第47話 サトシ6 -開眼-

 球界の盟主、東京ベアーズは、苦しみながらも一年の総決算に入っていった。


 アンダースローのエース・スギタチは、他のチームのエースたち同様に、交流戦でチルチルに打たれてから、しばらく調子を崩していた。日本のエースとして、チルチルに及ばなかったことが、恥ずかしくてしょうがなかった。


 しかし、ペナントレースが進めば、そんなことも言ってられない。夏になってもチームは二位と三位を行ったり来たりしている状態に、ようやくスギタチにも火が付いた。エースがノーヒット・ノーランで復活すると、チームも勢いづいた。


 八月の終わりが近づくと、ついに首位に立つ。新しい戦力も看活躍した。その中の一人にサトシもいた。サトシは長いリリーフも、右打者へのワンポイントも、こなした。


 最後はベアーズが上がって来る。やはりベアーズは強かった。みながそう思った。


 サトシは、大事なペナントレースの終盤でも、朝、一人で魔球の練習をしていた。一瞬だけ浮き上がる不思議な変化球。スピード、回転、風、全てが一致した時、インパクトの直前に、浮き上がってバットから逃げるボール。


リョウゼン和尚に背中を見られながら、ただその奇跡のタイミングを獲得するために、投げ続ける。


「そろそろ時間ですよ」

 サトシは、没頭すると投げ続けてしまう。そうなると、疲労がたまりすぎ、試合にも影響が出てしまう。もしそれが原因で二軍に落とされては本末転倒になる。


リョウゼン和尚から、魔球の練習は一日三十分だけと決められた。握りやフォームの確認をしながら投げれば、多くても一分間に三球である。限られた投球数にどれだけ集中できるか。


 公式戦もいよいよ終盤になっていく。サトシは焦りはじめる。果たしてチルチルとの対戦に間に合うのだろうか。


 サトシは、自分の所属するベアーズも、チルチルのいるドルフィンズも絶対に日本シリーズに出ると信じていた。後は、自分がこの奇跡のボールをマスターできるかどうか。すべては自分にかかっている。


しかし、まだ一回も成功していない。


 あせれば、あせるほど、ボールは乱れ、ただのキャッチボールみたいになってくる。そこで、リョウゼン和尚は練習を止めた。

「何を、慌てなさる。来るときは来るのです。まずは欲を捨てること。空気を読んでそれに従うのみです」

 

 サトシはうなずいた。ただひたすら無心で投げ続けること。その先に結果がある。


 そして、その一球は確かにやってきた。結果を恐れず回転の速さだけを意識した一球だった。


投げられたボールが途中で瞬間に浮き上がったのが見えた。

「おう」

 リョウゼン和尚も声を上げた。


「やりました」

 サトシは、思わずガッツポーズを見せた。

「はい。次はそれが確実にできるように」

 サトシは自信満々でもう一回投げると、また、変化のないボールが石垣に当たった。サトシはがっかりした。


「十歩進んで、九歩戻る。この繰り返しです。でも、あなたは確かに成功の体験を得た。ただその形を取り戻すだけです」

 サトシは、また投げ始めた。そして練習最後の一球、またしても石垣にぶつかる直前にボールは浮き上がった。

 

「明日はまたもとに戻ってしまうかもしれません。それでも、また同じように探し続けるしかない。探し当てたら、今度は身に着くまでやり続けるしかない」

「まるで、修行っすね」

 リョウゼン和尚は、にっこり笑った。

「そうなんですよ」


 次の朝、再び、サトシは浮き上がるボールを投げた。今度は偶然ではなく何とかイメージをつかんだ。今度こそ行けると思ったが、次のボールは浮き上がらなかった。 


「あせらず、あせらず」

 サトシは、自分に言い聞かせた。二十球ほど投げるとまた、ボールは浮き上がった。スピード、回転、風、三つの関係がぼんやりとイメージできるようになった。


投げ続けると、段々とボールが浮き上がる確率が高くなっていった。魔球が少しずつ自分のものになっていく感覚があった。二十球に一球が、十球に一球になり、そして三球に一球へと、どんどん成功率が上がっていく。

「素晴らしい」

 リョウゼン和尚は拍手をした。


「いつまでも、ここで投げていてもしょうがありませんね。野球選手はグラウンドで相手のバッターに投げなければ意味がない。どうでしょう、卒業試験としましょうか」


和尚は提案した。

「五球続けて、ボールが浮き上がったら、終わりにしましょう。もうここで投げる必要はありません。あなたの行くべき場所は、球場のマウンドです」

「はあ」

「ただし、条件は、一球でも失敗したらおしまい。また次の日にやり直しということで。厳しいですか?いえいえ、本番は一発勝負です。そのくらいの確実性がなければ、自信をもった勝負なんかできないのでは?」


