第43話 カミオチ 野球界のレジェンド(爺さん)
チルチルのホームラン数は、百本を超えた。十億円という現金と、世界初という名誉のために、多くの投手がチルチルに挑んでは、返り討ちにあった。
どんな投手がどんなボールを投げても通用しない。例えメジャーリーグから世界一速い投手を連れて来たとしても、結果は変わらないに違いない。
そうした絶対的女神がいる世界に、『野球神』と呼ばれた男がついに立ち上がった。
カミオチ・マンジロウは伝説の打者にして、伝説の監督だった。日本球界の大御所で、理論家のご意見番としてあがめられている。
打者としては二度の三冠王を達成。絶好調の時は、「ボールがすいかより大きく見える」という、名言をはいた。
監督になってからは、三冠王打者という自分の輝かしい経歴とは正反対に、投手陣を中心にした守りのチームを作った。監督として十年連続日本一という大記録を達成する。
カミオチブックと呼ばれる、相手打者の特徴を書いた資料や、試合前日に、翌日の全打者への配球をキャッチャーに書かせるなど、徹底したデータと確率を追求していく。
退屈な野球と、非難されたりもしたが、「負け試合を見せられるのが、一番退屈」と、相手にしない。
そんなレジェンドがついにチルチルについて、口を開く。
「チルチル選手は、歴史上最高のバッターであるのは、間違いない。多分これからもバットの届くボールは、全てホームランにしてしまうだろう」
一応は、チルチルをほめた。
「彼女のやっていることは、一点のために攻撃と守備が技術と知恵を競う野球道の破壊だ。野球の秩序を破壊する怪物である」
何やら、話の雲行きが怪しくなった。
「怪物でない人間の野球選手として一番大事なことは、怪物を相手にしないことだ。ホームランを打たれるのを判って勝負するのは、ほぼ八百長に近いと言わざるをえない。十億円とかをちらつかせられて、欲を出して勝負する連中が後を絶たない。どんな状況でも勝ちを目指すのが野球である。例え十点差で負けていても、失点は最低限に抑える努力をするべきだ。野球は最後まで何があるかわからない。彼女と勝負していいのは、唯一、最終回の裏、同点で満塁の時だけである。つまり、四球を出せば絶対に負けるという状況だけ。そもそも野球は、打つか守るか、一体どちらが勝つのかという、スリル満点のゲームなのだ。そんな野球の本質が破壊されそうである。果たしてこれでいいのだろうか」
プロ野球史上最高のレジェンドの言葉に、日本プロ野球界は緊張した。
神様が勝負するなと言っておられる。十億円や、ましてやチルチルを目当てに勝負するなどは、ゲスのやることだと、断言されたのだ。
どの監督もカミオチの実績には、遠くおよばない。圧倒的なレジェンドに、誰も反論できない。
カミオチの一言で、各球団の方向性は一変した。あわよくば10億円と考えること自体が、真剣勝負やチームプレイの精神に反する。それはプロ野球選手として、最低の振る舞いだ。
いかなる状況でも、チルチルにはホームランを打たせてはいけない。被害を最小限に食い止めるべきだというのが、プロ野球界の新たな常識になった。
スズノスケは、客を無視して逃げてばかりいるのはプロスポーツではないと、吠えたが、実際どの球団も、チルチルにはけちょんけちょんにやられていた。
そりゃあ、勝負しない方が絶対得ですよ、というカミオチの息のかかった解説者たちの声も後押しし、ファンも何となく納得していった。
勝負しないというのは、確かに勝負論としては、正しい選択だった。なぜなら、例外なくホームランという結果でピッチャーは玉砕するのだから。
カミオチの発言の後、全ての投手は、チルチルを敬遠した。
「おい、こら、勝負しろ!」
ベンチで、ママ・ティナが叫んでも、勿論、どの投手も相手にしなかった。
毎回の敬遠でじれたチルチルは、バットを反対に握った。これなら相手も勝負するだろう。それでもチルチルは打つ自信はあった。しかし相手投手は勝負してこなかった。
チルチルが申告敬遠で塁に出ても、足が遅く、逆に次のランナーの邪魔になってしまう可能性が高い。何より、クロスプレーや送球で、ケガをしてしまう可能性もある。チルチルが塁に出た時は、わざとリードを大きくとらせて、牽制球でアウトにさせていた。つまり、チルチルは塁に出たところで、三振したのと同じ結果になった。
