第42話 ロン2 ー一緒に帰ろうー
ジャガーズが、チルチルと同じ島出身の少年と契約したという記事は、スポーツ紙で大きく報道された。しかも、驚いたことに、今度はピッチャーだった。
また常識を覆すような、とてつもない選手がやってくるのか?野球ファンは、新たなモンスター来襲かと、とても盛り上がった。
実は、このニュースはチルチルの耳には入らなかった。原因は、ママ・ティナが、しばらくテレビやネットでのニュースを見なかったという単純な理由だった。
チルチルは、新聞やネットニュースもまだ読めないので、ママ・ティナが通訳して伝えなければ、火星人が攻めてきたとしても、知る方法がなかった。
というわけで、幼馴染のロンが、自分と同じ日本のプロ野球の福岡ジャガーズに入団したのを、全く知らなかった。
ロンも日本に着いて、すぐにチルチルに会って、勝負できるものだと思っていたが、実際はそんなに簡単なことではなかった。日本は地図で見ると小さいが、自分たちの島よりはるかに大きかった。チームが違うと、ちょっと会いに行くというのは、不可能なのが分った。
それに、チルチルのいる一軍というのは、選ばれた選手しか、入れてくれないようだ。チルチルと対戦するためには、まずは、チーム内の競争で勝ち上がりる必要がある。
ロンは詐欺にあったような気がしたが、文句を言っても仕方がないので頑張ることにした。
ロンの初めての練習日、二軍コーチのゴンダに言われるままに準備運動をし、キャッチボールを始めた。ロンは石を投げることはあっても、人の投げたものを取ったことはなかったので、キャッチボールも楽しかった。
小学生低学年の練習程度の強さで、ノックを受けた。初めてのゴロはなかなか取れなかったが、それも楽しかった。野球という遊びは、意外にも楽しいみたいだ。
ロンは、早速、練習場で野球のボールを投げてみた。意外につるつるしていて、滑りやすいのがよくわかった。ロンの後ろに、たくさんの選手が見物に集まった。
ロンは、いつものように回転をかけて投げて見せることにした。
横手投げからのボールはストライクゾーンから大きく右、つまり右打者の内角側に外れたように見えた。ところが途中から大きくカーブし、左側に切れていく。最後はベースの反対側に外れていった。
ボールが自分の左側にいくと思ったキャッチャーは、逆側に曲がったボールが来たので、反応できず、ボールをミットの先で弾いてしまった。
ゴンダは、「ねっ、すごいでしょ?」と言いたげに、監督の顔を見た。ゴンダは続けて投げるように、通訳に指示した。
「もう一球いこう」
南の島にいたガイドを、ジャガーズは通訳として一緒につれてきていた。結局チルチルのおかげで、このガイドも日本で思わぬ仕事にありついた。
ロンは胡散臭いガイドがあまり好きではなかったが、全く言葉の通じないこの国で生きていくには仕方がないので、彼を頼るしかなかった。
ロンが投げた次のボールも、一球目とほば同じ軌道だった。今度はキャッチャーが球筋を理解していたので、何とか止めることができた。
ロンは他の球種は投げることはできなかった。直球も普通の中学生くらいのスピードしか出ない。しかしあのブーメランのように曲がるカーブがあれば、一打席はチルチルを抑えるかもしれない。
改めてロンのボールを動画で見た一軍監督のウドウは、これであのモンスターをアウトにできるかもしれないと、期待した。うちのチームの調子をしっちゃかめっちゃかにしたあのホームランモンスターに、一泡吹かせてやれるかも。
ドルフィンズとの福岡での三連戦の前、ロンは一軍に昇格した。もちろん、ネットでは、チルチルに続き南の島から来た少年も、一軍入りしたというニュースが流れていたが、またしても、ママ・ティナはそのニュースを見落としていた。
博多ドームでの試合前の練習。ビジターのドルフィンズが練習を終え、チルチルが、ベンチで座っていると、対戦相手のジャガーズのベンチに、知り合いに似た少年が座っているのが見えた。見ればみるほど瓜二つだった。
ロンがこんなところにいるわけがないと思うが、どうみてもロンなので、ママ・ティナに注意されるのも聞かずに、ベンチを出て、敵のベンチの方へ歩いていってしまう。
ベンチの少年も、チルチルに気が付いたらしく、ベンチの外へ飛び出る。チルチルが見ると、少年は間違いなくロンだった。
「 あんた、いったい何してんの?」
「なんだよ、冷たいな。連絡先も教えてくんないし」
「何言ってるのよ。なんでここにいるの?」
「ええ?知らなかったの?俺、野球の選手として日本に来たんだよ」
「なによお、それ」
二人が真剣な顔で、聞いたことのない外国語で話し続けるのを、周りの選手やコーチ達はただただ困惑した。ようやく、一人のコーチが危ないから下がってろ、と手招きで指示を出した。二人はネットの陰に隠れた。