 確かに、リョウゼン和尚の言う通りだった。相手は超能力者と言っていいほどのポテンシャルを持った世界一のバッターである。しかも数万人の大歓声がうずまく球場。いつでも投げられるボールでなければ、本番で発揮できる可能性はほとんどない。


 最初の一球、サトシは浮き上がれと念じて投げた。しかし、ボールは浮き上がらなかった。

「では、また、明日」

 

 サトシは悔しくて、球場の練習場で、何度もネットに向って魔球を投げた。他の選手達は、何か特別な調整方法かと、少し気になったが、コーチも相手にはしなかった。

 

 確かに、練習ではボールが九割はイメージ通りに、ベースの直前で浮き上がるようにはなった。後は平常心の問題。


 翌日、同じようにリョウゼン和尚の前で、あの魔球を投げる。


 第一球、サトシの意図通りに、ボールは浮き上がった。サトシは喜んだ。

「これはいける」


 第二球、またしてもボールは浮き上がった。今日はいけてる。ボールは自分のモノになっている。五球連続は間違いない。自信を持っていくんだ。サトシは成功を確信して、投げた。三球目。ボールは、浮かなかった。


「うそっ」

 サトシは呆然とした。


「残念ですね。また頑張りましょう」

 リョウゼン和尚は、にこやかに言った。


 その翌日もボールは一球目から、浮かなかった。サトシは、焦った。翌日からは、名古屋への遠征だったので、三日間は和尚の前で投げることはできない。何としてでも、今日決めたかったのだ。


 名古屋での試合、魔球のことが気になり、準備に集中できていなかった。コントロールミスで、敵の八番バッターのキャッチャーにホームランを打たれ降板した。


 サトシは強く反省した。自分は余裕をもって試合に臨めるような人間ではない。どんな時もベストを出して、ようやくこのマウンドに立つことができるのだ。魔球の練習は言い訳にもならない。普段のゲームも、魔球の完成も、どちらも100%の集中と努力が必要なのだ。


 遠征を終え、東京に戻ると、再び寺の境内に行った。リョウゼン和尚は、はき掃除をしていた。

「おやおや、サトシさん、なかなか覚悟の決まった、いいお顔をなされている」


 その日、サトシは、二球続けて、ボールを浮かすことに成功した。三球目も成功。


 四球目、ボールは浮き上がらずに、普通に沈んだ。しかし、サトシは受け入れた。それは、自分がまだ足りないだけだと、悟った。

「ありがとうございました」

「明日またがんばりましょう」

 リョウゼン和尚は、笑顔で返した。


 次の日は、初球から失敗した。前進と後退を繰り返している。サトシは後悔しない。これが自分の力なのだから。


 サトシは、寮に帰って目をつむって、成功した時のイメージを何百回も頭の中で反復させた。あの投球を自分の神経の奥にある、自分の根源までしみつける。


 試合になれば、魔球を忘れて、集中した。2位の名古屋ボンバーズとの直接対決、1点差を追い上げる八回に登板した。見事に三者凡退に抑えた。九回にチームは逆転し、優勝を目指すベアーズには、大きな一勝になった。


 神戸への遠征。朝、ホテルでも浮き上がるボールをイメージし、指先には見えないボールを感じて、シャドーピッチングをする。もはや投げられたボールが浮き上がるイメージしか出てこなくなった。後は現実がイメージに追いつけばいい。


 神戸から寮に戻った翌朝、いつものように寺の境内へ行く。それはもはや日常だった。


一球目。ボールは浮き上がった。もう喜びも何もない。ただ、体に染みついた動きとして、ボールを投げただけだった。二球目、三球目とボールは思い通りに浮き上がる。


 ゴールが少しずつ近づいてくる。しかし、サトシはなぜか緊張することもなかった。ボールが浮き上がるかどうかは、ただの結果に過ぎない。ボールが手から離れた後は、人の力の及ばない。


 サトシは、もう一喜一憂しない。それは、実際の投球動作だけでなく、数万回のイメージの反復により、たどり着いた境地だった。


 四球目もボールは浮いた。石垣から跳ね返ったボールをグローブで拾う。


最後の一球の前、リョウゼン和尚は、もう確信したように笑っていた。


 五球目を投げた後、サトシには確かにやりきった感があった。


「おめでとうございます。もう、世界にお披露目しても、大丈夫ではないでしょうか」

「ありがとうございます」


 サトシは、リョウゼン和尚に、大きく頭を下げた。ナイターで勝てば、リーグ優勝が決まるその日のことだった。


 


 



 

 




 

 



 


 

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