全ての打席でアウトになるのなら、使い道はない。そこで、サギザワは考えた。ここ一番の勝負どころでの器用である。先発ではなく、代打として出場させる手を選んだ。
例えばノーアウト一塁で、チルチルを代打に出せば、自動的にノーアウト一二塁になる。間違いなくチャンスを広げる切り札になる。何より、満塁でチルチルを出せば、少なくとも一点は入る。カミオチの言うように、もし九回裏の攻撃で、同点で満塁なら絶対に勝つことになる。
得点がせった試合なら、終盤の先頭バッターに使ってもいい。ノーアウト一塁になる。
サギザワは、チルチルの代走要員として、打撃や守備はいまいちだが、とにかく足の速い、ホシフクを一軍に昇格させた。チルチルが敬遠された後、セットメニューとして登場させる。
監督としては、終盤の勝負のかかった場面で、チルチルを登場させたいが、もう勝負が決してしまったところで使っては、意味がない。サギザワとしても、そこは一番悩むところだった。どこでチルチルを使うのか。それはまるで、カードゲームみたいだった。チルチルは切り札のジョーカーで、いつ場に出すかが重要なポイントになる。
サギザワ自身も毎試合もやもやした感覚があった。一点を追う六回裏、ツーアウト一塁、次は二番打者。その次は今日当たっている三番。果たしてここはチルチルを出すべきか、真剣に悩む。
このゲームみたいな采配。これは果たして、野球なのか?将棋やチェスをやっているのと変わらないのではないか?
チルチルが打席に立つと、敵のファンからは大きなブーイングが出るようになった。それは、チルチルの驚異的な打力に対してではなく、一つフォアボールを取りにいこうという、姑息な作戦に対してであった。
しかし、ついにチルチルのバットが火を吹く時がやって来た。それは、横浜メッツとの試合だった。四対四の同点で迎えた九回裏。ワンアウト一二塁。普通だったら、チルチルを出して満塁にするという手を使いたいところを、サギザワは我慢した。珍しくギャンブルしたのだった。
メッツの投手は、塁に出したら絶対チルチルが出てくるということで、えらく緊張した。スリーボール・ツーストライクとなった六球目。キャッチャーはど真ん中に構えたが、すでに地が足についていない投手の投げたボールは、高めに外れた。
久しぶりのブーイングではない大歓声の中、チルチルが打席に立つ。ピッチャーはもはや、弾倉全てに弾丸の入った拳銃でロシアンルーレットをさせられる気分だった。やけくそで投げたフォークボールは、観客席を超え、いつもぶつけていた看板のその上まで打ち返された。
観客はサヨナラ満塁ホームランに大喜びの歓声を上げる。球場全体がチルチルを称える。やっと野球場に帰って来たんだと、チルチルは喜んだ。
しかし、そんなめぐり合わせが年に何度も来るわけがない。九回の裏に同点で満塁という状況は、その後全くやってこなかった。当然、チルチルはフォアボールを一つとるための、使い捨てのカードに逆戻りした。再び、チルチルが打席に立てば、ブーイングが渦巻いた。
「これも、仕事だから、ちゃんとやるんだよ。100%塁に出るっていうのも、とんでもない記録だからさ」
ママ・ティナはチルチルがやけを起こさないように、何度も慰めた。
ブーイング自体は、段々気にならなくなってきた。それよりも普通に打者として野球ができないことがつらかった。
仲間の一打に一喜一憂し、自分のホームランがチームの勝利に貢献する。そんな野球はどこかに行ってしまった。
チルチルの人気が下がるにつれて、スズノスケも、チルチル推しの気分が、段々と冷めていった。カミオチのじじいが、チルチルを相手にするなという要らぬ一言を口にしてから、もはや、チルチルは野球ファンの敵でしかない。
チルチルの賞味期限は意外に早く切れてしまったかもしれない。何しろいつもフォアボールしかでないので、実利的ではあるが、そんな選手は客を呼べるだろうか。
しかもチームは全然勝てなくなった。
全ての投手がチルチルの相手をしなくなって、次の助っ人を、メジャーリーグから探そうと、スズノスケは決心した。
スズノスケ自身も、チルチルが邪魔になり始めていた。
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