第10話 茶会準備

 目を吊り上げたロザリアと。

 叱られる気配に、耳を伏せた猫のように肩をすくめているジュリアと。

 二人を交互に見て、ふっとラナンが笑みを浮かべた。


「大変なところを見られちゃったね」


 自分の手に取りすがったジュリアを見下ろし、ラナンはそっと手に手を重ねた。


「お師匠様……?」


 ほっそりとして柔らかい指先の感触に、ジュリアはすがるように顔を上げてラナンを見た。

 ラナンは片目を瞑って、いたずらっぽく笑いかける。

 そして、楽し気に言った。


「こうなったら、ロザリア抜きというわけにはいかないね。ありったけのお菓子並べて、このままお茶会にしようか。昨日の今日だし、三人で少し羽目を外して遊ぼう」

「いいんですか……!?」


 ジュリアを止めに来たロザリアは、その宣言を耳にしてぱっと顔を輝かせる。

 ラナンは微笑んだまま頷いた。


「もちろん。かえって悪かったね。一人じゃ怖かったでしょ? 気が付かなくてごめんね」

「怖かったのはお師匠様では? ジュリアがすみません」


 ロザリアははしゃいだ口調にさりげなく本音をまぜこみつつ、いまだにラナンと手を重ねたままであったジュリアにぱっと笑いかけた。


「兄さま、少しどいてわたしの場所を空けてくださる? せっかくお師匠様がこう言ってくださってますし、わたし席はお師匠様の隣か正面がいいんですの」


 言い終えて、重なっていた二人の手を強引に引きはがす。

 くすっと笑みをもらして、ラナンはキッチンに向かった。


「んん? 円テーブルに三人だったらどこに座ってもそういう配置じゃない?」


 不思議そうに聞き返したジュリアに対し、ロザリアはごくごく低い声で言った。


「ジュリアは床で十分よ。そこで膝抱えて座ってなさい」

「ロ、ロザリア。俺をなんだと思っているんだ」

「どさくさに紛れてお師匠様に手を出した下衆。それでさっきのは何? 媚薬媚薬って。媚薬が悪いんです身体が勝手に~ってお師匠様を押し倒そうとしていたの? ばっかじゃないの?」

「考えすぎだよっ。俺はそういうんじゃないけど、そうとわからない形で媚薬をお師匠様に渡してきたジルが問題じゃない? 知ってるだろ、金物屋の男。だいたいあいつはさ……、言いたかないけど、たぶんお前狙いだぞ。女は若ければ若い方がいいなんて言っていっつもお前のこと見てんじゃん。ああいうの、俺はどうかと思うんだけど」


 ぶつぶつと言い始めた兄を見下ろして、ロザリアはふーっと嘆息した。


「だいたい、ハチミツとラベンダーのシロップが媚薬って前提から兄さまはどうかしてるんです」

「そんなことないよ! 英雄王の伝説で読んだし!? ジルの奴……、きっとお師匠様やら俺たちが媚薬を摂取して悶え苦しんでいるところで夜中に忍んで来る気だったのかもしれない……。どうしよう、言っていたら本当にそんな気がしてきた。許せない。返り討ちにしてやる」

「兄さま。下衆は下衆を知る、ですか? そんな愉快で邪悪な妄想を垂れ流している暇があったら、あっちでお師匠様の手伝いでもしたらどうです? 今頃棚の高いところに手が届かない~ってやってますよ。いつもの」


 言われた瞬間に、ジュリアは速やかに立ち上がった。


「うん。お師匠様手伝ってくる!」


 キッチンに走っていくと、案の定、「どこです?」「あ、ジュリアありがとう。虫がこないように高いところに置いたんだよね。あれかな」「わかりました」と楽し気な会話が聞こえてくる。

