第24話 衛兵たちの詰所にて
動きが、よく見える。
もともとそういう目をしていた。
(動作が大きい)
刃を潰した練習用の剣とはいえ、当たれば痛いし骨を折るくらいはあるかもしれない。だから、ジュリアは弱い箇所に当て行くつもりはない。
ただし、相手は本気だろう。
何せ祭りの警備の実力試しにかこつけた練習試合で、ジュリアはすでに正規の衛兵を三人抜いている。これ以上勝たせるわけにはいかないはずだ。
そのはずなのに、相手の動きがよく見えてしまうジュリアは、負ける気がしない。
目か、それとも身に着いた感覚なのか。
受けるのも避けるのもわけがない。
束ねた髪の先が跳ねる。
風を切る音を聞きながら、最小の動作でわずかに顔を逸らして相手の剣を避ける。
避けられると思ってなかったような顔が視界を掠めたときには、蹴りが相手の腹にキまってしまっていた。
相手が沈み込んでも、場が静まり返ったままだった。
ややして、審判を務めていた兵から「勝者、ジュリア」の声が上がる。
あちこちから、詰めていた息を吐き出すようなどよめきが広がった。
「情けないな。こんな女みたいな男に次々とやられるなんて」
審判にぼやかれて、ジュリアはなんとも言えない思いで背を向ける。
(女みたいなのは事実だけど、強い女もいるわけで……。見た目が強そうじゃないのは事実か)
慣れた反応だからどうでもいいけど、と息を吐き出し、歩き出す。
取り囲むように観戦していた衛兵にまざりに行くのは面倒だったが、仕方ない。
視線や騒ぎに包まれる鬱陶しさに諦めを抱きながら進んだ。
そのとき、ふっと気配を感じた。
避けようとはした。だが、避けきれなかった。
尻を撫で挙げられる違和感に瞬間的に苛立ちつつ、相手の位置を推測して肘を繰り出す。かわされる。
「いやあ。男だとわかっていてもなかなか」
近い位置から、にやけ顔が想像できる声がかけられた。
「スヴェン……」
振り返ると、空恐ろしいまでに整った甘い顔だちの黒髪の男が、満面の笑みを浮かべていた。
ジュリアの睨みを気にした様子もなく、見つめたら吸い込まれそうな黒瞳で見下ろしてくる。
「女じゃないと聞いたときには、そりゃもう、抱き続けたこの恋心をどうしてくれようと涙にくれたものだが。男だとわかっていてもというか、むしろそれで男だっていうこの醍醐味が」
「何が醍醐味だよ。寄るな」
ずば抜けた長身に、草原の騎馬民族を思わせる顔立ちと、南方の民の特徴を思わせる褐色の肌。
出自の辿りにくそうな、様々な血の混じりを感じさせる容姿をしたその男スヴェンは、のらりくらりとした態度ながらこの街の衛兵の中では一、二を争う実力とも聞く。
「おい、次はスヴェンがいけよ!」
ジュリアと並び立つ姿を見た者から当然のように声がかかる。
だが、にやりと笑い返してスヴェンは鷹揚に首を振った。
「オレは姫君と剣を合わせるつもりはない。怪我でもさせたら首をくくってしまう」
「死ねよ」
ごく自然にジュリアはぼそりと呟いた。
「うんうん。つれないところもそそる」
「そそられてんなよ。いい加減目を覚ませ。姫じゃない」
噛みついてはいるものの、いつになくジュリアの歯切れも悪い。
当然、スヴェンは気付いている。苛立ちつつも気まずい、という表情をしたジュリアを楽しそうに見ている。
「目はさめてるよ、美しいひと……。たとえ男であろうと、オレの心を奪ったその可憐さは色あせることなくうぐ」
避ければ避けられただろうに、スヴェンはジュリアの肘鉄を今度こそまともにくらっていた。そこそこ痛かったはずだが、むしろ陶酔めいたまなざしを向けてくるのが大変大変始末におえない。
次に何を言われるかをよくわかっているジュリアは、先回りして言った。
「愛は痛くない。痛いのは愛じゃない」
「そう言うなよ」
艶っぽく微笑まれて、ジュリアは忌々しい思いとともに目を逸らす。
もともと「少女」であったジュリアを見初めて熱烈にアタックしてきていた男の一人である。
その容姿や実力から、もちろん彼自身女性に熱いまなざしを送られているはずなのだが、ジュリアがてんで相手にしていなくても「ジュリア一人だけ」を宣言して他の女性には見向きもしなかったという。
実に、不毛な二年間を過ごしていた。
過ごさせたジュリアとしては、自分のせいではないものの、若干気まずい。
