第22話 チルチル13 -開幕-
開幕の一軍メンバーに、チルチルの名前があった。当然、テレビや新聞は湧いて、SNSも大騒ぎになった。
「プロ野球は芸能じゃない」
「真剣にやっている選手たちへの冒涜だ」
かつてのスターで大御所と呼ばれる老人たちは騒いだ。
「お客さんに見てもらうのがプロ野球」
「打席に立つ前からの批判はおかしい」
反対に国民栄誉賞をもらった元三冠王や、二年前に引退したメジャーで最多勝を記録したWBCのエースは、違いを見せたいのか、チルチルを擁護した。
「スズノスケは商売上手いね」
サラリーマンたちは、営業の目線で分析してみたりした。
「なんか、かわいいしね」
これは本音。
開幕戦で出場はあるのだろうか。DH以外での出場はありえないだろうから、さすがに昨年球団で一番打点の多かった元メジャーリーガーをさておいて、スタメンはないだろう。時々、勝負に関係ない打席で、試合に出るんじゃないの?戦力ではないが商品にはなるよね。世間の大体の予想はこんな感じだった。
サトシは、また二軍の練習場にいた。チルチルの練習台としての役目は終わっていた。チルチルと野球選手としての線をもう一度交差させるには、自分が一軍に行くしかないと、サトシは覚悟していた。
チルチルは世界を驚かす活躍をするに決まってる。自分は、いまだかつてあれほどの速い打球を見たことがない。正直どこまで飛ぶのかさえ、想像ができない。きっとチルチルは本塁打王になる。
サトシはチルチルの出ているスポーツ新聞を、全部三部ずつ買った。一部はチルチルの記事を切り取ってファイルした。一部は買ったままの状態で引き出しで保管した。最後の一部はいつかチルチルにプレゼントしようと思った。
公式戦の開幕二連戦で、埼玉ドルフィンズは本拠地イー・スマスタジアムで、福岡ジャガーズを迎え撃つ。
チルチルのいるドルフィンズは、毎年の大型補強を繰り返すも、スズノスケの好みでホームランバッターと、昔のエースばかり集めるので、毎年、守れない走れない問題が出る。前年は強力打線で優勝した首位札幌ハンターズから大差の3位となった。クライマックスシリーズも簡単に連敗し、いつものようにコスパの悪い一年を終えた。
対する福岡ジャガーズは、日本のエースと呼ばれるナツカワと、同じく日本を代表する豪速球投手フジエの先発二本柱を有していた。昨年は絶対的優勝候補として目されていたが、キューバ人のセットアッパーが契約問題で帰国してしまったり、三番、四番を打つ主力バッターが二人ともけがをするなど、予定の戦力が欠けた状態で一年を戦い、まさかのドルフィンズとの3位争いにも敗れ、予想外のBクラスとなった。久し振りの敵地での開幕戦となった。
開幕のセレモニーも終わり、両監督がメンバーの交換を行う。ジャガーズの監督はリーグ優勝3回、日本一2回で選手時代は二百勝を記録した元エースのウドウ監督。今年は先発二枚看板も絶好調で、リリーフ陣も安定している。絶対にペナント奪還できるという自信をもって開幕に臨んでいた。
相変わらず、サギザワは辛気臭い顔をしている。采配ならこいつに負けることはないだろうと、ウドウは思う。メンバー表も申し訳なさそうに渡してきた。そう言えば、オーナーに女子選手まで押し付けられているみたいだな。そもそも、現場に口を出されること自体が、失格だと思う。どうせ奇策を打つ度胸もないだろうと、ウドウはメンバー表を見て驚いた。
「おい、ふざけやがって」
サギザワはすでに逃げるようにベンチに方に歩き始めていた。
「監督、やっぱり怒ってるよ。彼」
ベンチでクロバタケがつぶやく。
「そりゃそうだよなあ」
サギザワとクロバタケは、チルチルを試合前の打撃練習にも参加させていなかった。一人チームから離れて、外の練習場で十球ばかり打ってからこっそり球場に入った。記者たちもチルチルの打撃練習を待ち構えていたので、肩透かしをくらい不満の声が上がった。
「チルチル選手はどうしたんですか」
「本当に試合に出る可能性はあるんですか?」
