第31話 ニシオ -チンピラ-

 ドルフィンズは、エレファンツとの三連戦のために、大阪に乗り込んだ。チルチルは新幹線での移動は好きだった。飛行機のように墜落の心配をしなくてもいいし、バスのようにブレーキを踏んだり、右へ左へと曲がることもない。


 ホテルに入ると、サギザワ監督が難しい顔をして後で部屋に来いと、とチルチルとママ・ティナに伝えた。チルチルは何事だろうかと、ママ・ティナに聞いても判らなかった。もしかして、自分の打った打球が、球場の看板に穴を開けて、たんまり修理費を年棒から引かれるのではないかと、怖くなった。


 サギザワは、渋い顔のまま言った。

「今日の相手の大阪エレファンツは、どついたれ軍団とかなんとか呼ばれててさあ。監督のフジノを筆頭にほんとガラが悪いのよ」

「ド・ツ・イ・タ・レ?」

 ママ・ティナも、関西弁は良く判らなかった。


 エレファンツの監督闘将フジノは、ぶつけたらぶつけ返せ、蹴られたら蹴り返せと、昭和のヤンキーの教えをそのまま球場に持ち込んでおり、ファイトしない選手には、逆に監督の鉄拳が飛んでくるという、コンプライアンス無視の、実に闘争的なチームだった。


 その中でもエースのニシオは、毎年デッドボール数が最多で、何年に一回かは、気の荒い外人選手や主力バッターと乱闘騒ぎを起こしている。「チンピラ野郎」と呼ばれていたニシオも、ベテランになり、実績が積み重なり、更に睨みも聞いてくると、エレファンツファンの期待通り「チンピラ軍団の頭」に昇格した。 


 他球団の選手は「アウトレージ」と陰口を叩いていた。そんなチンピラの親分が、すい星のごとく現れ、球界の常識を全て覆していくチルチルを面白く思うはずがない。


「いいか、エレファンツはみんな気が荒いが、特に注意するのは初戦に出てくるニシオだ。あいつは間違いなくわざとぶつけてくる」


 サギザワは現役時代にも乱闘騒ぎで、現監督のフジノに追っかけられたことがあり、どうにも野蛮な振る舞いが鬱陶しくて仕方なかった。早く球界から消えてほしかったし、エレファンツとの試合はいつも憂鬱になる。しかも、オーナーの大事な宝物であるチルチルに、怪我でもさせられたらたまったものではない。スズノスケの逆鱗に触れてシーズン途中で解任されたら、たまったものではない。


「いいか、くれぐれもぶつけられないようにしてくれよな」

 サギザワがしつこく言うのを、チルチルは不思議に思った。


もし、ぶつけて来ても、バットで払えばいいだけだから、そんなに怖いものではない。それよりも頭のおかしい凶暴なおっさんが、マウンドから追っかけまわしてきたらどうしようかと、そっちの方が怖かった。その時はバットを振り回して応戦するしかないと思った。


 初めてチルチルを迎え撃つとあって、球場は異様な盛り上がりを見せていた。エレファンツのファンは、「象馬鹿」と呼ばれる熱狂的なファンが多く、ヤジもすさまじい。

「こら、ニシオ。日本の男の意地見せたれ。チンチンついとんのやろ」

「一発かまして、小便ちびらしたれ」

 ママ・ティナもあまりの品の無さに逆に笑いがこみ上げたが、さすがにチルチルには訳さなかった。


 一回の表、いつものようにチルチルは三番を任される。マウンドのニシオは最初からニヤニヤしていた。ニシオがニヤニヤしている時は、相当にタチが悪いはずだ。ドルフィンズのバッターたちは、ニシオを知らない外人選手以外はみんなビビり始めていた。


 ドルフィンズの一番、二番は腰が引けて凡退。これまでにない大きなヤジとブーイングの中、チルチルはバッターボックスに入った。


 ニシオの得意なボールは、内角へのシュートと横に曲がる大きなカーブだった。シュートで腰を引かせて外角で打ち取る。時には胸元でのけぞらせて、踏み込ませなくする。たまにはぶつけて、踏み込むのを更に躊躇させる。今日対する相手は打率十割、ヒットは全部ホームラン。しかも小さな少女。そんなふざけた状況を、「アウトレージ」の親分が、良しとするはずがなかった。


