第26話 イシベ2 -速い?-

「ホームランを打つたびに、インタビューされるのか。それだったら打たない方がいい。適当にフェンスにぶつけてアウトになる」

 チルチルはとにかく大勢の人に笑われるのが、いやでいやで仕方なかった。


「外人なんて蟻だと思ってればいい。蟻はたくさんいるけど、蟻の言葉は判らないだろう。蟻がみんな笑っていても恥ずかしいかい?」

 ママ・ティナは何とかチルチルをなだめようとした。チルチルが打たなければ自分もお払い箱になる。何とかチルチルには、頑張り続けてもらうしかない。


「いいかい、日本人はニコニコして優しい女の子が大好きなんだ。ニヤニヤして、『最高です』って言っとけば喜ぶのさ」

 ママ・ティナは目尻を下げて笑顔を作って見せて、チルチルに真似させた。これでは泥棒の顔だ。こんな顔の人間を信じるなんて、日本人は少し頭が弱いのではないか。チルチルは、これからこの国でやっていけるのかと、ちょっと不安になった。




 試合前、スタメンがアナウンスされる。チルチルの名前が呼ばれると、ドルフィンズファンの歓声だけでなく、ジャガーズの応援団からもどよめきがあがった。デビュー戦では四打席連続ホームランを打っており、次の打席には日本タイ記録がかかっている。


 一回表、ジャガーズが三番バッターのホームランで先制する。四番バッターがレフトライナーに倒れると、マウンドにはイシベが上がった。


 イシベは勿論、自信満々だった。昨日のピッチャーとはスピードが違うの見せつけてやると、意気込んでウォーミングアップを始める。一球、二球と球は上ずって高めに浮いた。これは力が入っている。こういう日のイシベはいいか悪いかどちらかに、極端に振れることを、キャッチャーは経験で知っていた。今日のイシベはボールが走っている。


 一回表、ジャガーズは三番バッターのホームランで先制。一点を追い、一回裏のドルフィンズの攻撃となる。


 一番バッターを高めに外したボールで三振に取ると、二番バッターは四球続けてファールさせて、外角低めで三振に取る。大歓声の中、チルチルはバッターボックスに入る。


 ベンチを出る前に、ママ・ティナから指示を受けていた。

「今日のピッチャーは速いよ。スピードだけなら一番かもしれない。きっと全力で投げてくるから、そのつもりでいた方がいいい」


 チルチルは、「速い球、速い球」と意識して、バッターボックスへ向かった。


 チルチルは人間が投げる速い球というものに、少しワクワクしていた。猟師が放つ矢のようなスピードのボールがやって来るのだろうか。自分の動体視力と反射神経の限界を試すようなボールとの対決。


 チルチルは、ネクストバッターズ・サークルでイシベのボールをじっと見た。

「あれ?」


 二番バッターがキャッチャーフライに倒れ、チルチルが打席に入る。昨日と同じ投手に背を向けた構えで打席に立っている。イシベはそんなへんてこりんな構えで打てるものかと思う。まずは内角高めでバットをへし折ってやるか。イシベはボールになってもいいつもりで思いきり内角に投げた。


 チルチルは回転しながら腕を畳む。しかしヘッドスピードは落ちない。それはジャングルの練習で体に染みついた動きだった。

キーン。


打球はレフトの遥か上を越え、昨日の四本のホームランと同じように、外野席の更に上へ飛んだ。


「うそっ」

 昨日の開幕戦から続くチルチルの連続打席ホームラン日本タイ記録に、場内は大騒ぎになった。


 投げそこないか?いや、そんなことはない。確かに多くのバッターのバットを折り、空振りやキャッチャーフライの山を築いたインコースの直球だった。ホームランの記憶など一度もないコースだった。まぐれだ、まぐれに決まっている。


 チルチルは、がっかりしていた。ママ・ティナが速い速いというから、どんなボールが来るのだろうかと期待していたのに、昨日のピッチャーが投げた球よりほんの一割ほど速いだけで、大した違いはなかった。回転は昨日のピッチャーの方が少し多い感じがした。


 ベンチで出迎える監督や選手ももはや苦笑いしかなかった。サギザワも、野球に絶対は存在するはずがなく、確率の中での戦いだと思っていた。しかし、もしかしたら野球にも絶対があるのかもしれない。


