第30話 創作鬱

 山根蜜は昆虫好きな少女だ。女の子としては珍しい趣味かもしれない。

 僕と彼女はよく虫を探して河原や林や田んぼをうろついた。彼女はときどきびっくりするような大物を見つけた。20センチの大クワガタとかそれよりもっと大きなタガメとか。

 蜜は気に入った昆虫を見つけると、じっと静かに眺め続けた。

「捕まえないの」

「うん」

「どうして。虫が好きなんだろう」

「見ているだけでいいの。捕まえたらかわいそう」

「こんな大物、日本最大かもしれないよ」

「そうかな。ちがうと思うけど」

 確かにそれはなかったようだ。近年、昆虫は大型化しているということを、僕はテレビの昆虫特番で知った。30センチオーバーのカブトムシが発見されていた。

 すごい、と僕は思ったが、後に30センチ程度の虫では驚きもしないことになる・・・。

   ▽ ▽ ▽

 ボクは自宅で「猛虫使いの彼女」を書いている。

 ノートパソコンのキーボードに文章を打ち込んでいる。

 書き始めたころ、調子がよくて、指は止まることなく、発想は次々と湧いて、打ち込みが間に合わないほどだった。

 書いた文章が次の文章の連想を生み、第1話を書いている途中で第2話の内容が生まれ、その連鎖は小説の中盤まで途切れなかった。

 楽しかった。文章を書くという地味な行為が、恋愛にも似た高揚感を生んだ。

 中盤を過ぎたころ、テンポが変わった。

 この小説、ストーリー進行が単調すぎやしないかという疑念が湧いた。

 ボクの指は滞りがちになった。

 もうそろそろ起承転結の転を書かなくてはならない。

 でも、最初に構想を練ったとき、転も結も考えていなかった。書いていれば連想が湧いて、きっと転を思いつけると楽観していた。

 前半はそれを疑いもせず夢中で書いていた。こんなに調子よく楽しんで書けているんだから、この小説は面白いはずだと確信していた。最後まで連想が続くはずだ。そう思っていないと小説なんて書けない。ことに長編小説は。青春の多くの時間を注ぎ込んで、誰とも会わずにキーボードを打ち続ける。面白い小説を書き上げられると信じ、それをたくさんの人が読んでくれると確信できなくて、どうしてそんな行為が続けられるものか。

 しかし中盤に差し掛かったころ、確信は疑念に変わった。高揚感も薄れてきた。

 山根蜜の行動がワンパターン。少し流れを変えなくてはならない。

 転を書かなくては。

 期待していたような連想は湧かなかった。

 陳腐でありきたりな続きなら書ける。でもボクが書こうとしているのは、ハヤカワSFコンテストで賞を取れるような傑作だ。身の丈に合わない高望みだと知っている。しかし陳腐な作品を書く意味なんてない。

 ボクにしか書けない傑作でなければ、書く意義はない。

「猛虫使いの彼女」を読み返してみた。予想どおり、最初の方は面白かったが、途中から意外性のないくだらない小説に落ちぶれていた。

 ボクは小説を立て直そうとがんばった。

 山根蜜に恋愛をさせ、失恋をさせ、敗北をさせた。そこから這い上がる努力をさせた。

 ありきたりだった。

 ますますつまらくなった。

 猛虫=自然と人間との共生という最初に抱いたテーマから逸れて、ただの恋愛と勝負だけの小説に堕した。面白いラブストーリーならまだマシだ。でもそうじゃない。

 つまらないつまらないつまらない書く喜びが何もない。

 ついにボクは書けなくなった。

「猛虫使いの彼女」は未完の作品となった。

 別に初めてのことじゃない。

 ボクはいつもこうなんだ。

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