第28話 アラザキ -色男-
アラザキユウスケは、高校一年から投手として甲子園に出場。その都会的な顔立ちから、マウンドのプリンスと呼ばれた。ルックスだけでなく、実力もあった。左からのストレートとカーブは、すぐに注目を浴びるようになり、二年の夏には、プロのスカウト陣が、バックスタンドに並ぶようになった。
140キロを超えるストレートだけではなく、投球術も高校生離れしたセンスがあった。ストレートを見せ球に変化球でかわしたり、かと思えば、内角胸元に回転のいいストレートを投げ続ける。一瞬でバッターの狙いを見抜き、手玉に取る。
アラザキの父は元プロ野球の二百勝投手。若い頃は、ルックスも相まって、日本で一番女性をグラウンドに集める投手だった。そして母親は、バレーボールの日本代表で、オリンピックにも出場した美人選手として有名なセッター。二人が結婚を発表した時に、SNSは呪いの言葉であふれた。
そんなスターの子として産まれたアラザキユウスケ。アスリートとしての実力もルックスも受け継いだサラブレッド。マウンドに立つだけで、グラウンドに花が咲き、ピンスポットが彼を照らすようだった。各球団がアラガキを欲しがった。彼がいるだけで金になる。
ただ、プリンス・アラザキにも弱点はあった。脇がとてつもなく甘かった。ドラフト会議の前日には、高校のマネージャーだった先輩とホテル街に出掛けるのを、見事に雑誌記者にすっぱ抜かれた。
「勉強を教わりに行っただけです。みんなに誤解を与えるような行動をして大変に申し訳なかったです」と殊勝なコメントを残すも、誰も信じなかった。高校の時から何人も彼女がいたのは、周知の事実で、「まあ、あいつはそういうもんだ」と、なぜか周りは納得してしまうので、反省もしない。
エリートアスリートのアラザキは、父親からは「努力を続けることが天才なのだ」と言われ続けた。確かにアラザキは野球に関しては、実に真面目に取り組んだ。チームの誰よりも多く走り、真剣に理論を学んだ。ただ、どうしても、男性ホルモンの分泌だけは止めようがなかった。父親も、時々釘は刺したが、光には虫が寄ってきてしまうのは、如何ともし難いと、自分の経験からあきらめていた。
予定では、エースとしてハンターズの開幕戦を任されるはずだったが、またしてもキャンプでの夜の密会がすっぱ抜かれ、監督もほとぼりが冷めるのを待つために、開幕のシリーズはアラザキの登板を見送った。そして、ホームグラウンドでの第三戦、アラザキは開幕を迎える。
アラザキは登板の日、球場のロッカールームに入ると、チームメート達がスポーツ新聞を見て、笑いながらざわついていた。何だろうと覗き込むと、チルチルの大きな写真が見えた。ああ、今日対戦する、噂の女の子か。日本人にはないエキゾチックな顔立ちではあるが、東洋人的親しみもある顔立ちだ。アラザキは、こういうギャルと夜を過ごすのも悪くないなと妄想した。そして、「全部あげちゃう」の大きなコピー。アラザキの目が輝いた。
常識人は、このような下品で扇動的な広告も、ただの言葉遊びだと思うが、アラザキは本当に文面通りに受け取った。この子をアウトにして、僕のモノにするんだ。そう思うと、感情が高ぶってどうしようもなかった。
アラザキの妄想はどんどん膨らんだ。この子はもう十七歳なら結婚は出来るのだな、南国の美少女との生活も悪くないかもしれない。朝日の当たる部屋で、二人でベッドの中で一切れのパイナップルを両側からかじる。きっと南の人はおおらかだから、たまの浮気も大目に見てくれるだろう。
アラザキが壁に向ってニヤニヤしているので、マスコミに叩かれた上、開幕戦のシリーズを外されたので、どこかおかしくなってしまったのかと、ピッチングコーチは心配になった。しかし、アラザキは今日の夜、どうやって、チルチルと二人で球場を抜け出そうかと考えていたのだった。
試合前、ビジターチームであるドルフィンズの練習が終わり、練習の最後のバッターであるチルチルが五球スタンドの上の屋根にぶつけた後、一旦引き上げようとすると、予告先発のアラザキが、ベンチ近くにやって来た。そして、なれなれしくママ・ティナに「おねえさん、通訳お願い」と頼んだ。
「今日は君をいただきに来たよ。よろしくね」
ウインクをして、自軍のベンチに戻って行った。
「あの人は何?嫌がらせ?」
チルチルは、突然現れた気持ちが悪い男のことを、ママ・ティナに聞いた。
「あいつが今日の先発ピッチャーだよ。ただの変態みたいだけど、蚊みたいに血を吸いにはこないから安心しな」
チルチルは蚊も変態も、地球から消えてほしいと思った。とにかく早いところホームランでノックアウトして、マウンドから去ってもらおうと決めた。
チルチルは前の試合と同じ三番に入った。アラザキは、根拠のない自信に満ち溢れて、ゾーンに入った状態になり、一番二番を三振に抑えた。
