第41話 ロン -チルチルを追いかけて-

 もはや、日本にはチリチルを打ち取る投手はいない。これは、日本プロ野球全球団の全監督、全選手の見解だった。チルチルが打ち損じるのは、落ちて来た隕石が、たまたま出したグローブに入るのと同じくらいの確率に思えた。後はチルチルの能力が衰えるのを待つしかないが、それもどれだけの時間が必要なのかも判らない。


 チルチルの圧倒的な打力を抑えるにはどうしたらいいか。もはや日本にはチルチルを抑えられるピッチャーはいないのは間違いない。


 ユニバーサル・リーグの優勝候補と言われていた福岡ジャガーズはチルチルにコテンパンにやられ、エースのナツカワは、何度も大恥をかかされ、絶不調に陥り、二番手のイシベも、自業自得とはいえ、ケガをして、戦線離脱。今やAクラス入りすら危ない状況になっている。


 ジャガーズは、球団社長、監督、一軍二軍ピッチングコーチ、編成部長を集め、会議を開いた。チルチルに対抗できる戦力はあるのか?とにかく、あの小娘を叩き潰さない限り、未来はない。それにあのスズノスケから10億円もぶんどりたい。


「もう日本には、あの怪物に勝てる投手はいません」

「どこかの国に、すごい投手はいないのか?」

「やはり、すごいのが集まっているのは、メジャーリーグです。ニューヨーク・ブルズの、カーターは170キロ投げますし」

「カータークラスは、100億じゃすまないですよ。それに、うちのイシベだって165キロを簡単に打たれてます。100億払って5キロ上げても、意味があるかどうか」

「しかし、早く決めないと、今年の入団期限が終わってしまう」

「他の国にはいないのか?」

「メキシコ、キューバ、韓国、台湾、どこの国を見ても、うちのナツカワやイシベよりもすごいのは見当たりませんね」

「ううむ」


 監督のウドウも、球団社長も、打つ手なしかと思った。

「しかし、世の中にはとんでもない国があるんですね。あんなすごい女の子が出てくるなんて。なんか怪獣の島みたいに、ああいう化け物がうようよいたりして」

 二軍のピッチングコーチ・ゴンダの一言に、思わず球団社長とウドウ監督は、顔を見合わせた。



 

 ゴンダは自分の不用意な一言を後悔していた。おかげで、二軍の現場は別の現役投手兼コーチに一時期預けられ、こんな遠い島の森の中まで、出張するはめになった。


 そもそも、チルチルのような特殊な才能は、全人類の中で一人いるかいないかに違いない。同じような天才が、またこの小さい島の中で、見つかるはずがなかろう。


 ましてや、ピッチャーは、何万球という投球練習で、プロで活躍できる体と技術を身に付けるものだ。ボールすらない村で、魔球のようなボールを投げられるやつがいるわけがない。


「コンニチワ。ヘンピナシマニ、ヨウコソ」

 小さな空港に出迎えに来たガイドは、またしても、日本人の金持ちが、この島目当てにやってくるとは思わなかった。いったいこの島に何があるんだ。あの自由自在に石を打つ女の子は、この前の日本人が連れていってしまった。理由はよくわからないが、ともかく金づるが来るのはうれしかった。


 ゴンダは、どう考えても、経費の無駄づかいには違いないと思った。普通にジャングルを見学して、何人か若者と会ってみて、やはりそんな夢のような話はありませんでしたということで、終わるのだろう。


「あのギャルは、この森の中にいたんですよ」

 やたらと愛想のいいガイドが、ゴンダを手招きして、どんどんと進んでいく。


 しばらく行くと、大きな草原があり、子供たちが何人か見えた。みんなでサッカーをしていた。


「ここでギャルは石を打っていたんですよ」

 ガイドは一応下調べをしているらしかった。


 多くの子供たちは、スズノスケたちが来てから、外人を珍しいとは思わないようになったらしく、ゴンダたちをちらっと見ただけで、すぐにサッカーに集中した。


「なんだ、野球をしている子はいないのか?」

「そうですね、あのギャルが日本に行っちまってから、誰も球打ちはしてないみたいですよ」


 もう、これでゴンダは仕事は終わったと思った。奇跡は何回も起きない。スカウトは、まじめにメジャーリーグ選手たちの代理人と交渉するべきだ。


「ただね、あのギャルの相手してた少年は、今でも石を投げてるらしいです」

 ゴンダは、一度、話のタネに石を投げる少年を見てみることにした。




 ロンは、野球を憎んでいた。野球のせいで、チルチルが島からいなくなってしまったのだ。それでもいつかチルチルはこの島に里帰りするだろう。その時、俺がチルチルの打てない石を投げれば、きっとチルチルも日本での野球よりも、俺の投げた石を打ちたくて島に居残るんではないか。そのために、絶対に打たれない石を投げてやる。


