第3話 救いの手
生垣の道は突き当りを左に折れていた。恐らく、メッセージの指示はここを指しているのだろう。どこに消えたのか、既に亡者達の声は聞こえない。
(楽に死にたいってどれ程思ったっけか)
曲がった先には赤い鳥居が建っていた。諸川は首を傾げる。本来ここはただの通り道で、この道を抜けた先には住宅街が広がっている。当然、その道中に鳥居が有った記憶は無い。
驚き立ち止った彼を察したのだろう。電子音が『大丈夫。そのまま進んでください。けれど後ろは振り向かないで』というメッセージを届ける。
(なんか、よくある展開だな。後ろ振り向くなって)
先へ進むと程なくして長い石段に辿り着いた。暗闇に呑まれる程長い階段に踵を返しそうになるが、ここまで来たなら行くしかないと覚悟を決める。
(踏んだら消えるとかじゃないよな)
一段一段確かめるように石段を昇っていく。頬を伝う汗を拭い、後どの位続いているのか確認する。まさか階段を踏み外させて死なせるなんて死に方はさせないだろう、等と思うと同時、唐突に吹き荒んだ風はいとも容易く彼の態勢を崩した。
「あっぶねー」
あと少し後ろに体が下がっていれば間違いなく転げ落ちていただろう。安堵のため息が自然と零れ落ちるが、背後から聞こえた声によってその安堵は直ぐさま消え失せた。
「え?」
聞き覚えのあるぼそぼそとした声。振り向けば、少し後ろに亡霊が迫っていた。その後ろには体系も性別も欠損部位も様々な亡霊が連なるように階段を昇ってきている。先ほどと違うのは、そのどれもが彼を目掛けている事だ。
(俺、追われている?)
欠損部位など存在しないかのように昇ってくる彼ら。彼らの眼孔が諸川を捕らえて離さない。
すぐ目の前まで迫りくる手に、けれど竦んだ足は動こうとはしない。
ポーン。
「…!」
着信音が諸川に電流を流す。間一髪、迫った手をかわすと一目散に階段を駆け上った。
到着を告げる鳥居を潜り抜けると、諸川は張り裂けそうな心臓を落ちつけるべくその場へ倒れ込む。
先ほどのメッセージを確認するべくスマホを開けば『逃げて』と今まさに届いた『無事で良かった』の一言。どうやらこの送り主は決まった死に方以外、与えるつもりはないらしい。
ポーン。
心臓が落ち着いてきた頃『境内の脇道をずっと歩いて下さい。辿り着いた先に貴方を幸せにする死があります』と送られて来た。立ち上がり、簡素な佇まいの社殿脇を抜けていく。
暗い脇道に、自身の足音だけが響く。亡霊の姿も、メッセージの送り主も見当たらない。
(疲れたな…)
肉体の疲労もさることながら、極度の恐怖からすっかり思考能力が落ちている。
ふらつく体をなんとか持ち堪えさせ、続く脇道を歩いていく。
行き止まりに辿り着いた時、そこにあったのは一本の杉の木だった。
見上げた先には一本の縄。
ギッギー…ギッギー…。
諸川は動けなかった。
ギッギー…ギッギー…。
杉の枝が軋み、神聖な空気を切り裂いていく。
縄には既に先約がいたからだ。
(あ…)
口臭と加齢臭のハーモニーが公害レベルに達していた仕事のできない上司が現在、目の前でゆらゆらとぶら下がり左右に揺れている。
ポーン。
スマホを持ち上げる。メッセージには『貴方を幸せにする死を与えました』。
自然と体が後ろにのけ反る。
(死んだ、死んだ?)
のけ反った体が前に戻り背を丸める。目の前の死を実感したのだろうか、段々と諸川の口角が吊り上がっていく。
(死んだ、死んだんだ!)
漏れ出そうになる笑い声を抑え、諸川は走り出した。時折躓きながらも、足は止まらない。
(どうしてこんな簡単なことが思いつかなかったんだ。そうだ、こいつが死ねば良かったんだ!)
胸が満たされる。確かにそこにあったのは彼を幸せにする死だった。
境内を抜け、長い階段が迫る。既に亡霊の姿は無く、まるで彼の新たな門出を祝うように雲の切れ間から月明かりが差し込んでいる。
(さっさと帰ろう、久しぶりにゆっくり風呂にでも入って、一杯飲んでから寝るのもいい)
ポーン。
鳥居を潜ると同時、電子音が鳴り響く。彼の足は止まらない。
「ありがとう御座います、神様!」
『どういたしまして」
トンっと、彼の背が押される。宙へ投げ出された彼の体は、ほんの少しの滞空時間の後、急降下を始める。
石段を転げ、打ち、弾み、地面に着いた頃には彼の手足は折れ曲がり、片目は潰れていた。さながらそれは亡霊のように醜悪な姿。
(なん、で)
最期に彼が見たのはスマホを拾い上げる白い手。
『幸せでしたか?」
絶命した眼前の死体を前に、その人物は酷く滑稽なものを見る様に口角を上げた。
駆ける夜 鞠吏 茶々丸 @IzahararahazI
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