「あの変態さんは左手で投げるんだ」
チルチルは変態は嫌いだったが、興味深くアラザキの投球を観察した。練習では見たことがあるが、サウスポーとの対戦は初めてだった。少しだけ楽しみになった。
初めての敵地でのブーイングの中、チルチルはバッターボックスに向かう。チルチルはブーイングをこの地方にある応援の方法だと誤解した。初めて敵地での試合。まさか自分に打ってほしくないと思う観客の方が多いとは、チルチルはまだ夢にも思っていなかった。
打席に立つと、マウンドの投手は、確かに、昨日までの投手とは、反対の方の手にグローブをはめている。変態さんは、相変わらず笑顔でチルチルの方をガン見している。実に気色が悪い。
チルチルは球場を見た。この球場はスクリーンが左中間と右中間にある。だからスクリーンを壊さないためには、正面近くに打った方がいい。ただあまりに低いと、奥にガラス張りの観客席があるので、その上の広告の看板が狙いどころだ。チルチルは看板に書かれたヨーグルトの瓶に狙いを定めた。
アラザキは試合前にキャッチャーと話し合っていた。チルチルは左との対戦は初めてだ。このアドバンテージを活かさないわけがない。左からひざ元へのクロスファイアー。右投手には絶対に投げられないボールだ。バットに当たっても、せいぜい内野ゴロにしかならない必殺の一手。
アラザキは、キャッチャーミットを見て迷いなく投げた。アラザキの最高のボールが、インコース低めぎりぎりに投げられた。
チルチルは投げられた瞬間に、体近くの低めにボールが来るのが判った。ひざ元を通る石を、ジャングルでどれだけ打ったことか。チルチルが回転し、バットはすくい上げるような縦回転でボールを捕らえた。
快音を響かせ、打球はセンターを大きく超えた。チルチルの狙い通り、ヨーグルトの看板を直撃した。これにはチルチルも満足した。完璧にイメージが再現された。球場は一部のドルフィンズファンを除き、静まり返った。
結局、大したことはなかった、右で投げようが左で投げようが、ボールは丸いままだし、回転の方向へ曲がっていく。結局どっちで投げても同じだと、チルチルは理解した。
静かなダイヤモンドをチルチルは一周する。どうやら、観客の多くは、彼女のホームランを、喜んでいるわけではないというのを、チルチルもようやく理解できた。
これであの変態さんががっかりして、マウンドを降りてくれればいいと願ったが、残念ながらまだニヤニヤしながらマウンドに立っている。くじけていないようだった。しかたがないので、次こそはへこませなきゃと、思った。
第二打席はワンアウト、ランナー無しの状況で、やってきた。得点は1対2で、相手ハンターズが一点リード。アラザキはまずストライクを取り、カウントを良くしてボール球を振らせようと考えた。
一球目は外側のボールのゾーンから中に入って来るスライダー。これも左投手しか投げられないボールできっと驚くはずだ。まず、このボールでストライク取る。やや高めで外側に外れるボールが投げられた。しかし、ボールが指先を離れた瞬間に、自分に向っての横回転がかけられているのが見えた。このボールは絶対に内側に曲がってきて、バットの芯が通過できる空間を通るのを確信した。後はチルチルには簡単な作業だった。再び打球はセンターの遥か上を越える。野手は一歩も動かなかった。
アラザキは呆然とした。あのボールを初見でちゃんと振った奴はいない。それどころかホームランだ。
アラザキは困ったと思った。チルチルを抑えて、彼女をモノにするチャンスは、多くてもあと二回だ。マウンドに監督が歩いて来たので、あせった。
「すいません。次は抑えます」
「同点だからな。慎重に投げろ」
交代されないと判ると、少しほっとした。監督はベンチへ戻る前に言った。
「もう、あいつとは勝負するな。全部ボールだ」
アラザキはショックで、それはないだろう、おっさん、と思った。
そして第三打席、ベンチのサインはやはり全部外せだった。しかたがない、それでも調子が良ければ四打席目も投げさせてくれるかもしれない。ここは引いておこうと考える。外角の遠くへ目がけ外れるボールを投げた。しかし外し方が中途半端で、ストライクゾーンから外れるボールではあったが、チルチルのバットの射程範囲内だった。三度目も、打球はセンターを越えた。
今度のブーイングとヤジはアラザキに向けられた。女性関係をからかう品の無いヤジも多数混じり、その声はテレビのマイクでしっかり拾われた。
監督がやって来て、「どこ投げとんじゃ、ボケ。家で頭冷やしとけ」とののしられ、アラザキはマウンドから下された。チルチルとの密会どころか、夜間外出禁止の罰が確定しそうだった。
アラザキはプロに入って一番落胆した。
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