第37話 ササイ・ヤスジリ -次から次へと-

 交流戦も終盤が近付き、オーシャン・リーグの全てのチームのエースがチルチルに挑んで、玉砕し続けた。それでも世界で初めてチルチルを打ち取る名誉と十億円のために、あの手この手であがき続けた。


 神戸ローゼズのクローザー、ササイは、オーシャン・リーグで最高のクローザーと言われている。速球は日本でも屈指のスピードがあり、何よりも150キロを超えるフォークボールは、直球と見分けがつかなかった。バッターは振り遅れないように、直球のタイミングで待つしかなく、そのボールが突然落ちるので、対応のしようがない。


 中継ぎのシオセは、オープン戦で、チルチルに初めてのホームランを打たれてから調子を崩し、昨年ほどの安定感がない。前の年までの8回9回を0点に抑える勝利の方程式が成り立たなくなっていた。それが神戸ローゼズの不振につながっている。


 ここは何としても、チルチルを打ち取り、かたきを取ってやると、ササイも気合が入っていた。怪物を倒し、かたきを討つ主人公は、超高速フォークの俺しかいない。


 ローゼズとの二連戦の初戦。七対五のローゼズのリードで迎えた九回裏、ササイは登板。ローゼズファンは、ササイならやってくれるに違いないと、声援を飛ばす。二番バッターを三振にし、ワンアウトを取り、チルチルとの対決となった。チルチルにホームランが出ても、逆転はない。ベンチの指示も、勿論、十億円のためのギャンブルだった。


 ササイは他のエースたちと同じように、自分に絶対的な自信があった。自己顕示欲の塊で、エゴイストでナルシストでなければ、抑えの切り札なんかになれるはずがない。バッターボックスに立つチルチルが、自分の超高速フォークに空振りする哀れな姿しか、思い浮かばなかった。


 初球から投げるボールは決まっていた。誰も反応できない世界最高の必殺ボール、マッハ・フォークだ。


 ササイは振りかぶったグローブの中で、二本の指が理想的な形でボールを挟んでいるのを感じた。腕を振り、ササイの指から離れたボールは、彼の狙い通りに、ストライクゾーンの低めを目指す。そしてストレートのスピードを保ち、大きく落ちた。


 打席に入る前に、フォークには気を付けろと言われていた。でもチルチルは、適当に聞き流していた。


 指を広げて投げられるボールは、回転が少なく、普通のストレートより大きく落下するのはすぐに判った。スピードも、落差も、全ては想定内で、チリチルが難なく対応できる範囲だった。後は、いつも通りに回転して、バットを振ればよい。


 百五十メートル以上の飛距離で、打球は外野席を越えていく。自分だけは特別な存在だと信じていた。奴にとっては、俺も所詮は一くくりの中なのか?


 絶対的な自信が打ち崩れて動転したササイは、次の打者にもホームランを打たれ、セーブポイントを逃した。


 セットアッパーに続いて、絶対的なクローザーまで調子を落とした神戸ローゼズは、この後どんどん順位を下げていく。またチルチルに破壊されたチームが増えた。

 



 広島シャークのヤスジリは、器用にもオーバースロー、サイドスロー、アンダースローと、三つの投げ方ができた。どこから腕を振っても、プロで通用するボールを投げられた。それぞれに三種類以上の球種を投げられるので、打者から見ると、次から次へと、別の投手が出てきて、いろんな球種と対峙することと、同じになる。


 ヤスジリは三つの投げ方と球種を織り交ぜることで、無限のバリエーションを作り出して、チルチルを惑わせられると確信していた。


 ドルフィンズ相手の先発予定日の前日、勝負の行方が確定するまでは、できるだけチルチルとは勝負をするなと言いたい監督を前に、ヤスジリは得意の能書きをたれ始めた。ヤスジリは一般入試で大学へ入ったこともあり、それなりに学があり、弁が立った。


「いいですか、監督。全てのボールは次への伏線になっていきます。もし、一本打たれたとしても、記憶と感触が先入観になって、次のボールへの判断を遅らせます。一球一球が段々と深い落とし穴を掘っていくんですよ」


