第39話 サトシ5 -昇格-

 コントロールの良さと、改良されたツーシームにより、サトシは、二軍の試合で、結果を残し始めていた。


どうやらチームの新しい二軍ピッチングコーチとの相性がよかったらしく、教え通りにやると、球の回転が良くなった。元々サトシの指が器用だったこともあって、飲み込みが早かった。


トレードされて、まだそんなに日数はたってないが、打っている方から見れば、なぜかヒットにならない動くボールを操ることができるようになった。やっかいな投手に生まれ変わろうとしていた。


 サトシ自身も手ごたえを感じていた。やはり、トレードは、自分のためによかったのかもしれないと、思うことにした。


なぜドルフィンズの時は、これができなかったのだろうか。もし、去年に、自分の長所に気が付き、このボールを身に付けていればと、残念に思う。


 いや、待て。もし、去年の今頃、この技術を身に付けていたとしたら、自分はドルフィンズでも戦力になっていて、チルチルの練習台という役目を任されることはなかっただろう。


結局、神様が何回サイコロを振っても、彼女との丁度いい巡り合わせはなかったのだと、自分を納得させることにした。


 二軍での三試合目。ツーシームとゆるいカーブで、相手のバッターは内野ゴロの山を築いた。勇気をもって遅い球を投げると、意外にもバッターはタイミングを狂わせて、フルスイングができなくなる。これは、プロに入って初めての体験だった。プロになって、初めて自分の長所を見付けた気がした。


 試合後に夕食を取ると、一つ年上の先輩に、「おい、ちょっと遊びに行こうぜ」と誘われた。疲れてるのに面倒くさいなあと、まごまごしていると、「門限までに帰れば大丈夫だよ。行くぞ、サトシ」と、強引に誘われた。先週はお腹の具合が悪いと嘘をついて行かなかったが、毎回断るのも、人間関係を悪くする気がして、仕方なく一緒に出掛けた。


 四人でタクシーで夜の街に繰り出す。どうせキャパクラだろうと思ったら、案の定そうだった。


 店の中にいくと、ミニスカートの若い女子たちが沢山いて、笑顔で出迎えてくれた。サトシはちょっとびびった。


 先輩たちはすでにお気に入りのご指名がいるらしく、さっさと女の子を選んで、うれしそうにテーブルに着いた。サトシは緊張してもじもじしていると、先輩は女の子に「誰か紹介してあげてよお」となれなれしく肩を抱きながら言った。


「あの子、新しく来た子。かわいいよお。指名してあげてよお」

 スミレちゃんと呼ばれてる、先輩が指名したギャルが、長い金色の髪の女の子を紹介した。


「おい、サトシ、お前この子でいいだろ」

 スミレちゃんに頼まれた先輩は、どこかおどおどした女の子をサトシの横に座らせた。

 女の子はお酒を入れてくれたりしたが、サトシは恐縮した。ちょっと背の小さな女の子との、会話はあまり進まなかった。

「楽しくない?」

「そんなことないけど。ごめん」

 サトシは、思わず謝った。


 一応名前を聞くと、ミナミと名乗った。沖縄から来たらしかった。南の島から来たから、お店ではミナミという名前にしたそうだ。よく見ると、ちょっと色が黒く、エキゾチックなの顔つきをしていた。


 誰かさんみたいだ。ちょっとどきどきした。


母親はフィリピンから来たのだと答えた。お店で友達はまだいないが、スミレさんは面倒見てくれる。学校は嫌いだった。勉強も運動も嫌い。音楽は好きだ。アデルとテイラー・スイフトが好き。サトシはどちらも聞いたことがなかった。きっといつかは、アメリカに行くんだと言った。お金を貯めて父さんの国に帰るの。


 なぜかチルチルのことを思い出して、胸が締めつけられた。すぐに寮に帰りたくなった。


 四人で慌ててタクシーに乗り、寮に着くと門限の時間を十五分超えていた。


 翌日、寮長から連絡があった。すぐに来いということだった。てっきり、前の日の門限破りが見付かったのだと思った。一緒に門限を破った同期の外野手に聞いてみたが、呼ばれてないとのことだった。自分だけ見付かったのだろうか。実に運が悪いと思った。


 呼ばれたのは、門限破りの件ではなく、一軍への昇格だった。一軍で外人の先発と、中継ぎの一人の調子が悪く、打たれ続けているのは知っていた。誰かが代わりに一軍へ行くのは間違いないと思っていた。しかし、まさかその役目が自分に回って来るとは。


