第46話 サギザワ -ペナントレース-
サトシが魔球に取り組んでいる中、ペナントレースは残りわずか、最終局面に突入していた。
埼玉ドルフィンズは、チルチルを徹底的に敬遠され始めると、急激に勝率が下がっていった。チルチルのフォアボールだけでは、得点にはなかなかつながらない。
うまく代走が盗塁を決めても、次のバッターが内野フライに終わったりした。自分のチームの投手がいい時に限ってバッターは打たず、反対にバッターがホームランを連発した日には、ピッチャーはそれ以上に打たれた。そういう悪循環にもおちいり、八月のシーズン後半戦に入ると、十連敗を含めて、大きく勝率を下げた。
前半戦では、ぶっちぎりの優勝と思われたのが、徐々に勝率を下げ、気が付くと、十ゲーム以上差があったのが、他のチームがもうすぐ後ろまで追い上げて来ている。勢いは他のチームにある。
そして勝負の九月に入っても、投手陣は調子が上がらない。特に、リリーフ陣は数が不足している。広島シャークからトレードで取ったリリーフ投手も、最初は調子が良かったが、八月には連投の過労からか、調子を落とす。これなら、サトシを一軍に呼んだ方がよかったかもと、投手コーチは少し後悔していた。
勿論、シーズン序盤の、チルチルの大活躍で、これで優勝は決まりと、早くから部下に優勝記念のイベントの準備をさせていたスズノスケは、失速に激怒していた。なぜ、代打でフォアボールを取るしかできない選手に、大事な外人枠を使うのかと、自分のことは棚に上げて、経営会議で文句を言った。
チルチルが打たないので、シーズン末はアメリカのネット配信会社との契約の打ち切りすら言われかねない。早くサギザワに何とかさせろと、わめいた。
勿論、監督のサギザワの耳にも、スズノスケの文句は届いていた。しかし、サギザワも今回ばかりは無視した。
もう、サギザワも覚悟はしていた。あれだけ前半あったリードを、食いつぶしてしまったのだ。もはや、自分への不信感は、チームの経営陣にも、大きくあるに違いない。
暗に球団からは、チルチルを二軍に落とすことを示唆された。もはや商品価値はなく、逆に彼女を出場させるのは、人気を落とす要因にもなりかねない。
それでもサギザワは、チルチルをベンチに入れ続けた。球団幹部の意向を無視しているので、もう、自分を守ってくれる人間はいないだろう。
なぜ自分が、ここまで意地になるのか、自分自身でもよく判らなかった。ただ、間違いなく前半をぶっちぎったのは、チルチルのおかげだった。それに今でも出塁率十割というのは、同点で迎える終盤などでは、間違いなく有利な手になる。ただ、それだけではない。
サギザワは、場外まで直線を引くようなとんでもない打球を忘れない。あの打球は、全ての野球選手の夢だ。あの打球を見せる可能性を放棄して、プロ野球の監督と言えるのだろうか。チルチルがボールを打つ機会は必ず来る。その可能性がある限りは、チルチルをベンチに置くと決めた。
チルチルは、試合でフォアボールを一つとるだけの働きしかできず、ずっと悔しい思いをしていた。春のように、スタンドの先までボールで虹の橋を架ける。もちろんそんな野球がしたかった。でも、チルチルは自分がバットを振らなくても、チームが得点すれば、飛び上がって喜んだ。
代打のベテラン選手が、チルチルに尻をバットで叩いてくれと頼んだ。チルチルが、「なんで?」と聞くと、「あんたの力を一発注入してくれ」と言った。
チルチルが、思い切り尻を打とうとしたので、ママ・ティナが「軽く打つんだよ。尻が四つに割れちゃうじゃないか」と、慌てて止めた。チルチルが優しくバットで尻を叩くと、力が乗り移ったのか、代打の選手は、逆転の二塁打を打った。
たとえ、自分がホームランを打てなかったとしても、チームが勝てばとてもうれしかった。自分が敬遠のフォアボールで出塁した後、代走の選手が、ホームに帰ってこれずに、得点できなければ、とてもがっかりした。
チルチルは、野球が好きになって、そしてドルフィンズが好きになっていた。
そんなチルチルを、サギザワも選手も見ていた。首位を走らせてくれたのも、お客さんを球場に呼んでくれたのも、チルチルだ。今度は、こちらが勝利を女神にプレゼントする番ではないか。
一次は四位まで落ち、今年はAクラスもダメかとあきらめかけたところ、突然、チームは最後にまとまった。投手が打たれれば、打者が打ち返し。打者が打てなければ投手が抑えた。
結局、ユニバーサル・リーグは、四チームが最終戦までクライマックスシリーズ出場の可能性が残る大混戦となった。
ホームで横浜メッツを迎えた最終戦。六回まで0対0の緊迫した試合。
六回裏、チルチルのフォアボールで満塁になったが、得点できなかった。七回表、敵の四番、前年のホームラン王ヤマカネが、先制のツーランホームランを打つと、客席を埋めたドルフィンズのファンはもうだめかと思う。