「ねえ、チルチルを打ち取ったら、僕のモノになるんでしょ?アウトにするから一緒に島に帰ろうよ」
「なんでそんな話知ってるのよ」
チルチルは恥ずかしくなった。
「なんのつもりか知らないけど、あたしは日本で野球やるの。野球が好きになったの」
「チルチルに勝って一緒に帰る」
ロンは、そう言い放つと、ベンチに戻っていった。
試合は、チルチルのツーランホームランで、ドルフィンズが先制したが、ジャガーズは3回に1点、4回に3点を入れて逆転。5回にも追加点を入れて、あとはリリーフ陣がドルフィンズを抑えられるかどうかがポイントとなった。
二打席目を敬遠されたチルチルは、打ち気満々で準備を進めている。対するジャガーズは、逃げ切りのため秘密兵器をブルペンに呼び寄せた。
ロンはウォーミングアップを始めた。ただ、あのブーメランのように曲がる変化球は、肘にもの凄く負担がかかるので、練習も最低限の球数にする。
六回表、ワンアウトの後、バッターにチルチルが立つ。ジャガーズの監督ウドウがベンチから現れ、投手の交代を告げる。そして、二軍でも一度も登板のないロンの名前が呼ばれた。球場内に観客の驚きの声が響く。
そして、一番驚いたのは、もちろんチルチルだった。
がっしりとした野球選手に混じって、きゃしゃなロンが、マウンドに向かって歩いてくる。あの、石を投げさせていた子分のようなロンが、自分と野球場で対戦するのだ。
作戦は一つ。インコースぎりぎりの体に当たるか当たらないかのところを目掛けてあのブーメランカーブを投げる。あのボールは、体に近すぎて、ちゃんとバットを振れない。無理に打とうとしたところで、根元すぎて回転のスピードが追い付かない。万一チルチルが避けたところで、ボールは斜めにストライクゾーンを横切る。
何より、チルチルは絶対によけないし、ファールで逃げることもしない。必ずどんなボールでもホームランを狙いにくるのは、ロン自身が一番よく知っていた。
ロンは覚悟していた。空飛ぶ鳥をしのぐような、見たことのない大きな変化をさせないと、チルチルは打ち取れない。肘から指にかけて、全ての力を集中させて、ボールを縫う糸がほどけるくらいに、回転をかける。一球に全力をかける。
「ほんとに、あの子、何やってんの」
チルチルは、ロンの真剣な顔を見て、なかば呆れていた。
ロンがノーワインドアップから、腕を引き、人生で一番の力を指先に込めて、回転をかけて投げた。横手投げのフォームからボールが放たれたその瞬間、ロンの肘に電気が走った。
「どぅああああああ」
余りの痛さに、ボールがベースに到着する前に、ロンは大きな声を上げた。
ボールは物凄い回転がかかり、狙った通りに三塁側から、スイングを始めたチルチルの背中側から、インコースギリギリの体にぶつかるかどうかのコースを大きく曲がっていく。確かに斜め後ろから体すれすれを通って、今度は外側へと逃げていくボールを、まともにバットの芯に当て、スタンドまで飛ばすのは不可能にも思える。
チルチルはからだを大きく倒した。丁度コマの軸が斜めになったのと同じように自分の回転の軸も大きく倒した。縦回転に近いような軌道でバットを体の上を通るボールにバットの芯をぶつけた。
快音が響く。チルチルはスイングが終わるとそのまま左足を軸に再度一回転しながら倒れ込み、右手を地面についた。
回転のかかった打球はセンター方向からレフトに曲がりながら飛んでいく。そして最後はいつものように観客席を越えて飛んだ。
福岡の球場に、やはりだめかと、落胆の声が響いた。
チルチルは肘を抑えてうずくまる。チルチルは、ダイヤモンドを一周しながら、ずっとロンが心配で、バッターボックスの方を見ていた。ホームに帰ると、自軍のベンチには戻らず、ロンのうずくまるマウンドへ走った。
ロンが大きなケガをしているのは明らかだった。心配そうにロンを見るチルチルに、ロンは泣きそうな声で言った。
「一緒に帰ろうよ。もう、チルチルが世界一なのはみんなわかったじゃないか」
チルチルは首を横に振った。
「ロン、私、みんなが一生懸命やる野球が、好きだって、わかったの。私はまだ帰らない」
ロンは、また打ちひしがれた。
ロンの肘は、手術すれば、日常生活は問題ないまでに回復はできそうだった。ただ、あの回転するボールだけでなく、ピッチャーとして投げ続けることも、もうできない。
ロンは、一球投げて、ホームランを打たれたという記録を残し、南の島に帰っていった。
島ではメイが待っていた。
「チルチルねえさんに振られちゃったんでしょ?」
ロンはだまっていた。
メイはロンが左手片手で引っ張るカバンをひったくった。ロンは驚いた。メイはだまってロンの前を歩いた。
「メイ…。すまねえ」
ロンは、それ以上何も言わず,メイの後をついて歩いた。
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