「ちょっと、ひっくり返してきますわ」

「おお、やったれ」

 ケンカ親分フジオ監督は、ニシオの火に油を注いだ。


 チルチルがバッターボックスに立つと、ニシオは目は睨みつけながらも、口はニヤニヤしている。実に感じ悪い。チルチルはちょっとムカつきながら、打席に入った。


 ニシオは鼻からまともな勝負をする気はなかった。敬遠もデッドボールも同じである。ともかく一発鼻をへし折ってやりたかった。

「一発ぶつけて、おっぱい大きくしたろか」 

 ニシオは得意のシュートをチルチル目掛けて投げた。


 チルチルは内角のボールがシュート回転で投げられているのが見えた。多分自分の胸辺りに来るので、さすがにホームランにしようがない。仕方なく三塁側のファールに払いのける。


 場内は明らかにニシオがぶつけにいったのを察し、異様なざわめきが起こる。善良なふりをしている観客も、これから始まるであろう事件を、実は見たくて仕方がない。


 チルチルはきっと内角を狙ったのにコントロールミスしたのだろうくらいに考えた。バッティングコーチが身を乗り出して、何やら文句を言っているのが見えた。チルチルよりもベンチが怒っていた。


 ニシオは簡単にバットでさばかれて、更に腹が立った。

「今度こそはびびらしたるわ」

 二球目ほぼチルチルの顔の高さを狙って投げた。チルチルはまた自分目掛けてボールが来るのが判り、刀で上段から切るようにボールをファールグラウンドに叩きつけた。


 さすがに、ドルフィンズベンチも大騒ぎになる。ニシオはわざとらしく帽子をとって深く頭を下げた。勿論、演技なのは判ってはいるが、チルチルもバットを振ってボールを打っているので、審判も退場にもできない。実際にこれで二つストライクを取っている。


 チルチルも、ニシオが真面目に野球をしていないのは良く判った。頭を下げた後、チルチルの方をちらっと見て、にやりと口元が緩んだのを見逃さなかった。さすがにむかついた。


「そっちがその気なら」

 チルチルは一塁側のベンチにバットを向けた。


「やってくれるやないけ。これで俺がびびると思とんのか」

 ニシオはもう普通にアウトを取る気もなかった。チルチルをビビらせるというその一点だけがマウンドに立つ目的だった。


「もういっちょいったるわ」

 ニシオはまたしても胸元目掛けて投げた。チルチルは少しスイングのタイミングを遅らせて、再び上段から切りつけるように、バットで上から叩いた。チルチルはわざとボールの左側を打った。バットから放たれた打球は大きく右側に、ライナーで飛んだ。ベンチにいる選手たちが反応する間もなく、打球はベンチの奥の壁に当たると跳ね返って見事に、フジノ監督の後頭部を直撃し、フジノ監督はそのまま前のめりに倒れた。さすがのチンピラ・ニシオもこれには驚いた。


「あのガキは、狙ってベンチに打ち込んだ」

 もしかしたら、誰かを殺そうとしたのではないか。ニシオはチルチルの底知れぬ打撃能力に、寒気がした。


 サギザワ監督はベンチで無言ではあったが、腹の底では、「ざまあみろ、そのまま百年寝とけ」と思っていた。


 チルチルは、今度は、マウンドに立つニシオの顔目掛けて、銃口のように、バットを向けた。チルチルに睨まれたニシオは死の恐怖を感じた。

「殺されるわ、これ」


 ニシオは突然に笑顔を作り、帽子を取って深々と頭を下げた。口は笑っているが、目は怯えて泣きそうになっている。実に気色わるい悪いと、チルチルは思った。


 チルチルはホームベースをバットで三回叩き、ストライクを投げて勝負するように、挑発した。ニシオは四回頷き、すがるような目でお辞儀をした。キャッチャーは遠くミットをストライクゾーンの外側遠くに構えた。しかし、ニシオは実に力のないストレートをど真ん中に投げた。

 

 チルチルはわざと打球をニシオの真上に飛ばした。二度とオイタをしないように、しつける必要がある。ニシオは真上を飛ぶ打球の速さに、再び「これほんまに死ぬわ」と思った。


 退場した監督の代わりにピッチング・コーチがマウンドに向かうと、ニシオは自分から、「今日は調子悪い。あかん。やめときますわ」と、自分からマウンドを降りてしまった。監督にはぶんなぐられるかもしれないが、死ぬよりはずいぶんましだと思った。


 チルチルがベンチに戻ると、ママ・ティナは拍手でチルチルを迎えた。


「あの、ベンチに打ち込んでやったのスカッとしたよ。あのおじさん天国にいっちゃったんじゃないの?」

「大丈夫、死なない程度に打ったから」

 チルチルは舌を出して笑った。

 







 

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