第25話 イシベ -豪速球王子-

 チルチルは、試合の後のヒーローインタビューに駆り出されたが、「どんなボールでしたか?」と聞かれると、ついつい「いつもと同じ丸いボール」と答えてしまい、ママ・ティナはそのまま訳したので、球場は爆笑に包まれた。


 チルチルは何が可笑しいのかは判らないが、自分が笑われているのは間違いないようで、猛烈に恥ずかしくなり、少し涙が出て来た。


 チルチルが急に涙を浮かべたので、慌ててインタビューのアナウンサーは、「喜びを島の皆さんに伝えてください」と話題を切り替えたら、「うちにはテレビがない」と答えると、また球場内に爆笑が響き渡り、チルチルは恥ずかしくて本当に泣いてしまった。


 アナウンサーは慌てて、インタビューを打ち切り、ママ・ティナはチルチルをなだめてベンチに戻った。


 帰りの車で、チルチルはもう球場で打つのは嫌だとだだをこねたが、インタビューもそのうち慣れるだろうし、契約金と給与もらってるので、勝手に休むと、大人がお金返してもらいにやって来るよと、適当な嘘をついてチルチルをなだめた。。


 勿論、開幕戦翌日のスポーツ新聞の一面は全てチルチルだった。twitterもYouTubeも、チルチルの話題で埋め尽くされた。困ったのは、解説者たちだった。見たこともない打ち方で、見たことのない打球を飛ばす。それは過去に存在したことのない技術なので、目が素晴らしいとか、何万回もあの回転を練習したのでしょうとか、中学生でもいいそうな話しかできなかった。


 ナツカワは幸いには頭の後ろにたんこぶができた程度で大きなケガはなかったが、何しろ精神的なショックが大きく、夜になると、ホームランを打たれる光景が現れ、不眠症になった。ナツカワは、チルチルというグラウンドの魔女の、最初の犠牲者になった。




 もう秘密ではなくなったチルチルは、翌日は試合前の打撃練習にも加わった。全てのカメラマンがチルチルを追う。練習用のバッティング・ピッチャーから五本同じ看板に打球を当て続けると練習を止めた。


 実はホームランを打つことは、チルチルにとっては、石を遠くに飛ばすよりは簡単な作業だった。なぜなら、ホームランは全力で完璧に打つ必要はない。フェンスを越えさえすればよかった。観客にけがをさせないために最低の距離を観客席の最上部に設定はしたが、それを越えさえすれば問題ない。だからチルチルはコントロール重視でバットを振ることができた。


 しかも、野球のボールはほぼ完ぺきな球形であり、どの部分を打ってもほぼ同じ結果が出る。河原に転がる石を打つことに比べれば、実に簡単だった。


 だから、どちらのチームの大男たちも、どうしてあんな打ちやすいボールを打てないのか不思議でしょうがなかった。ただ、一つ理解できたのは、他のバッターがちゃんと打てるかどうかは、打ってみるまで判らないので、野球を観客の気持ちになって見ていると、とても面白いということ。


 もし全員が自分のように全部ホームランを打てたらきっと野球はつまらないだろう。何より試合が永久に終わらない。


 インタビューは大嫌いだが、それでも打席に立ち、ホームランを打ち何万ものファンが喜ぶ中、ダイヤモンドを一周するのは実は心地よかった。自分も野球に引きつけられているのかもしれないと、チルチルは思った。




 イシベは、九州の米軍基地のある港町で生まれ育った。父親は造船所で働いており、母親はフィリピン系アメリカ人だった。イシベは子供の頃から体が大きく、喧嘩になれば無敵で、中学に入学すると隣の学校の三年生も倒し、地元の半グレの間では有名になった。


 有り余る体力を暴力に向かわせないために、学校の教師と母親は、中学二年のイシベを、野球部に無理やりいれた。長い練習や、先輩との礼儀など、規律が嫌いなイシベには、かったるくてしょうがなかったが、それでも打ったり投げたりするのは楽しかった。


 特に投げる方は、出鱈目な投げ方でも学年で一番速かった。もともと外野だったイシベに、監督は投手としての練習を始めさせた。下半身を使うこと、指先の力のボールへの伝え方などを覚えていくと、ボールはますます速くなった。


