第5話 拾って育てた弟子に襲われています。(5)
騒動の翌日、仕事を休んで家の片付けをした。
「ジュリア、いつの間にあんなに強くなったの?」
壊れ物が多いので、ロザリアは片付けの間、隣家に預けていた。
何やらずっと厳しい顔をしているジュリアに、ラナンは笑みを浮かべて尋ねる。
「いつからと言えば元からですけど……、そうですね。この近所に住むシドさんという人に最近剣を教わっています」
「ああ、シドさん。なんか昔すごい剣士だったって聞いたな。そっか。そんなことしていたんだ。そういえばジュリアは一人で出かけることも多いし、知り合いもいつの間にか増えてるもんね。僕が頼りないばかりに、こんなことになっちゃったけど、今回は助かったなぁ」
(元から強いっていうのは初耳だけどねっ)
訳ありにはつっこまない約束だからいいけど、と思いつつ、かがんで割れた瓶や食器の欠片を注意深く拾い集める。
ラナンが手を伸ばした先に、ジュリアが膝を折ってしゃがみこんだ。
「考えたんですけど。私、男の恰好をしましょうか」
「え……!? なんで!? あ、女子どもばかりで男がいない家だと思われるから?」
やけに真っすぐ目をみてきたジュリアが「そうですね」と同意する。
「頼りないけど……、僕も男なんですけどね」
ジュリアのスカートの下に、大きな陶器片があるの拾いたいなぁ、だめだよなあ、と思いながらラナンは立ち上がる。
無言のままジュリアも立ち上がり、ラナンを見下ろしてくる。
「何……? 背が高いぞアピール?」
「それもありますけど。お師匠様、可愛いから」
「……ん? え、なに!?」
ジュリアはすうっと目を細めると、手を伸ばしてラナンのフードをはだけ、焦げ茶色の髪にふれてきた。指が耳をかすめた瞬間、ぞくっと震えがはしった。
「ほんとに、あの男たちに変なことされてないですか?」
「大丈夫だよ!? 手首がまだ痛いだけっ。でも治療師に頼むほどでもないっていうか」
言っているそばから、ジュリアに手を掴まれた。優しかったが、振りほどけないほどにはしっかりと力が入っていた。
「……痕が残ったらどうしてくれよう」
「どうしてくれようも何も、ジュリアもう目いっぱい報復したよね……?」
確認に答えはなく、指に指を絡められてしまった。
「えーと……? まだ何かある?」
先程から何か不穏過ぎる気配だな、とラナンはとりあえず薄笑いを浮かべてみた。
繋いでいた手をゆっくりとほどくと、ジュリアは「いま、お師匠様の部屋で何か物音がしませんでしたか」と涼しい顔で言ってきた。
これ幸いとばかりにラナンは背を向けて、「確認してくるね!」と歩き出す。
リビングから続く自分の部屋に足を踏み入れたところで、背後に人の気配を感じた。
驚く間もなく、ドアを閉じられ、振り向こうとしたときには背中から抱きしめられていた。
「ジュリア……!?」
押し殺した悲鳴を上げたが、ジュリアは抱きしめる腕になおさら力をこめてきた。
「他に怪我がないか確認させてください。お師匠様はすぐに無理をするから、確認するまで安心ができません」
「無理ってなに!? 嘘なんか言ってないし!」
「じゃあ、見せられますよね。私に。全部」
ぎゅうっと一本の腕に締め上げられて、もう一本の腕にはローブの上から太腿を撫ぜられてしまった。
「全部ってなんだよ! 普通に恥ずかしいよ! 家族でもそんなことしないよね、まして若い男と女なんですけど! ていうかこの手はなに!」
太腿の上をゆっくりと行き来する手に手を重ねて止めると、ふふっと背後から笑われてしまった。
「お師匠様、私が若い女であることが気になっているなら、ずっと隠していたこと打ち明けますね」
耳元で囁かれる声が、一段低くなった。
(やばい。これは何かやばい)
避けようもない何かを直感的に悟って凍り付いたラナンの耳に、ついには口づけながらジュリアが言った。
「男なんですよ、私」
「ああ……、そうなんだ……」
何が「そうなんだ」かはよくわからなかったが、それ以外に言いようがなかった。
(耳、耳絶対食べられてる……!)
