第31話 尾瀬忍の書く理由

 ボクはSF研で「猛虫使いの彼女」を書くのがつらくなって、やめてしまったことを話した。

 みんなは黙っていた。慰めてくれなかったし、批判もしてくれなかった。ボクは雰囲気を暗くしてしまっただけだった。

 しばらくして、ようやく尾瀬さんが口を開いた。

「愛詩さん、作家になりたいのなら、作品を完結させた方がいい。たとえつまらないものでも・・・」

「書くのがつらいんです。しかも駄作。書く意味が見い出せません」

「訓練だよ。自分でつまらないと思っている小説を書き続けるのは苦しい。面白味も意外性もない結末を書くのはつらい。しかし書かなければ、技術は向上しない・・・」

「村上春樹先生が最初に書いた小説『風の歌を聴け』は傑作でした。ボクは春樹様のように小説を書きたかった」

「村上春樹には膨大の量の読書体験があり、学生結婚をし、ジャズ喫茶を苦労して経営した人生経験があった。愛詩さんにそれほどのものがあるのかい・・・?」

 尾瀬さんとこれほど話すのは初めてだ。

「ありません。でも、綿矢りさ先生は17歳のときに『インストール』で文藝賞を受賞し、デビューしました」

「きっと天才なんだろうね・・・」

「ボクには才能がない。書く意味なんてあるんでしょうか」

「意味は自分で見い出すものだ。書くのが嫌ならやめればいい・・・」

「尾瀬さんはどうして小説を書くんですか?」

「おれの中には毒があるんだ。その毒を小説という形で吐き出している。書かなければ生きられない・・・」

「作家になりたいんですよね?」

「できれば。おれは高校時代から新人賞への応募を始めている。しかし最終選考に残ったことはない・・・」

 彼が書いた小説に興味が湧いた。

「尾瀬さんの書いた小説を読ませてください」

「いいよ。今書いている小説は途中だから、一つ前に書いたものを読んで・・・」

 彼はボクにノートパソコンを渡した。

「エバとアダムと蛇」という作品が表示されていた。ボクは読み始めた。

 旧約聖書を題材にした小説だった。エバは知恵の樹の実を食べず、人間は知恵を身につけることがなかった。蛇がそれを食べ、蛇人となって文明を発展させる。エバは生命の樹の実を食べて不老不死になり、蛇人の歴史を見守るというストーリーだった。

 読みやすい文章でスラスラ読めたが、それほど面白くはなかった。中編小説で、1時間ほどで読み終わった。

「正直な感想を言っていいですか」

「どうぞ・・・」

「面白くありません」

「おれもそう思っている。だからそれは新人賞に応募しなかった。しかしかと言って他の小説がそれより面白いというわけではない。おれには才能がない。これ以上向上するのがむずかしいという壁にぶつかり、越えることができないでいる・・・」

「これからも書き続けるんですか?」

「さっきも言ったとおり、おれの中にはもやもやとした毒がある。執筆はそれを吐き出す手段だ。でもプロの作家になれる見込みはないから、就職活動をして、できれば正社員になりたいと思っている。食うためだ。きっと忙しくなる。そうなったら書けないかもしれない・・・」

「社会人になってから、どうやって毒を吐き出すつもりですか?」

「そこまではわからない。おれはメンタルが弱いから、やっていけないかもしれない。仕事をして、精神を病む人は多いらしい・・・」

 ボクは絶句した。

「おれからも訊こう。愛詩さんはどうして小説を書くんだ・・・?」

「それは、春樹様に憧れているから」

「それだけではきっと書き続けられないだろうね・・・」

「・・・っ!」

 ボクと尾瀬さんの対話を他の会員は黙って聞いていた。

 話が終わったタイミングで、藤原会長が言った。

「次の定例会日から、映画の撮影を始める。まず、土岐のマンションのシーンからだ。愛詩はへそ出しゴシックロリータを持って来てくれ。メイクもきちんとしておくように。土岐は部屋を整理して、なるべく清潔な服を着ろ。会室で集合し、土岐の部屋へ行く」

 映画撮影。いつまでも落ち込んではいられない。気持ちを切り替えないと。

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