なにしろ、彼の心を射止めたジュリアが女性陣に恨まれなかったのは、ジュリア自身の立ち回りがあったものの、スヴェンの影の働きが大きかったのもわかっている。それだけでなく、おそらく他の男避けにもなっていただろう。
本人に恩を売られたことはないが、おそらくかなり助けられてきた。
その挙句、ジュリアが「男性」であることを明らかにしてしまった現在、いい笑い物になるかと思いきや「愛に揺らぎはない」という態度を取っていることでむしろ男を上げてしまったという。
とはいえ、その愛は残念ながら受け入れられない。
「いやあ、まさかジュリアが職を探してここに来るとは思っていなかったよ。この美しい顔を見ながら仕事が出来るなんて、急に日々が色づいたようだ。願わくばこのまま正規兵として居着いてくれ。すべての当直はオレと一緒になるように手を回しておく」
夢見るような浸りきった表情で滔々と語られて、ジュリアはスヴェンにだけ聞こえる低い声で呟いた。
「実力の近い者同士が組んだり一緒に休んだりするわけにはいかないだろ」
スヴェンの強さを認めながら、自分も負けないのだという意味で言えば、瞳を輝かせて愉快そうに微笑まれた。
「なるほど。オレはオレで鍛錬に励むとしよう。追いつかれるわけにはいかないからな」
自信家。
「そもそも、オレ正規兵になんか」
「そう言うな。この街で生活していくとして、『お師匠様』について本気で魔導士になるつもりもないなら、こっちの道の方がお前には合ってるだろ」
言いながら、視線がふっと修練場を囲う屋根だけの素通しの回廊に向けられる。
つられて見ると、詰所の事務員に連れられて歩くラナンの姿が見えた。
(ああ、今日はこっちに仕事に来るって言ってたっけ)
何度か同行したことがあるので、流れはわかる。以前はスヴェンを筆頭に衛兵たちに絡まれていたが、今は「美人姉妹」もいないことだし、ラナンも落ち着いて仕事ができるだろう。
そう納得して、視線も意識も無理やり引きはがそうとしているというのに。
「お、隊長がいったぞー」
スヴェンが、神経を逆なでするような明るさで言った。
ラナンを見かけて慌てて駆け寄ったのは四十歳がらみの髭もじゃの男。心なしか顔を上気させて話しかけている。嬉しそうだ。
ラナンはといえば、穏やかな笑みを浮かべて応じている。
「……お師匠様」
反射的に飛び出しそうになったジュリアの肩を、スヴェンの骨ばった手がしっかりと掴む。
「仕事中仕事中、ジュリアの今の仕事はあっちじゃなくてこっち」
声は楽し気なのに力は強い。
女性の姿をしていたときは、こんな風に触られるのを許したことはなかったし、スヴェンからここまでぶしつけなことをされたこともない。
(やろうと思えばいつでもできたけど、しなかったってことだよな)
別に男で同僚だからといって解禁した覚えはないのだが、二年間指一本触れることなく愛を囁いていたスヴェンのことを、今さら邪険にもしきれないのが心情的には悔しい。
「気安く触るなよ」
釘を刺すだけにとどめて、ラナンの方は見ないようにしようと思い切り顔を背ける。
(たしかに、隊長はなんとなーくお師匠様のこと気にしている風ではあったんだよな。「美人姉妹」に絡んでいるようでいて、お師匠様をからかったりいじったりしている奴もいた。お師匠様はあしらっていたけど……)
自分がついていたときは、さりげなく注目を自分に向けることで盾になっていたりもしたし、いざとなったら力づくで追い払うつもりもあったのだが……、一人で行動するようになったラナンは大丈夫なのかと、気にし始めると気になって仕方ない。
出先で卑猥な冗談でも言われてはいないだろうか。何気なく身体を触られていないだろうか。
祭りに一緒に行こうとここぞとばかりに誘われてはいないだろうか。
悶々と悩み始めたジュリアを見て、スヴェンはくすり、とひそやかな笑みをもらしながら、ゆるく肩を抱くようにして歩くのを促す。
ラナンに背を向けさせてから、自分だけ自然な動作で肩越しに振り返った。
目を向けてきていたラナンに、実に感じよく微笑みかけて軽い会釈をする。
少しだけ固い表情をしたラナンは、微かに頷く程度の会釈を返したものの、すぐに顔をそむけた。
その横顔を、スヴェンは目を細めて眺めていた。
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