店番の日常
そのニュースは季節外れに上陸した台風のように、この国を駆け抜けた。
俺はといえば、そんなニュースとは無関係に、いつもと同じように買い物客の少ない通りに向かって座りながら、平穏な日常を過ごしている。
昼飯前で少し腹が減ったなと思いながらも、背後に並ぶ干物の匂いの誘惑に負けることなく、おふくろの言いつけを守って健気に店番を続ける俺に、隣の青果店のメイが話しかけてきた。
「暇ねぇ」
「ああ、暇だな」
小さな頃から兄妹のように育った俺たちは、それなりに仲良く、それなりに喧嘩もする。メイも俺と同じで日中は大体店番をしていた。俺より愛想がいいうえに、そこそこの
時々、店に来た客が俺たちを見て兄妹のようだというと、メイは決まって「バカいわないで、姉弟でしょう?」と、見下したようなもののいい方をするのが、腹立たしい。
メイは誰も歩いていない通りの、ずっと向こうをぼんやりと見つめてつぶやく。
「そういえば、駅長さん。亡くなったらしいわよ」
「そうらしいな。朝からニュースはその話題ばかりだ」
俺は特に驚きも寂しさもなく、ただ静かに答えた。
朝からその名前を聞かぬ時間はないほど、彼の話題はテレビやラジオで、それはもううんざりさせられるくらい繰り返されている。
その名前は「たま」。たぶん、日本で一番有名な猫だ。
いや、あの国民的日常アニメーションに出演している方ではなく、駅長の「たま」のことだ。
やつが駅長を務めたのは廃線寸前の寂れたローカル線だった。やつに会うために多くの観光客が鉄道に乗り、それがひとつの鉄道会社の経営危機まで救ったっていうんだから、テレビドラマさながらのサクセスストーリーってやつだ。
実は、かくいう俺もたまに会いに行ったことがある。もっとも、たまのまわりは人だかりができていて、俺が近づく隙も無かったので、離れた場所から一方的に見ていただけだったが。
正直いうと、やつは改札に設けられた駅長の席に座って、ただ日向ぼっこをしているようにしか見えなかった。けど、そのたった一匹の猫の死を、さもこの国の一大事とばかりに、朝から何度も繰り返すってことは、やつはそれほどの成功者だったってことなんだろう。
「この寂れた商店街にも、たまみたいな人気者の商店会長でも現れたら、もう少しは人通りが多くなるのかしらね」
自嘲気味にそういうメイに俺は「さあな」と曖昧に返事をしただけだった。
俺たちがぼうっと通りを眺めて過ごしていると、午前中の用事を終えたおふくろが、店の奥から出てきて声を掛けた。
「トラ、店番ご苦労さん。お昼御飯にしようかね」
と、俺の頭をその大きな手でわしゃわしゃと撫でる。俺は意識してもいないのに、目を細めて鼻を突きあげた。自然と顎が上を向く。
メイが意味ありげな目線を俺に送っている。俺はメイに深い枯草色をしたキジトラ模様の尻尾を「こっちを見るなと」いわんばかりに振った。
おふくろは、ニヤニヤとしているメイを見つけると、奴にいった。
「あら、メイちゃんも店番中? 偉いねぇ、アンタも一緒にお昼御飯食べるかい? ウチの干物の残りもんだけどね」
深めの皿に鯵の干物のほぐし身と缶詰が入ったウチのおふくろ特製の猫餌だ。メイはすっと立ち上がると、ピンと伸ばした尻尾をゆらゆらさせながらおふくろの足元に、そのサバトラ模様の美しい毛並みを摺り寄せた。
この世渡り上手め。
「メイちゃんはいい子だね。ウチのトラの愛想のなさったら、たま駅長の爪の垢でも煎じて飲ませたほうがいいかねぇ」
メイと頭を突き合わせて餌を食べていた俺は「にゃあ」と一言抗議の声をあげた。
たまが偉大な駅長になれたのは、鉄道会社の社長の経営手腕のおかげだ。ウチのおふくろにこそ見習ってもらいたい。
世の中、たまのようなシンデレラストーリーばかりが転がっているわけではないのだ。店番するだけでも感謝してもらいたい。
さて、昼飯を済ませたら、店先のひだまりでひと眠りするとしよう。それが俺の日常だ。
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