 ロンは、チルチルに絶対に打たれない投げ方を身に付けるため、投げ込みをした。昔から、石に回転をかけて投げているので、指先の感覚は優れている。


 ロンは、考えていた。どれだけ速く投げてもチルチルと親父さんが放つ矢と同じくらいのスピードでないと、チルチルは簡単に打ち返してしまう。チルチルのバットをかいくぐるには、人間の投げるスピードではだめだ。見たことのないものすごい変化をさせるしかない。


 ロンは回転をかければかけるほどよく曲がるのは知っていた。投げられた石は、空中で回転の方向に曲がる。それから上から投げるよりも、横から投げた方が横によく曲がる。引力に従って縦に曲がるよりも、横に曲がった方が、変化がわかりやすく、曲がった時の見栄えがよかった。




 ゴンダは、自分がプロ野球チームのコーチであることは伏せて、単なる日本の旅行者だという振りをして、一回投げるごとに10ドルという条件を、ガイドから伝えさせた。


 ロンは、こいつはいい小遣い稼ぎだと考えて、あわよくば自分のことがチルチルに伝わるかもしれないと思い、日本人のおっさんのリクエストに同意した。


 ロンは適当に転がっている石をつかむと、横手投げで、指をうまくひっかけて、ものすごい回転をかけて投げた。石は翼が生えた生き物のように、途中で大きく弧を描いて、左側に大きく曲がった。


 ゴンダは仰天した。本来、石は比重が大きく、野球のボールよりは空気抵抗が少なく曲がりにくいはずだ。しかし、さっきの軌道はなんだ?カーブとかスライダーとかで言い表せない、曲がり幅の大きさだった。


「もう一球、お願いできないかなあ」

「いいよ」

 ロンはまた、丸い小さな石を拾い上げると、横手投げで森に向かって投げた。石は途中から急激に左に曲がりはじめ、目標の木を回り込むように森の中に消えた。そして奥からコンと石の当たった音がした。

 

 ゴンダは驚いた。一メートル近く曲がったのではないか?石でこんなに曲がるのなら、野球のボールなら、一体どのくらい曲がるのだろうか?


 ゴンダは、もう一球投げさせて、スマホで動画に収め、ロンの名前や連絡先をガイドに聞かせ、メモに取った。


「いいかい、必ず連絡するから、その投げ方忘れないようにね」

「ねえ、おっさん。もしかして、俺、日本に行けるのか?」

 ゴンダはしばらく考えて、答えた。

「楽しみに待っててくれよ」


 ゴンダは早速、監督やスカウト部長らにメールを打った。

「やはり、すごいのがいました。送った動画を是非見てください」


 ロンと同じ年で、学校で同じ教室に通っていた少女メイは、心配だった。ずっと、ロンがチルチルを思い続けているのは判っていた。しかし、いつかはどうにもならないとあきらめる日が来るんではないかと、期待していた。


 しかし、また日本人が来て、ロンと話をしたらしい。ロンは島からいなくなってしまうのだろうか。メイの心はいたんだ。


 メイは、相変わらず原っぱで石を投げるを投げるロンを見つけた。

「ねえ、また石投げしてるの?馬鹿じゃないの」

「ほっといてよ」

 メイは、練習をやめないロンの尻を蹴った。ロンは驚き振り返ったが、メイは知らんふりをした。


「ねえ、本当は肘が痛いんでしょ」

 ロンは、言い当てられて、びっくりした。

「いや、平気だよ」

「石投げててもつまんないじゃないの」

「お前に関係ないだろ」

 メイは何も言わず帰った。少し涙が出た。


 ロンは、わくわくしていた。もしかしたら、自分も日本に行けるかもしれない。チルチルみたいにお金もたくさんもらえるかも。いやいや、お金の問題じゃない。チルチルに会えるんだ。そして、チルチルを負かして、島に連れて帰るんだ。


 ロンはベッドに入る前に、いつものように肘を冷やした。あの曲がる石を投げ続けていたら、肘が痛くなった。特に今日は日本人が見に来たので、張り切って投げてしまった。いつもより痛い気がする。でも仕方がない。チルチルに勝つには、想像以上に大きく変化させるしかない。


 ロンは絶対に日本に行って、チルチルに勝つんだと、固く心に誓った。


 

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