ってるよね。大丈夫なの? 前はそういう誘い全部断っていたし、か、からだとかも、触られないようにしていたのに。最近のジュリア、なんか抜けてるよね」
一息に言って、クラッカーにチーズとハムをのせてまとめて口に放り込み、酒を飲み干す。
コップを置いたら待ち構えていたかのようにジュリアに注ぎ足された。
「そうですね。割と気安く触られている気はしますけど、みんな気になってるんじゃないですか。本当に男なのか」
「だめだってば。男だろうが女だろうが、興味本位で身体に触るなんてよくないって」
視線。
ジュリアが、沈黙した上でじっと見つめてきていた。
(な……、なに……?)
ぽんぽん言っているときに、言い返されないと、不安になる。
まだまだ言いたいことがあったはずなのに、言葉が喉の奥にひっかかって、しまいに何を言いたかったかも掴めなくなってしまった。
乾いた喉に、お酒がしみる。
(顔が……なんか一気に男になったような)
行動範囲も付き合いもがらりと変えてしまって。
年齢的なこともあるし、もとから準備はしていたのかもしれないけれど。
それこそ、どうあっても女性として振舞うのが無理になる未来を見据えていたのなら、切り替えは必要だったのだろう。
少女の面影をのせようにも、すっきりとした頬には丸みがなく、伏せた睫毛の落とす翳りにすら別人のような硬質さがあり、もう「彼女」はいないのだと気付かされてしまうのだ。
「そのうち、ジュリアももじゃもじゃになるんだもんね」
ツンと鼻の奥に痛みがあって、そんなつもりもなかったのに微かに目に涙を感じた。
「不思議なことに、うちのお師匠様はもじゃもじゃしないんですよね」
「そういうこともあるよ。魔法で抑制しているのかも。髭剃り面倒くさくて」
あまりにもお酒が飲みやすく、つまみも甘辛取り揃えてあって、話している割には飲むのも食べるのもするすると進んでしまう。
ジュリアが、料理を取り分けるのも酒を注ぐのもまるで仕事のように完璧にこなしてしまうせいもあった。
自分では、潰れるほどに飲んでいないつもりだったのに、気付いたときにはジュリアが会計を済ませて、上着を肩にかけられて外に出たところだった。
外の空気は容赦なく冷たいはずなのに、火照った身体はちょうどいいと判断してしまうので、始末に負えない。
「冷え込んでますね」
白い息を吐きながら、厚手のシャツ一枚になったジュリアがしずかに言う。
「僕べつに寒くないんだけど。上着は自分で着なさい」
「いえ、そういうわけには。きちんと家に連れ帰るって、約束しているので」
名前を出さずに言った約束の相手は知れていて、ラナンは困ったように眉を寄せる。
「なんなんだろうね。ジュリアもヴァレリーも、僕を子どもか何かだと勘違いしてるんじゃないのかな」
たまに気晴らししようと思えばお目付け役がつくなんて。
それも年下の。
おかしい。
勢いよく歩き出したら、足首をひねってバランスを崩した。
予期していたかのように、ジュリアが後ろから抱え込むように支えて来る。
「だから……それも……」
「前からが良かったですか?」
ごく耳に近いところで囁かれて、ラナンは身体を硬直させた。
すぐに逃げようとしたが、腕の拘束が強すぎてかなわない。
「僕たち、喧嘩してなかったっけ?」
大切なことを思い出そう、思い出させようとした。
「そうでしたか? いつ?」
穏やかな声で問い返されて、言葉に詰まる。
「……覚えてないけど。一緒に暮らしていると、しょっちゅう細かい喧嘩はしているっていうか」
イライラしたり、言葉を交わすのが少々しんどいくらいの状況にはあったはずなのだ。
しかし、何がきっかけか、思い出そうとすれば色々あるような気がするものの、どれも些末な出来事であったようにも思う。
「そうですね。ただ、今は他に同居人もいますからね。こういう時間を許してくれているのは、仲直りしてこいって意味なんだとは思っていますが。共同生活する上で最低限の仲良さは維持しろっていうか」
ほんとに食えないですよね、あのひと、とこの場にいない人物への呟きをもらして、ジュリアのぬくもりが離れていく。
「あの人が待ってますし、今日のところはこれ以上何も。帰りましょう」
その声を、ラナンはどこか遠くで聞いていた。
「……眠い」
ギリギリのところでそれだけ言って、気持ちよく目を瞑った。
「お師匠様」
声が聞こえて、足がふわりと宙に浮いた気がする。
その後のことは、覚えていない。
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