第23話 ナツカワ -エース-

 ナツカワは、東京のボーイズリーグチーム時代から、天才投手として有名だった。ナツカワの試合には、日本中の有名高校のスカウトが集まった。結局、神奈川県の全国制覇経験のある高校に進学、一年の夏の大会にはもうベンチ入りし、第二先発を任された。一年の秋からはエースとなった。


 そう僕はエースなんだ。絶対に負けるわけにはいかない。


 一年の秋、関東大会の準々決勝で延長十二回で0対1で負け、悔し涙を流す。

 

 エースは何があっても負けてはいけない。味方が点を取れないなら、点が取れるまで、試合が何百回続こうとも0点に抑え続けなければならない。それがエースなのだ。


 二年の夏、エースとして激戦の神奈川県を勝ち上がり、甲子園出場を果たす。しかし、一回戦で優勝候補の大阪代表と対戦。またしても0対1で敗れる。まだ足りない。自分はエースという高みに昇りつめてはいない。ナツカワは甲子園で試合に負けた次の日から、走り込みと筋トレを始めた。


 秋の大会で関東大会で優勝し、春の選抜大会に出場した。またしても優勝候補同士の決戦となった準決勝で、因縁の大阪代表との試合を、延長十一回完投で勝利する。ナツカワはやっと満足した。これが、エースの仕事だ。もう誰にも軽蔑されない。


 決勝戦、チームは別の先発投手が打たれ、優勝はできなかったが、ナツカワにはどうでもよかった。自分が打たれていないのだから、自分の責任ではない。


 そして、最後の夏、ナツカワはその年の高校生の中で、最高の投手であるのは間違いなかった。優勝候補の大本命。当たり前だ、全ての打者が自分を研究し、それでも自分は勝ち続ける。なぜなら僕はエースなのだから。


 ナツカワは全試合での先発を申し出る。ナツカワの投げる試合には、全チームのプロのスカウトが陣取った。打線も好調で、チームは決勝まで勝ち進む。そして最後の試合ナツカワは一安打完封でチームを優勝に導く。


 ストレート、スライダー、スローカーブ、そしてたまに投げるフォークボール。どの球種もすでにプロで通用するレベルである。しかもコントロールも申し分ない。全ての球団のスカウトが、Sランクの評価を付けて球団に報告する。その年のドラフトでは六球団がナツカワを一位指名した。


 ナツカワはどのチームでも入団するつもりでいた。どのチームへ行くかは大した問題ではない、チームのエースは自分には役不足だ。自分は日本一の絶対的エースになる。


 当たりくじを引いたのは、福岡ジャガーズだった。これで、十年間は毎年10勝以上が計算できる。オーナーも監督も喜んだ。高卒ルーキーとしては、史上最高の契約金で、ナツカワはチームに迎え入れられた。


 入団後三か月は体作りのために、二軍にいたが、七月に一軍に上がると、デビュー戦で7回を無失点に抑えて勝ち投手になる。その後、五連勝し、本物だったことを世間に知らしめる。


 結果、一年目に三か月間の二軍生活があったにもかかわらず、十勝を挙げ、見事新人王を獲得する。


 ナツカワは喜ぶというより、ほっとしていた。新人の中で一番になれないようでは、日本のエースなどと吠えるのは、ちゃんちゃらおかしい。


 二年目は十二勝して優勝に貢献した。チーム内でも二番目の勝ち星だったが、エースの称号は絶対エースのウドウの手にあった。自分のやるべきことは一つ、ウドウをエースの座から引きずり下ろし、そこに君臨し続けること。


 三年目、ナツカワは新たにツーシームを覚えた。ミートが下手なバッターからは、一球で内野ゴロが取れる便利な武器だった。プロらしい肉体ができつつあり、全ての力が膨張する感覚があった。そしてその年、ウドウと同じ勝ち数で、最多勝を獲得する。


 その年は他の投手が不調でチームは惜しくも優勝を逃したが、クライマックスシリーズは、ナツカワの好投もあり連勝し、日本シリーズには出場する。


 この頃から、ウドウと並んで、ダブルエースと呼ばれるようになった。ナツカワはまだ不満だった。ダブルエースとはどういうことだ。王は二人もいらない。


 四年目、ナツカワは十三勝に終わる。ナツカワが投げるとなぜか点が入らないという悪循環。しかし、ナツカワは打線のせいにはしない。味方に点が入らないのなら、こちらも0点に抑えればいい。それができないのではエース失格だ。


