第36話 ヒラクリ -肘-

「ヒラクリ君のボールはおかしい」

 肩のいいヒラクリ少年は、少年野球のチームに入ると、小学四年生で投手を任された。確かに速いボールを投げるのだが、それだけではなく、ボールが急激にシュート回転で右バッターの内側に切れ込む。


 ヒラクリ少年は、生まれながらにして、右腕の関節が少しずれてついていた。どうしても一直線に伸びない形になっていたが、生活に影響があるということはなかった。そして人差し指が普通の人より少し長かった。ヒラクリ少年のこの右手の特徴が、投球に強い横回転を生んだ。バッターから見たら強烈なカミソリシュートとなり、内角は腹をえぐられるような気がする。


 相手チームからは度々クレームが来た。少年野球では、変化球は禁止だった。チームもこれは故意の変化球ではない、自然にシュート回転してるだけだと弁明したが、そういうことが度重なると、ヒラクリ少年もピッチャーをやるのが嫌になった。監督に頼み、結局センターに回してもらった。肩が強いので、中学に入っても投手に誘われたが、かたくなに断った。もういやな思いをしたくなかった。


 長打力もあり、地元のボーイズリーグで有名な選手となり、甲子園を狙う高校にスカウトされる。高校には、プロのスカウトが見に来るような外野手の先輩もおり、自分も三年には何とかレギュラーになり、甲子園に出たいと思った。二年からベンチに入れるようになった。


 入った高校は、上下関係が厳しく長時間の練習も厭わないような、最近では珍しいスパルタの監督が率いる高校だった。ヒラクリ少年は、そういう昭和的部活がどちらかと言えば嫌いだったが、学校を選ぶときによく調べていなかった。


 先発のエースがいたが、他の投手は安定せず、計算できる投手が一人では、地域予選を勝ち抜くのは、かなり厳しい。そこで、監督は肩のいいヒラクリに目を付けた。


 勿論ヒラクリは、投手はやりたくなかったが、怖い監督には逆らえなかった。


 相変わらず、ボールには横回転がかかり、急激にシュートする。キャッチャーが舌打ちしたくなるようなボールだった。


 先輩の捕手はちゃんとまっすぐ回転させろと、何度も文句を言った。その文句に、ヒラクリは、ほっとしていた。これでもうピッチャーをやらなくて済む。ところが、監督はその球筋に注目した。

「このクセ玉は武器になる」


くせの強いヒラクリのボールは、確かに有効だった。監督はヒラクリに投手としての練習時間を増やすように指示した。勿論、チームでは監督の指示は絶対なので、ヒラクリも従うしかなかったが、できれば外野手に専念させてほしかった。


 人とは違う肘のせいで、普通ではない変化球を、意図しているわけではないのに投げてしまう。きっと、また下品な球だと人は噂するだろう。また、恥ずかしい思いをしなければならないのだろうか。


 ヒラクリは自分の不安を隠して、監督の指示に従い、二番手投手として投げ続けた。ストレートだけではない。スライダーにも、人とは違う彼の肘と指は、他の投手よりも大きな回転を与えるのに成功した。速くて鋭く外側に曲がった。


 内角に切れ込むボールだけではなく、時には外角に鋭く曲がるボールも来る。高校生のバッターはなかなか打てない。


 使えるピッチャーが一人増えたチームは、甲子園を目指す長い戦いを勝ち抜く上で、大きな戦力アップになった。相手を見てエースを温存できる。強豪相手でも、エースは六回まで抑えれば、後はナイフのような切れ味のシュートを投げるヒラクリが、見たことのない球で九つのアウトを取る。


 安定したエースと、くせ玉のヒラクリという二丁拳銃を備えたチームは、県予選を勝ち進み、六年ぶりに甲子園に出場した。甲子園でも二丁拳銃は十分に通用し、三回勝って、準々決勝まで進んだ。


 翌年もヒラクリは、エースナンバーの「1」は別の投手に譲った。三年生になっても、ヒラクリは二番手、三番手で出てきて、えぐいボールで相手をきりきり舞いさせる役目を与えられた。


