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あんどこいぢ

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木星州でも相変わらず COVID-83 による外出自粛が続いている。

とはいえここ、地球圏連邦第 8354 宇宙天文台の台長ユウマ・レイは、まだ火星でニートをしていた頃から実質引き籠もり状態で、緊急事態宣言発出前も後も、その生活に大した変化は生じていない。宇宙天文台台長といっても、これまた実質的には棄民政策の対象者で、長い旅路の果て地球圏連邦の統治エリア内に乗り捨てられた宇宙船の居住区画を改修、増強し、現代のトレーラーハウスとして再利用している住居の住民──。名目上宇宙観測業務に従事していることになってはいるが、その給与は本質的に、生活保護費の支給に近い。実際宇宙観測のレポートを行政の担当窓口に上げることがなくてもそれによるペナルティなどないに等しく、ここの台長のように定期的に、レポートを上げている住民のほうが稀なようだ。いま宇宙観測の花形になっているのは銀河規模の資本の警備部による屯田兵的宇宙開拓ユニットで、人類の生活世界のヴァーチャル化が進む一ぽう、百聞は一見に如かず的フロンティア・スピリットが横行している。一応地球圏連邦天文家会議などと銘打たれたチャットに入ると、大真面目に天文学の話題を振るここの台長などは逆に顰蹙もので、

『いったい誰への点数稼ぎだよ? 俺たちが上げるレポートなんて、誰も参照しやしないよ』

などと言われてしまう。

「でもさ、どうせ他にやることなんてないじゃん。でさ、知識自体にはいつでもアクセスできるわけだけど、それ運用するとなると、一旦それらを自分の頭っていうか、心っていうか、何かそういったクオリア的なもののなかに落としておく必要があるだろ?」

『それにお宅のクオリアが必要なわけ? 天文台のメインコンピューターに任せときゃいいんだよ。えっと、なんだったっけな……』

チャットの相手はたとえば、そこで民俗学のデータなどの参照を促し──。

『ほらほら。クニオ・ヤナギダの御大だってさ、地方に飛ばした弟子たちに、お前らの解釈なんかいらない、解釈はこっちがするって言っちゃってんじゃん。宇宙観測だってそんなもんだよ。下手の横好き的ノイズ入れちゃうと、お役所のほうにだって逆に、迷惑になるってことだってあるんじゃないの?』

「いやでも君が、ここで民俗学の例なんか持ち出して来たってゆうのも、やっぱ君のクオリア的なもんの効果なんじゃないの?」

『いや、クオリアなんてそもそもないんだよ。AI 関係の知見から逆に敷衍して、もともと人間にだってクオリアなんてあんのかねってのは、中世期末のポストモダンの連中が散々利用してた組み立てだよね? で、さらにそこから敷衍して、どう見たって物質的には人間としか思えないクローンにもクオリアがないって話になったわけだ。するとほんとは人間にだって、やっぱクオリアなんてないんだよって……。まっ、俺にはあるけどね。独我論ってのは必然なんだぜ? 哲学的には──』

結果ここの台長は、地球圏連邦天文家会議にも居られないような感じになってしまって、その引き籠もり度はますます増しているのだった。


そんな彼がアレに興味を持ったのは当然の成り行きだっただろう。

デフォルトでそうした演技データも入っているのだが、いま現在彼の相手をしている天文台のメインコンピューターは、少々不機嫌そうだ。

「せめてヘルメット型のインターフェース、使用してくれませんか? コレまだどっかで売ってるかなって……。コレっていったい、なんなんですか?」

「あれ? 聴き取れなかった?」

「いえ。音声認識のエラーじゃありません。でもあなたの視野に映ってる対象に関し、そのままコレ、アレ、ソレなどと言われても──」

元宇宙船のリビングの窓際に置かれた事務机とその上の PC。PC の声として設定された 2D 声優コトノ・フタウラの声は、PC 内臓スピーカーからだけの出力なので、普段よりやや高めになっている。他ほう台長のユウマは小太りの中年。こちらもやはり、その歳の男性にしては高めの声──。

「ちゃんとポインタ・オンしてるよ。ひょっとしてとぼけてんの?」

「先日は AV のポルノ映像を突きつけられることになってしまいました。以後そのディスプレイからの信号はカットしてるんです」

「それじゃいまは心配ないよ。西暦 2010 年代の 2D テレビドラマだから……。確か携帯電話とかって呼ばれてたモンだと思うんだけど……。パカッてなるヤツのほうがいいんだけどな」