息がかかっているし、唇がやわやわと触れているような気がするし多分気ではすまされないというか現実だし!?
静かに動転しているラナンに対し、ごく優しい声でジュリアが言った。
「で、この手はですね。確認させてもらいたいなと。お師匠様って、あるのかなってずっと思っていて」
(これ……「何が」って絶対聞いちゃいけないやつだ……!)
太腿の上に置かれた手は、ラナンの手におさえられてそれ以上動く気配はない。ただし、ものすごく際どい位置にあるのは事実だ。
「あの、あるにしても無いにしても、こう、触って確認なんてかなり強引だよね……? ちょっと落ち着こうかジュリア」
「ああ、私が興奮しているの伝わってしまいました? だけどお師匠様も心臓の音、すごいですよ。私が怖いですか? でも、逃げようとはしていませんよね?」
なんだろう。
その疑問の一つ一つに答えると、絶対に追い詰められる気しかしない。
「怖いわけじゃないけど……。まず離して。その……ええと……なんだ。これはどういう状況なんだ?」
「いいですよ、離してあげても。逃げたら追いかけますけどね」
釘を刺すのは忘れずに、ジュリアはラナンを解放した。
背中からぬくもりが離れるのを感じながら、ラナンは数歩進んで振り返る。
「ジュリア……えっと」
声をかけてはみたものの、続けられない。
相変わらずの白皙の美貌に、にじむような笑みを浮かべて、二年近くともに暮らした弟子は穏やかに言った。
「まあいいです。お師匠様の正体を暴いて一緒に暮らせなくなるくらいなら、このままで。時間はまだありますから」
「時間……?」
「私が成人するまで、ですね。お師匠様は一人暮らしの為に姿を偽ってきたのかもしれませんが。魔導士工房の長の末の娘さんが家を出て、この街で暮らしているという話までは調べがついていますので。あとはゆっくりじっくり攻めましょう」
「攻め」
何か明らかにおかしなことを言っているし、こちらの素性はすでに調べられているらしい。
ラナンが、ひるんだ表情で一歩後退すると、ジュリアは笑みを深めて言った。
「さて、早めに片づけてお昼ごはんにしましょう。家がこんなんだし、外で食べてもいいかもしれませんね。お師匠様がこのまま二人でここにこもっていたいというのなら、私は全然構いませんけど。むしろ願ったりかなったり」
ラナンは急ぎ足で部屋を横切り、ジュリアの脇をすり抜けてドアを開け放った。
「さあ! ロザリア迎えてごはん食べに行こう!」
声を張り上げて言うと、ジュリアはくすくすと上品な笑い声を立てる。
「ついでに男物の服も買いたいです。お師匠様のはサイズが合わないから借りられない」
「……っ」
いろんな意味で涙目になりそうだね! と思いつつ、ラナンはダメ元で聞いてみることにした。
「なんで女装していたの……?」
「追手をまくため、ですね」
訳ありの「訳」だ。
「追われている理由は……」
「お師匠様に危険が及びそうなときは話しますけど。差し当たりは大丈夫かなと。ああ、私がお師匠様に『確認したいこと』と交換条件でもいいですよ?」
ラナンにはすぐには受け入れがたい条件を提示して、にこりと笑いかけて来る。
これまでは、極め付けの美少女にしか見えなかったその笑みに、不意に男性を感じてラナンは笑みを凍り付かせたまま逃げ出した。
「ロザリア! ロザリア呼んでくるから!」
まさに脱兎のごとく家から出て行ったラナン。
後ろ姿が見えなくなってから、ジュリアはひっそりと呟く。
「ロザリアは完全に『俺』の味方ですけどね」
唇に笑みを浮かべて、後を追うように歩き出した。
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