と、サギザワを取り囲む。
「ああ、練習しなくても打つから」
サギザワが適当にはぐらかしたので、記者たちは余計に追っかけた。
チルチルは自分専用のロッカールームで、ユニフォームに着替えてから、ママ・ティナとベンチに入る。大男たちが沢山いた。特に、アメリカ人やドミニカ人の選手は、骨格がアジア人とは違い、二回りくらい大きく見えた。こんな連中がボールを打っても、なかなかホームランが出ないのはとても不思議だと、チルチルは思った。
ベンチの中からのぞくと、客席は3万5千人の観客で埋め尽くされていた。360度どこを見ても人がいる。その風景は圧巻だった。島中の人間を全員集めても、こんなに人はいないだろう。しかも、全員がお金を払って野球を見に来ているのだ。
外野の向こうにも人がいる。これは少しチルチルを緊張させた。もしちょっと打ち損じて打球が狙いより低くなった場合、外野席にいる観客にぶつけてしまう可能性がある。しかもあまり高く上げてしまうと、ドームの天井にぶつけてしまうので、それはそれでホームランではなくなってしまう可能性がある。
チルチルはこれはどうしたものかとよく見ると、センターの後ろには、大きなバックスクリーンがあった。そこには観客がいない。これはよかったとチルチルは安心した。さすがにピッチャーの真上を通すのは、万一の失敗の時、大惨事になってしまうので、少し左にずらして、大きなバックスクリーンにぶつければいい。
試合前の練習が終わると、開幕戦恒例のセレモニーと派手なスタメン発表が行われる。音楽が流れ、まず先行のジャガーズの選手達が次々と呼ばれる。そして、音楽が更にアップテンポに変わり、スクリーンの映像が、ドルフィンズ選手たちが躍動する姿に変わる。
ドルフィンズのメンバー発表。一番センター・トガシ、二番セカンド・ツジノ。ここまでは、昨年のペナントレースのスタメンと同じで、予想通りだった。
「三番DH チルチル」
チルチルの名前と、バックスクリーンに大きく顔が映し出されると、場内は地鳴りのようなどよめきに震えた。
チルチルは、試合に出ることは知らされていたが、セレモニーなどの段取は全く分かっていなかった。ベンチで自分の顔がスクリーンに映し出されたのを見て驚いていると、「ほら、行くんだよ」とママ・ティナに背中を押された。
ベンチから出ては見たもののどこへ行っていいか判らない。良く判らないので、バッターボックスの方に歩いていくと、また、球場から驚きのどよめきが上がった。監督のサギザワが大きく手招きするのが見えて、ようやく気が付いたチルチルは一塁側のベースに並ぶチームメートの横に並んだ。今度は失笑が球場内を渦巻いた。チルチルもこれは自分が笑われているのだと判り、とても恥ずかしくなった。しかもチームメートからも、何やってるんだというような視線で見られたので、ベンチの裏に逃げ隠れたいと思った。
埼玉県出身のアイドルが始球式を行い、ゲームが始まった。チルチルはベンチで野球を見るのは初めてだった。グラウンドには確かに漫画で見たように、9人の選手が守っている。チルチルから見るとそれは奇妙な光景ではあったが、打つのが下手な人たちが集まっていれば、打球を捕られるのも、やむを得ないのだろうと思った。
一回の表、ドルフィンズの先発はエースのアカイソ。前年は最多勝争いも期待されていたが、不調で夏からの五連敗もあり、いよいよ衰えが来たかとファンを心配させている。
しかし、オープン戦では三試合でわずか1失点、今年はやりそうだと期待させる内容だった。
一回表。一番バッターをフルカウントからショートゴロに打ち取り、ドルフィンズの最初のアウトを取ると、大きな歓声が沸いた。
続く二番はフォアボール。三番をセンターフライ。四番をレフト前ヒットでピンチを迎えたが、五番を三振で押さえ、無失点で切り抜ける。
そして、一回裏ドルフィンズの攻撃が始まった。
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