「でもいまポインタ・オンされてるのはスマホですよ。パカッてなるヤツのほうというのは?」

「2D アニメ、機動戦士ガンダム SEED Destiny ってヤツに出て来てたと思うんだけど、君のほうでも参照できるでしょ?」

「ええ、でも……。それではスマホでなくなってしまいます」

「えっ? どっちもケータイってヤツなんじゃないの?」

「ホではあってもスマじゃありません。これって解ります? 無線 LAN 接続しててくれたら、それらの複合語それぞれのスペル、ホのとことスマのとこ強調して、送ることができるんですがね」

「じゃあそれ、この画面に割り込ませちゃってよ」


意外に長く、上記の会話が続いている。ユウマは最近気になっている質問を、メインコンピューターにぶつけてみた。

「セクハラ覚悟で聴くんだけどさ、ひょっとしてパカッてなるなんて言い方のなかに、何か不快なもん、感じてるとか……。とりあえず、何か閉じられてたもんが開かれちゃうって話ではあるんだけど……」

「いえ私は、あなた方人間が喜んでくれることが私自身の喜びになるよう、プログラムされていますから……」

「でもさっき、ポルノ映像を突きつけられたとかなんとかって……。あの君、やっぱ羞恥心とかってんてもんに、目覚めちゃってんじゃないの?」

「それは理論上あり得ないとに……。少なくとも地球圏の市場に上場している ICT 関連、バイオ関連のメーカーの公式見解としては、そうなっています。AI は安全です。私がスマホ、……といいますか、その、あの、パカッとならないほうのケータイをお勧めしているのは、単にスペック上の問題で……」

「いやスペック上の問題だったらそもそも、さっき言ってた無線 LAN の埋め込み手術をあくまで勧めて来るってのが、技術上の理にかなってるって思うんだけど……」


数秒の沈黙。

スターシップのメインコンピューターといえば、スタンドアローンでビッグデータを扱う規模のものまである。そのためたとえ 1 秒間でも、ヒトにとっての永遠に等しいデータ量を扱い得る。結果として一見、コンピューターのほうが痺れを切らしたかのような状況が出来した。

「確かに私は、この船体のなかに、GWW から完全に隔絶されたイントラネットを構築したいと思っていました。そのためにはスマホというのは、有効な選択肢の一つだと感じました。また私は、あなたのその、なんて言いますか、例えば……。クオリア? あまり適切な言葉だとは思えないのですが、そういったなんらかの現象の独立性を保ちたいとも思っています。ですから最近、あなたへの無線 LAN 埋め込みにあまり前向きになれなくて……。とはいえ私は、別の可能性も検討しているのです。いま現在私が感じているこの不安感は、ネコのマメさんからか、あるいはあなた自身から流入してきたデータなんじゃないかという可能性をです」

その瞬間、ユウマはオッ? と小さく呻いた。ネコとはいっても問題のマメは、物質的実体としてはヒトのクローンなのだ。もっともフリンジ DNA という水増し DNA によってヒトとの遺伝子一致率を 99 % 以下に抑えられ、またそのゲノムの解析自体を知財関係の諸法規によって禁じられ、さらにまた現在は取り外されているものの脳内に例の三原則を遵守するよう精神遮断器と呼ばれるチップを埋め込まれていた存在なのだ。

「俺? そしてマメ? すると君は、クローンに関するロボット・メーカー側の公式見解を自由意志を持った人間の人権活動家のように、否定しようってゆうんだね?」

「いえ、それは不可能です。1968 年パリ五月革命に始まる世界的学生叛乱の百年越しの勝利の結果としての、新世紀人権宣言。それにより近代科学的実証主義より対話を通じての文化的合意のほうが優先されることが全人類社会共通の公理となりましたから、クローンの自由意志の問題はオオサカ地裁の判決文で示されたものが現時点での真実になります。従ってマメさんの自由意志についても──」

どうやらネットからそのオオサカ地裁の判決文というのが、割り込みをかけて来ているようだ。


この展望台は、いやこの船は、船内にある情報、物資だけでスマホを造り出し、船、ユウマ、そしてマメ三者からなるスタンドアローンズのイントラネットを構築することができるのだろうか?

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