 シャークの監督も、ヤスジリの能書きを聞かせ続けられるのは、たまったものではないと考え、背を向けて去って行った。

「監督、ちょっと、ちょっと」

 ヤスジリはこれからが大事な話なのにと、残念だった。


 登板の前日、ヤスジリは布団の中で、チルチルを打ち取るまでの筋書きを、数十種類考えた。どのストーリーも、最後はチルチルを打ち取るという結末にたどり着いた。


 まずは、アンダースローの浮き上がるストレートを高めに外す。高めの浮き上がるボールを意識させ、今度はオーバースローでフォークボールをワンバウンドするような低めに落とす。正反対のボールに、バットの反応は鈍るはずだ。よくても振り遅れのファールにしかならない。


 もし、そのボールを見逃されたとしても、上と下の縦のコース変化で勝負するという先入観ができたはずだ。そこで今度はサイドスローで、横に逃げるスライダーで勝負する。いきなりの横の変化にチルチルはたまげるだろう。それが打たれたとしても、今度はもう一球同じスライダーを投げる。まさかこれだけのバリエーションがある中で、同じボールが来るとは夢にも思わないはず。


 ヤスジリが投球パターンを考えていくと、最終的には全部アウトになるので、考え続けるのは楽しかった。スライダーの次は内側に落ちるアンダースローのシンカー。遅い球が続いたところでインコースに上からのストレート。結局、外が明るくなるまで考え続け、眠い目をこすって球場に行くことになった。


 ヤスジリが真剣な顔で歩み寄って来るので、監督は驚いて身構えた。

「監督。自分の組み立ては完璧です。必ずアウトにするので、今日は任せてください」


 監督は、また長いへ理屈を聞かせられてはたまったものではないと思い、「結果で見せてね」とだけ声を掛けると、ヤスジリから逃げて行った。


 一回表、大歓声の中で、チルチルが打席に入ると、ヤスジリはほくそ笑んだ。この歓声が今日は自分に向けられるのだ。まずはプランAで、縦の変化で目くらましをする。アンダースローのストレートで高めに外す。ヤスジリが投げたボールは、やや内角の目線の高さに投げられた。


 チルチルにはバットが届けば、ストライクゾーンなど関係ない。ヤスジリが、最初の餌として外したつもりのボールは、チルチルにはホームラン・ゾーンの中だった。


 キーン。快音と共にいつものホームランが披露され、球場を沸かす。


「あちゃあ」

 ヤスジリはしくった、しくったと思う。しかしこれも、アウトを取るまでの種まきだ。次のバッターをアウトに取り、ベンチに帰ると、すぐに監督に言った。

「打たれましたが、これは次の餌になりました」

 監督は、面倒くさいので無視した。


 三回のツーアウト・ランナー無しで、チルチルの第二打席。前の打席の浮き上がるストレートが頭に残っているはずだ。次は上から落とすフォークだ。ヤスジリは狙い通り外角の低めに外れるフォークを投げた。


 しかし、チルチルがすくい上げると高く上がった打球は、いつまでも落ちてこない。二打席連続ホームランに会場は湧く。


「ありゃ」

 これは、確かにとんでもない化け物だ。


 しかし、二本のホームランという犠牲を払って、逆に次のボールへの仕掛けは整った。ベンチへ戻ると、「縦の変化への意識で、次の横への変化に驚きますよ」と、監督に訴えたが、もはや返事はなかった。


 監督が、ヤスジリを続投させていたのは、すでに5点差がついていて、しかもドルフィンズのエースが絶好調。もう捨てゲームに決めたので、リリーフ投手も使いたくないという、これからの試合に向けての策があったからだ。


 今度は横の変化で惑わせようと、サイドスローで投げたストライクゾーンから外に逃げていくスライダーを、何事もなくチルチルは打ち返した。

 結局、どんな投げ方をして、どんな球種が来ようとも、チルチルは対応した。


 そもそもヤスジリが投げるボールは、全てはチルチルの反射神経の対応範囲なので、予想も記憶も推理も、何も必要なかった。前に打ったボールが、何だったのかさえ、チルチルは覚えていなかった。


 ヤスジリは、マウンドに来たピッチング・コーチに性懲りもなく、「変化球を続けたので、次は速球も考えるはずです。裏をかいたゆるい内側へ曲がるアンダースローのシンカーは予想してないでしょう」と、へこたれずにま能書きをたれ続けたが、ボールを取り上げられ、ベンチへ退けられた。


 監督は、懲りずに次の対戦の配球を説明し続けるヤスジリを、二軍に落とそうと決めた。

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