第7話 妖精さんと要塞さん

「それでお師匠様に襲い掛かったと。馬鹿なんじゃないの?」


 夕刻。


 ラナンが所用で外出中に、壊れた日常品の買い出しに出たジュリアとロザリアであったが。

 暮れなずむ道すがら、とつとつと「お師匠様とぎくしゃくしている理由」を打ち明けたジュリアに対し、ロザリアは極めてそっけなく言った。


「そう言うけど、ロザリア。あの人はいつも隠すし秘密にするし大丈夫だって言う。いいか。『大丈夫?』って聞いて『大丈夫』ってこたえる人は本当は大丈夫じゃないんだ。大丈夫な人は誤魔化すポイントがわからないから『何が?』って聞いてくるんだ。お師匠様はどっちだ?」

「兄さまに聞かれたら話が長そうだから、私だったら『大丈夫』って答えておく」

「今ロザリアの話はしてないよな? というか、兄さまに聞かれたらってなんだ。俺限定か。俺限定なのか。俺に聞かれたら面倒くさいのか」

「兄さま」


 さらにまくしたてようとしたジュリアを、ロザリアは冷え切った声で遮った。


「動揺して素になってますけど。これからは世間的にそれでいくつもりですか? お師匠様にバラしちゃったから、『もういいかな』ってことですか?」

「いや……うーん。どっちがいいかな……。実際、女性の見た目の方が追手をかわしやすいだろうし。男の俺を探しているわけだから。つまりお師匠様に迷惑をかけにくいわけで……」


 言いながら、ジュリアは町娘に擬態した服装を見下ろす。

 麗々しい美貌は往来でも人目を引く。一般人としては、はっきりと浮いているのだが、もはや二年も暮らした馴染みの町。評判の美人姉妹に視線を向ける者は多いが、以前ほどぶしつけに絡まれることは減った。

 むしろ最近では紳士協定のようなものが生まれていると専らの噂で、気軽に声をかける者は秘密裏に葬られている――とまことしやかに囁かれている。


「何を悩んでいるんですか、兄さま。男感ありありにお師匠様に野獣のように迫ってしまった以上、その路線も捨て難いということですか?」

「なっ……。俺とお師匠様のことは放っておいてくれ。その辺は……繊細なんだよ」


 顔を赤らめて視線をさまよわせたジュリアに対し、ロザリアは呆れ切った様子で言った。


「それ、兄さまじゃなくてお師匠様のセリフじゃない? 繊細なひとはいきなり恩人を襲わないよね」

「それは……可愛かったから」

「そこはせめて心配だからって言うところじゃないの? 完全に欲に始まって欲しかないじゃない」

「うん、そうだな……。今のはちょっと間違えたかな」

「反省して。お師匠様がかわいそう。飼い犬のくせに手に噛みついちゃだめ。死ぬほど嘆かわしい」


 頭の上にハンマーを振り下ろして、地中にめり込むまで叩き付ける勢いでロザリアは畳みかけた。

 ぐうの音も出なくなったジュリアはしゅんと落ち込んで目元を潤ませている。さすがに泣きはしないが、だいぶこたえたらしい。

 

 見目麗しい姉妹の片割れが、見るも無残に落ち込んでいるのは、すれ違う者たちの胸に迫るものがあったのだろう。


「ジュリア、ロザリア。こっちこっち」


 少し離れた位置から、若い女性の声が二人を呼び止めた。

 先に反応したのはロザリアである。

 超絶完全武装済の外面笑顔全開で、声の主を振り返る。


「シンシアさん。お疲れ様です!」


 花もほころぶ可憐なロザリアの笑顔を前に、シンシアと呼ばれた少女ははにかむような笑みを浮かべた。年の頃はジュリアと変わらない。背伸びすれば女性ともいえるが、顔の両脇に栗色髪を柔らかく編んだお下げを垂らし、弾むように駆け寄って来る仕草には子どもっぽさがある。


「あのね。今日余ったお花があるからあげる」


 そう言いながら、腕に引っかけていた籠から小ぶりの花束を二つ取り出して差し出してきた。

 白やピンクや淡い黄色の、花びらが幾重にも重なった可憐な花であった。


「え、こんなに頂けないです。今からだって売れる時間でしょう?」


 ロザリアがすぐさま胸の前で両手を開いて断る仕草をする。


「かわいい……」


 隣で早速花に目を奪われ、ぼんやりとしているジュリアの足をずだん、と踏み抜きながら。


「ううん。今日はもう疲れちゃったし、いいの。それになんか大変なことがあったんだって? 夜中に押し入り強盗? よくみんな無事だったねー。噂はあちこちで聞いたんだけど……。ラナンが二人を守ったのかな? やっぱり、魔導士は強いのね」


 噂。

 護衛兵の詰所など、直接事情聴取にあたった近辺ではジュリアの蛮勇が囁かれているかもしれないが、真実からだいぶ遠い場所では内容がねじ曲がっているらしい。 

 ロザリアはもちろんその流れに乗った。


「ええ……。家の中は少し荒らされちゃったけど、人的被害は何もなくて。お師匠様が、『僕が二人を守るんだ』って」

「へえ! ひとは見掛けによらないのねえ。ラナンって可愛くて親しみやすいから今まで強いイメージなんてなかったけど。かっこいいんだなぁ」


 夢見るようにあらぬ方を見上げ、何か思いを馳せているシンシアをよそに、ジュリアがロザリアにぶるぶると首を振ってみせた。


(あんまりお師匠様がかっこいいって話しないで! ファンが増えちゃう!!)


 恐ろしく心の狭いことを小声で必死に訴えかけていたが、ロザリアは綺麗に黙殺した。


「そんなわけなので、ご心配なく」

「あ、でもね、お花はもらって。本当にちょっとしたお見舞いだから気にしないで。荒れたお部屋に飾ったら和むかもよ?」

「だけど」

「このお花、ね。ラナンキュラスって名前なの。だから受け取って?」


 片目を瞑ってとっておきの笑顔を見せて来たシンシアの手を、ジュリアがそっと両手で包み込んだ。


「ラナンキュラス……可愛い可愛いお師匠様……」


 明日まで売り物になりそうなお花だしやめておきなよ、と言いかけてロザリアはぐっと飲み込む。

 ジュリアはすでに可愛い可愛い花束ラナンを受け取ってしまっていた。


「うんうん。それじゃあね!」


 満足したように頷いて、シンシアは二人に手を振って歩き出す。


 ほわーっと魂を奪われたように花束に見入っているジュリアに対し、ロザリアは低い声で言った。


「行きましょうか、兄さま」

「うん。このお花、本当にお師匠様みたい。妖精さんみたいに可愛いね。家に飾ったら綺麗だろうなあ……」


 浮ついた様子を前に、ロザリアは小さくぼやいた。


「兄さま、家を要塞にするって言っていたくせに。妖精さんにしてどうするんだよ。要塞さんと妖精さんじゃだいぶ違うでしょうよ」


 もちろん、花に見とれているジュリアは聞いている様子もなかった。

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