「さすがだねえ」

 と、ベンチに帰ってきたチルチルの頭を、ママ・ティナはヘルメットの上から撫でたが、チルチルはそんなに嬉しくなかった。


「速くなかったよ」

 さすがに、ママ・ティナもかける言葉がなかった。チルチルは今までの野球選手とは全く違う存在なのは判った。私が通訳しているこのまだ幼さの残る子は、とんでもないスーパースターになるのだと思うと、自分も崇高な何かになった気がした。とにかく、この子と巡り会えた幸運に感謝しよう。


 イシベは、ベンチでまぐれは二度続かないと信じていた。出合頭の一発ということはたまにある。そもそも俺が打たれる時は全てそういうものだ。いち、に、さん、で思い切り振ったバットにたまたま当たってしまっただけだ。というか俺の打たれたホームランは全てまぐれだ。


 三回裏、力んだイシベは先頭の九番バッターにフォアボールを出し、ワンアウト後、二番バッターをセカンドゴロに打ち取るも、ダブルプレイは取れず、チルチルを迎えた。


 6打席連続ホームランの日本記録がかかる打席、場内の興奮の声が球場を揺らす。イシベは今度こそ絶対にバットに当てさせないと意気込む。キャッチャーはアウトコース低めに構えた。興奮するイシベも、さすがにその選択は正解だと思った。やつは、内角高めを想定して、バットを振っている可能性がある。さっきは、奴が待つその一点に、こちらから投げてしまった可能性がある。だったら、そこさえ外せばよい。

 イシベは、昨日エースがいろんなコースのボールを全てホームランされている事実を忘れていた。


 イシベの165キロのストレート。快音を残して、チルチルの打球は左中間を越えて、看板の上のドームの天井近くに飛んだ。チルチルは看板を狙っていたので、ちょっと上げすぎたとがっかりした。

 日本記録は簡単に塗り替えられた。突然南の島からやって来た少女の快挙に、皆は賞賛や評論の言葉を失った。とんでもない何かを見せられているのは間違いない。


 監督とピッチングコーチがマウンドにやって来た。日本記録を献上した投手となったイシベを気遣い、二人はイシベをマウンドから下すつもりだった。しかし先手を打ってイシベはまくしたてた。


「こんなんで終われないですよ。ここで下ろされたら完全な負け犬じゃないですか。かっこ悪すぎですよ」


 監督とコーチは、まあ、これ以上すねられてもしょうがねえし、と思って、ベンチへ戻った。


 格好はつけたものの、イシベは激しく動揺していた。きっとフォームかリリースポイントがおかしくて、いつものスピードが出ていないのか。

「今日は調子わるいっすか?」

 マウンドに来たキャッチャーにイシベは聞いた。

「いや、今日はいい球来てるよ」

 キャッチャーの一言は余計にイシベを混乱させた。いつもより、いい球なのに打たれるのか?あのオヤジ適当なこと言いやがって。


 六回裏の先頭バッターにチルチルが入った。確かにチルチル以外には完璧近く抑え込んでおり、すでに8個の三振を取っている。確かに調子はいいのだ。今度こそは間違いなく制圧してやるぞと思う。ただ、さすがのイシベも慎重にはなろうと思う。あいつは全て一球目を打っている。それでは外した球でも振って来る可能性がある。へぼなバッターがくるくる回る高めに外す球を投げれば、あいつも空振りするに違いない。キャッチャーも同じ考えで、様子見に高めに外す球を要求している。珍しく気が合ったと思う。


 イシベは振りかぶって、渾身の力で高めに外して投げた。力が入りすぎたのか、ボールは狙いより高めに外れた。肩の高さに投げたつもりが、外角のチルチルの目の高さ当たりのボールになった。しかし、チルチルのスイングは止まらなかった。


「わっ」

 ボールを打つ音に思わずイシベは声を上げた。振り向くと打球はまたしても左中間を越え、観客席のその上に飛んだ。いつもぶつけるビール会社の看板の左側にある、自動車会社の広告にぶつかった。ボールが高かったので、微妙に横回転が強くなり左に曲がった。自分の肩より高いボールを引っ張ると、左向きの回転が強くなり、左に曲がりやすくなるのをチルチルは学んだ。


 さすがにジャガーズの監督も無理やりイシベをマウンドから下した。これ以上のダメージは、今後に影響が出る可能性がある。特にイシベのような自信の塊の奴ほど、くじけた時の沈み方が大きい。


 イシベは、ベンチに戻ると、動転して自分を失い、ベンチのコンクリートの壁を殴ってしまった。運悪く骨にひびが入り、イシベは半年を棒に振ることになる。


 結局、エースのナツカワも迷いからフォームを崩し、二軍に落ちた。優勝候補のジャガーズは、二人のエースをチルチルに壊されてしまった。


 



 


 

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