 またピッチャーをやるのか。ヒラクリは、仕方がないと自分を納得させようとした。自分は人とは違うボールを投げる体を与えられているのだ。


 試合では終盤までは外野を守り、最後の三回をシュートで抑える。そして高校最後の夏も、甲子園に出場した。


 二回戦でヒラクリが出るまでに五点差を付けられて、四回を無失点に抑えたが、負けた。ヒラクリが先発していれば、という声が裏では上がったが、気にしないことにした。


 高校を卒業したら投手を止めようと思っていたら、プロのスカウトが学校にやって来た。エースではなく、自分に興味があるらしかった。


 ドラフト5位で名古屋ボンバーズに指名された。野手ではなかったが、プロに行けるのは驚きで、勿論うれしかった。


 プロの練習で、スピードが上がった。ボールの握り方で、更にシュートは切れた。そしてスライダーの変化も大きくなった。内角へ外角へと鋭く曲がるボール。


 プロ入り二年目の秋に一軍のコーチがヒラクリの左右に鋭く曲がるボールに注目した。これは努力して投げられるものではない。そして、このボールは目が慣れるまで打てない。


 二十歳になったヒラクリは、中継ぎとして頭角を現してきた。そして三年目には八回を任せられるセットアッパーの切り札として、六十二試合に登板する。オーシャンリーグを代表する中継ぎ投手となる。


 ヒラクリは、勿論チルチルのことは知っていた。ただドルフィンズとはリーグが違うので、対戦する機会は少ない。またリリーフ投手は先発に比べて、投げる回数が少ないので、たとえチームは戦っていても、実際にマウンドで相まみえる機会はそんなに多くはない。いろんな投手が完璧にやられている。自分だったらどうなるのだろうか。自分がチルチルと対戦することは、実感としてなかった。


 チルチルが名古屋にやって来た。三連戦の第一戦はチルチルのスリーラン・ホームランもあり、序盤から大差を付けられ、中継ぎエースのヒラクリの出番はなかった。第二試合、今度は自チームの先発がチルチル以外を抑え、反対に10点の大量点でボンバーズが大勝、またしてもヒラクリの登板はなかった。


 確かにチルチルは凄い。バットが届けば必ず凄まじい打球を、スタンドの最上段の更に上に打ち込む。見ているだけなら、「すごい」の一言で済む。自分がマウンドに立ち、このモンスターと対戦する景色は、どうしても思い浮かばなかった。


 三連戦の最後の試合、チルチルのツーランで先行されるが、ボンバーズは逆転する。その後はチルチルを敬遠し、何とか二点差で八回表、先頭バッターにチルチルを迎える。マウンドにはヒラクリが送り出される。


 ベンチの指示は「勝負」だった。敬遠したところで足の速い代走が出て、かき乱される。ここでホームランを打たれても、まだ一点勝っている。それがベンチの読みだった。


 投球練習を終え、ヒラクリはマウンドをならしながら、考えていた。果たして自分のボールは通用するのだろうか。バッターボックスにチルチルが入る。体はベースと反対を向き、目は背中越しこちらを見ている。テレビで見たのと同じような、独特のフォームだ。ついに自分も世界最高のホームランモンスターと対決するのだ。


 きっと彼女は特別の才能を与えられたのだ。それはもしかしたら、自分の肘と指と同じなのかもしれない。自分は特別な体を与えられたミュータントで、だからこのマウンドに立てているのだろうか。そしてチルチルは、想像を遥かに超える奇形のモンスターなのかもしれない。ヒラクリはプレートに右足を掛けた一瞬で、いろいろと思いをめぐらせた。


 ヒラクリが投げるボールは、もう決まっていた。それは自分の特徴を一番活かすボール。真ん中の高めを狙ったボールは、ストレートのスピードで、いつものように鋭い横回転がかけられていた。ベースの近くで急激にインコースに切れ込む。初めてこのボールを見る打者は、必ず仰天するボールである。


 しかしヒラクリが初めて対戦する異能の打者は、全く動じなかった。彼の指からボールが離れた瞬間から、自分の方向へと向かう強い横回転がかかっているのを、把握していた。それはボールを内角に大きく曲げる推進力になる。


 ベースの手前で、肘を押し出すような。内角を狙い撃つようなスイングで、バットの芯をボールにぶつける。打球はレフトの遥か頭上を越えていく。いつものように野手は一歩も動かずに打球を見送った。


 ヒラクリは、ダイアモンドを一周するチルチルを見た。


 彼女は本当の怪物だ。彼女に比べれば、自分の肘は、全く正常の範囲の中で、所詮は人間ができることの範囲の中なのだ。


 なぜかヒラクリは、打たれたというのに、ほっとした気分になり、少し笑みがこぼれた。


 

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