 五年目、全てが噛み合った。球界も久し振りに現れた二十勝投手に沸いた。文句なしでMVPを受賞。日本シリーズでも二勝し、エースの誉れはナツカワにあると世界が認めた。その年三勝しか挙げられなかったウドウは、シーズン終了後に引退を発表し、コーチに就任した。ウドウが一年後に次の監督になるのは既定路線だった。


 自分はあと十年エースの座を守り続ける。誰にも渡さない。ナツカワはそう覚悟した。


 ジャガーズはナツカワの後輩で、高校の時から155キロ投げまくるイシベが入団、これでジャガーズ投手陣は日本のエースを二枚揃えたとファンは喜んだ。


 エースが二人?あり得ない。野球はやり投げとは違う。ただ単に早く遠くへ投げたり打ったりするだけではない。全ての記憶や意志をボールに伝え、相手バッターを倒していく。総合的な芸術なのだ。ただ速い球を投げるだけの野獣とはレベルが違う。ナツカワは敵も、味方も、そして世間も完璧に沈黙させる絶対的な高みを目指す。


 オリンピック、アメリカとの決勝戦のマウンドには、ナツカワがいた。八回をヒット三本に抑え、四大会ぶりの金メダルを日本にもたらした。


 翌年のWBC。キューバとの決勝戦、やはり先発のマウンドに立ったのは、ナツカワだった。世界一の破壊力と呼ばれた打線を、完璧に抑える。

延長12回にリリーフ投手が逆転ツーランを打たれ、ニューヨークの激闘と呼ばれる伝説的な試合は終わったが、確かに「日本にナツカワあり」を、世界中に知らしめた。


 ナツカワにとっては、エースであることは必然で、それが彼の存在理由だった。今年もペナントレースが開幕した。試合は定理を証明する場所にすぎない。自分が最高の投手であるという定理。マウンドに立てば、自分を打つために鍛え上げられた打者たちを倒していく。腕に覚えのある侍や騎士たちを何度でもぶった切る。


 ところが、真剣勝負の神聖な場所に、今年はおかしな道化が一人混じって来た。チルチル入団の話は、知っている程度だったが、まさか、スターティングメンバーに、その名前が入るとは夢にも思わなかった。ナツカワは大変不愉快になった。


 こんなお遊びにつき合って、お遊びのアウトを自分の記録として残したくもなかった。ベンチで投手コーチに、「あのふざけたバッターだけ、誰か別の野手にでも投げさせてもらえませんか」と相談したが、コーチからは「まあまあ、これもファンサービスと思って、こらえてくれや」と肩を叩かれると、さすがに拒否はできなかった。


 一回裏、ドルフィンズの攻撃。一番バッターをストライク二つで簡単に追い込むと、高めの釣り球を一球はさんで、フォークボールで三振。二番バッターが打席に向かうが、打者よりも、ショートパンツのユニフォームでネクストバッターズサークルに現れたチルチルの方に、大きなどよめきが上がった。


 勿論、ナツカワには不愉快の極みだった。日本で最高の投球を披露する場が、話題作りの素人に汚されている。それは神社の境内や、寺院の本堂で裸踊りを見せられるような屈辱だった。


 ナツカワはバッターではなく、まずチルチルを睨みつけ、それからマウンドをならし、投球の準備に入った。


 チルチルはナツカワを非常に感じの悪い奴だと思った。まだ対戦してもないのに、睨みつけることはないだろう。自分に打たれるのを想像して、恨むのはおかしいと思う。少なくとも、サトシはどれだけ打たれても、怒ることはなかった。


 ナツカワは、二番バッターのツジノを早く片付けて、チルチルと勝負したかった。ともかくまぐれ当たりのホームランを一本打ったかもしれないが、商売道具として女子を使うとはドルフィンズのやり方は外道が過ぎる。真実を見せつけてやると思う。


 初球を見逃がす。ドルフィンズの二番バッターは驚いた。通常のナツカワは、九回を投げ抜くつもりで、ペースコントロールしており、初回からエンジン全開で投げることはなかった。ただ、今日はクローザーのように、初めから全力で投げてきている。二球目のスライダーを何とかバットに当てるが、ピッチャーゴロでアウト。


 そして、球場には大きな歓声が沸き上がり、ウグイス嬢がチルチルの名前を呼ぶ。更に大きな歓声がドーム内に響いた。それは野球の応援というより、何かの事件に遭遇しているような興奮の声だった。

 

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