 明日の関西への遠征から一軍に同行しろと、指示された。喜びよりも驚きが先に立った。慌ただしく準備を始めた。


 翌日、生まれて初めてグリーン車に乗った。椅子が大きくて驚いた。確かに快適だと思った。


 一軍のベンチには、同じ年に入団した内野手がいて、少しホッとした。ただ、彼は代打や守備固めでのベンチ入りで、スター選手が揃うベアーズで、成績が出なければすぐに二軍に逆戻りになるという点では、サトシと同じだった。サトシに優しくする余裕が、あるはずがなかった。


 初めての、試合前の練習では、先輩の選手達に挨拶をした。ベテランたちはおおむねそっけなかった。多分自分のことは名前も知らないのだろう。認められなければ相手にもしてくれない。サトシはまた緊張した。ピッチングコーチは、球場のマウンドの特徴を説明したが、頭に入らなかった。


 二軍時代と違って、練習でも多くの視線を感じた。それはとてつもない緊張感になった。いつふるい落とされるか判らない不安。


 初めての一軍の試合が始まった。さすがにベンチ入りした最初の試合で使われることはないだろうと、考えていた。しかし、先発の外人投手が打たれ、リリーフも次々と失点を重ねると、次から次へとリリーフピッチャーが使われていった。六回で、すでに五人の投手が使われていた。


 ブルペンの残りは勝ちゲームに使われるセットアッパー二人とクローザー、そしてサトシの四人だけになった。投手が交代させられる度に、「あれれ」とサトシは胸騒ぎを覚えた。


 六回の攻撃で、ピッチャーに代打が告げられると、ピッチングコーチから、「次の回から行くぞ」と声を掛けれ、心臓が止まりそうになった。


それからブルペンでの練習は、夢を見ているようで記憶がない。電話がかかり、ブルペンを出てマウンドまで走ると、見たことのない数の観客がいた。奇跡が起こらない限り、チームが勝つことはない点差だった。どれだけ打たれても僕のせいではないんだと思うと、少し気が楽になった。


 最初のボールは外角低めへのストレート。相手バッターは、初めての投手を見るために見逃した。


「ストライク」

 主審の声が上がるとサトシは、ロシアン・ルーレットで生き残ったような気持ちになり、ほっとした。


 二球目のツーシームを打たれて、強いライナーにどっきりしたが、運よく三塁手の正面で最初のアウトを取った。


「ついてる」

 野球は運のスポーツだ。今日の僕には運がある。


 運だけではなく、ボールを見るため二軍で磨いたツーシームと、横に小さく曲がるスライダーは、一軍の試合でも戦える武器になっていた。次のバッターも三球目の外角低めへのツーシームでサードゴロ。三人目のバッターにセンター前にポテンヒットを打たれたが、その次のバッターはスローカーブでセカンドゴロに打ち取る。無失点でベンチに帰ると、一試合投げたような気分になり、精神的に疲れた。


 結局、次の回もフォアボールでランナーを一人出したが、三つの内野ゴロで無失点におさえ、次のピッチャーにバトンタッチする。試合には負けたが、サトシにとっては夢のような一日が終わった。


 ホテルに戻り食事を終えると、もう夜中で、丁度、スポーツニュースの時間だった。自分の投げる映像が流されるかとドキドキしたが、ベアーズの先発投手が、がっつり打たれるシーンしか映されず、少しがっかりした。次はユニバーサル・リーグの試合結果になり、チルチルが二本のホームランを打ち、連敗を止めたというニュースが流れた。


 チルチルは、相変わらずスーパースターで、解説の十年前の本塁打王も、「もうこの子は同じ人間ではないですね」と、苦笑いした。本塁打数は百本に近付いている。


 チルチルは手の届かぬ星だった。自分が全力で飛び上がっても、流星のスピードで遠くへ行ってしまう。一軍で0点に抑えたのはうれしかったが、チルチルとの距離を考え、サトシはあせった。


 チルチルはどこまで行ってしまうのだろうか。チルチルの背中に追いつく前に、自分は羽根が取れて墜落してしまうかもしれない。今戦っているのは、そんな厳しい世界なのは間違いない。


 サトシは、一軍の選手たちが、落ちたらおしまいの綱渡りのプレッシャーの中で、試合をしているのを、初めて知った。自分も何が何でも振り落とされないようにしなければと、決意した。


 何としてでも、チルチルと対戦するんだ。

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