しかし、九回裏、先頭打者がセンター前ヒットで出ると、調子を落としていたガルシアがチルチルに「オレニモ、ケツバットチョウダイ」と頼んだ。
ガルシアがフルスイングすると、同点ホームランが出て、お祭り騒ぎになる。
チームの勢いが止まらない。その後、三本のヒットを相手のクローザーに浴びせて、チームは最終戦に勝ち、二位でクライマックス・シリーズに滑り込んだ。
奇跡の匂いがした。
クライマックス・シリーズ、ファーストステージは、3位の札幌ハンターズと対戦。初戦は、敵エースにアラザキに、一安打完封され、0対9でぼろ負けする。まったく打てない打線に、これはもうだめかと思われたが、第二戦でドルフィンズのエースのアカイソが、おかえしの完封を見せた。
そして決戦の第三戦。両チーム無得点の五回の裏、満塁になると、三番にチルチルを代打に送る。メッツベンチは、一点を捨ててチルチルを敬遠、先制する。そして八回には後半戦不調だった四番のフカメが、ダメ押しのツーランホームランを打ち、ドルフィンズは、セカンドステージに進んだ。そしてリーグ優勝のエレファンツが待つ大阪に乗り込む。
一勝のハンディの有る大阪エレファンツは、先行逃げ切りを目指し、初戦からエースのニシオを投入する。日本一を目指すエースからチンピラのようなすかした態度は消え、アウト一つとるたびに雄たけびを上げるような、普段とは違う気合の入りようだった。
相手は打線も爆発し、第一戦は1対8で完敗する。
「どんなもんじゃい」
エレファンツのファンは狂喜した。
優勝チームへの1勝のハンディが加わり、2勝分のリードをされたドルフィンズに、もはや逆転は難しかろう、というのがほとんどのファンの見方だった。
ただ、サギザワは明るかった。
「たまたま、今日は向こうが最高で、うちに運がなかっただけ。ここから、ここから」
普段は、どちらかというとはっきりしないタイプで、陰気臭いサギザワが、実に自信たっぷりに声を上げた。
サギザワは覚悟していた。チルチルも自分もきっと今年でお払い箱だ。どうせ最後なら、自分のやりたい野球をやろう。みんなが一丸となり、勝ちを目指す野球。
第二戦、一回の表、ドルフィンズはなんと一番DHにチルチルを入れるという奇策に出る。最初の打者から申告敬遠した相手投手は、代走の選手にペースを乱され、その後二つのフォアボールと、満塁ホームランでいきなり4点が入る。これで、ドルフィンズは勢いづき、第二戦を8対3で取ると、チームに勢いがついた。
第三戦、ドルフィンズは、予想に反し、中四日でエースのアカイソが登板し、エレファンツを驚かせた。アカイソは自分から登板を志願していた。アカイソは、疲れを感じさせない好投で七回を1点に抑える。リリーフ陣がピンチをしのいで、3対1で連勝する。
こうなると、勢いが止まらない。第五戦は、八回のチルチルの敬遠フォアボールで作ったチャンスをものにできず0対0で九回までいくが、エレファンツの抑えの切り札エオカから、最近絶好調のガルシアがホームランを打ち、1対0でドルフィンズが勝つ。
第六戦は、今度はエレファンツがエースのニシオを中四日で先発させた。しかし、生まれ変わったドルフィンズはもう、臆しない。内角にボールが来ても、よけずにデッドボールにする。
ニシオは「わざと当たってる」と抗議するが、人間のいる位置に投げたのは事実なので、判定は覆らない。短期決戦で、ランナーをためるわけにはいかない。ストライクを取りにいったところを、四番のフカメがライトスタンドに打ち込み2対0でリードする。追い打ちをかけるように、チルチルを代打に送ると、敬遠するしかないニシオは頭に血が上った。
その後、盗塁にワイルドピッチ、犠牲フライでもう一点が追加される。自分の敬遠が役に立って、チルチルは少し鼻が高かった。
九回リリーフが打たれ、3対2と追い上げられ、ワンアウト一三塁のピンチ。ここでサギザワは、おととい投げたエース・アカイソをマウンドに送る。サギザワはこの試合に全てをかけると決めていた。明日まで勝利の女神が待ってくれる保証はない。
アカイソは、三振、セカンドゴロと打ち取って、日本シリーズへの出場を決めた。全員がグラウンドに飛び出た。サギザワと打撃コーチのクロバタケは、抱き合って喜んだ。
「監督。采配、全部大当たりだ。すごかったよ」
チルチルも、ママ・ティナと手を取り合って喜んだ。夜のビールかけには参加できないので、二人で部屋に戻り、ジュースで乾杯した。またこのチームで野球ができるのがうれしかった。
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