 座ろうと椅子をひいていたロザリアであったが、思い直してそっと足音を忍ばせて二人の様子をのぞきこむ。


 棚の高い位置を示したラナンの背後から、ジュリアが腕を伸ばした。

 それはおそらく、最短距離を選んだだけの動作。

 だが、並べば歴然とした体格差のある二人だけに、背に覆いかぶさるようになった一瞬、背中や肩にジュリアの身体が触れたのだろう。

 ハッと小さく息を呑んで、ラナンが身を縮こまらせた。


「これですか?」


 何も気づいた様子もなく、水色に彩色された缶を手にしてジュリアが声をかける。


「うん。それ。ありがとう。お茶の葉を練りこんだクッキーだよ」


 やや早口に言いながら、目を伏せつつ、ラナンが落ち着かなげに視線をさまよわせる。心なしか、ほんのり頬が赤い。


「お師匠様……、それって」


 ロザリアは、思わず小さな声で独り言をもらした。

 あの反応は、照れているのか、嫌なのか。

 日がな一日「可愛いお師匠様」妄想猛々しいくせに、肝心なところで観察力のまったく働いてないらしいジュリアは、ラナンの浮ついた挙措きょそに気付いた様子もない。


「他には何かあります? お師匠様、この家が狭いというのもありますけど、自分の手の届かないところにまで色々置くから」


 のんびりした口調で上を見ながら言うジュリア。

 一方、棚とジュリアに挟まれて退路を断たれているラナンは、著しく目を泳がせながら答えた。


「この家も手狭になってきたから」

「そうですね。一人暮らしには十分な広さだとは思いますけど、二人増えちゃってますからね……」

「もともと、事務所みたいな使い方も考えていたんだよね。この家でも、小物の修理とか、こちらから出向かなくても持参してもらえたらなって」


 言いながら、ラナンはふと口とつぐむ。

 自分を見下ろしているジュリアに気付いて、「ええっとね」と言った。


「考えてはいたけど、実際にはなかなか踏み切れなかったんだ。やっぱり、自分一人のところにいろんな人を迎え入れるって、ちょっと怖かったし。僕は腕が立たないから。だから、二人が来てくれて、ここは家だから仕事は持ち込まない、って決めて気が楽になったんだ。本当だよ。実際、昨日みたいな押し込み強盗がきたら僕なんか」

「俺が守りますよ」


 強張った笑みを浮かべたラナンを、ジュリアの腕が抱きしめようとした。

 しかし、ロザリアからの射抜くような強烈な視線にようやく気付き、腕を中途半端なところで止める。 


(手を出したらただじゃおかないですよ)

(わかってるって)


 目だけで会話して、ジュリアはゆっくりと腕をおろした。


「昨日はお師匠様も怖かったでしょう。もう無理しないでください。すぐに俺を呼んで。何人いたって全員ぶち殺しますから」

「うん……、ジュリア、冗談じゃないのがわかるから、怖いよ。もうちょっと控えめにね。いろんな意味で肝が冷えたよ。逃げてくれって思っていたのに突っ込んでくるし。強いし」


 どこか呆れたような、諦めたような穏やかさで笑うラナンに対し、ジュリアは極めて真摯なまなざしを向けた。


「俺、強いですよ。お師匠様を守るためにもっとずっと強くなります。だから俺から離れないでくださいね?」


 バンバンバンバン、とロザリアが小さな掌でその辺を叩きまくった。

 その派手な音に、二人は同時に顔を向ける。


「ジュリア、すっかり素が出ているみたいですけど? いいの?」


 いわゆる目が笑っていないロザリアの発言に、ラナンが初めて思い当たったように「そういえば」と言った。


「その話をしようと思っていたんだ。ジュリアは姉さんじゃなくて兄さん……なんだよね? それはロザリアも了解しているんだよね?」

「お師匠様よりはるかに了解していますね。黙っていて申し訳ありませんでした。しつけのなっていない愚兄がお師匠様を押し倒……」

「いや、別に!? ジュリアと僕は何もないよ!? ただどさくさに紛れて慌ただしいときにジュリアの事情を聞いちゃったからさ!! ちゃんと確認しようと思っただけで!!」


(襲われている最中ならまともな会話できなかったですよね)


 ロザリアはやるせない気持ちでこくこくと頷いてみせた。


「それで。さっきジュリアとも話していたんだけどさ。あの……もしかしてそのうちジュリアもロザリアも別の部屋が欲しくなったりしない? とか。だけどこの家だとそれは無理だから。今後のこと少し話したいなっていうのが今日のお茶会の主旨だったり……します」

「わかりました。わたしたちもこれ以上お師匠様に負担をかける生活はしたくありませんし。そこの兄が今後男性形態で生きていくのか、それとも今まで通りお姉さんで通す気なのかも話を詰めないといけませんしね……」

「負担とかは別にいいんだけど……」


 ラナンが曖昧に微笑んで、一度お茶をいれなおそうという話になりかけたそのとき。


 いささか夜も遅い時間にさしかかっていたというのに。

 外から、コンコンコン、とノックの音がした。



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