 イシベは、ふまじめに見られていたが、目的のためには、真剣に考え実践した。筋トレ、ストレッチ、ランニング。イシベは、生まれて初めて、つまらないことに、まじめに取り組んだ。


 監督はイシベには直球以外は教えなかった。彼はダイヤの原石だ。自分のような中途半端な指導者が、おかしな研磨をしてしまうわけにはいかない。彼はきっと最高峰を目指せるはずだ。


 九州の中学にとんでもない速い球を投げる奴がいるらしい。高校野球界でもイシベは有名だった。県大会には多くの高校の関係者が見に来た。残念ながら県大会では優勝できなかったが、145キロを投げる中学生イシベという名前は、全国に伝わった。


 結局、高校は地元の強豪校に決めた。遠くの強豪校での、先輩との寮生活など耐えられるとは思えなかった。


 高校で初めて硬球を投げて、その感触がうれしかった。自分の球が浮き上がっていくような気がした。カーブも最初はそんなに曲がらなかったっが、直球とのスピード差で相手は簡単に腰砕けになった。


 しかし、こんな子供だましのボールで打ち取っても退屈だ。俺は力でねじ伏せる。バッターは直球を待って、バットを短く持ち、流し打ちで対応するが、それでもかすりもしない。俺が目指すのはそういう豪速球だ。


 教科書もまともに読んだことないイシベが、生理学の本や医学書まで読んだ。1キロでも速いボールを手に入れるためだった。


 二年と三年の夏、甲子園に出場した。打線は全国レベルとは言えなかったが、三年の時は準々決勝まで進んだ。準々決勝ではイシベも疲労が蓄積しており、コントロールが定まらず、高めのボールを連打され負けた。この屈辱はプロで晴らしてやると、イシベは天に誓う。


 ドラフトで2チームから1位指名され、福岡ジャガーズが交渉権を引き当てた。福岡ジャガーズは強豪チームだ。チームが日本一になり、自分も日本一の豪速球投手であることが、すぐに証明できる。プロ野球のおっさん連中がどの程度のものかは知らないが、俺の直球で尻餅をつかせてやる。


 ジャガーズには絶対的なエースのナツカワがいたが、どんなエースも俺の直球を見れば、ひれ伏すに違いないと、マジで思った。球が一番速い奴が本当のエースに決まっている。


 確かに、速い球ではあったが、コントロールは日によって定まらず、変化球も小便カーブしかない。これでは、プロで安定した数字を残すのは無理だと、コーチ陣は認識していた。


 イシベは一年目は二軍で鍛えられることになった。自分よりボールの遅い連中が、一軍にいて、自分は二軍で投げ込みをさせられている。このチームの連中はいかれているのかと、イシベは真剣に怒った。目に物言わせてやると、練習場のマウンドででも練習試合でも、怒りの炎を燃やし、投げた。

 

 それでも、自慢の速球は、真ん中に入れば打たれ、たまの変化球も、曲がりが悪く真ん中に入れば、簡単に長打を打たれた。さすがはプロだった。


 イシベは悔しかった。イシベが他の投手と違ったのは、弱点のコントロールを磨こうとか、変化球の質を上げようという戦略はなく、ひたすら得意のストレートの威力を上げることに集中したことだった。理想は相手のバットを粉砕すること。打った瞬間ボールの威力でバッターがひっくり返ること。空振りすれば、捕ったキャッチャーも後ろに転がるような豪速球を、目指した。


 スピードを増すトレーニングの過程で、鍛えられた下半身のおかげで、コントロールも段々と良くなっていく。ボールが速ければ曲がりの悪い変化球も、スピード差だけで十分武器になった。たまにフォークを投げれば、そんなに落ちなくても、スピード差でバッターはだまされた。


 二年目の秋、ついにイシベは一軍に上がる。初先発でいきなりノーヒットノーランを達成し、日本中を驚かせる。「判っていても打てない」「あのストレートはやばい」


 三年目には、ナツカワとの二枚看板と呼ばれるようになる。俺よりボールの遅い奴が、表看板だとかエースだとかは思わない。俺こそが象徴であり、皇帝だ。


 開幕投手を俺に任せない監督も、実は能無しだと思っている。エースだとか言われている奴は、昨日、女に三発もホームランを打たれた。そんなエースがいるか。今日は、俺を一番手に置かない馬鹿どもに、違いを見せつけてやる。イシベは鼻息荒くマウンドに向かった。

 

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