第19話 チルチル12 -オープン戦-

 キャンプの最終日、チルチルは一打席だけドルフィンズのエース、ツバキヤの球を打つことになった。スズノスケが二人を対戦させて、その結果をビデオで送ってこいと命令したからだった。


 サギザワ監督も、ツバキヤには当日まで知らせずにいた。ツバキヤもキャンプでの調整のために、シートバッティングへの登板もしてはいたが、最終日に新人の練習に付き合うという話を聞いて、少しむっとした。さすがにその相手がチルチルだと伝えるのは、投手コーチのムナタカも、気が引けていた。


 何もわざわざチームのエースを引っ張り出さなくてもいいとは思ったが、オーナーのスズノスケの一言とあらば、断るわけにはいかなかった。そんなテレビのバラエティのような企画を、チームのエースに、どうやって伝えたらいいものか頭を痛めた。


 結局、夜の練習場に引っ張り出された時に、その相手がチルチルだと知り、ツバキヤは、これは本当にテレビ番組用の何かのアトラクションではないかと思った。バラエティの割には、監督も打撃コーチもいるのは不思議だ。ムナタカに「真剣に投げてくれ」と言われて、初めて自分は本当に練習台になるのだと判り、驚いた。


 チルチルは、室内練習場でサトシの球を十球ばかり打ち込んでいて、いつでもOKという状態だった。ツバキヤは馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、肩を作り、チルチルを打席に迎えた。


 サトシもベンチに座り、チルチルの打撃をはらはらしながら見ていた。チルチルがエースの球もいつものように打ったとしたら、自分の投球が力不足ではないと証明されるはずだ。いや、本当はそんなことはどうでもいいんだ。サトシはチルチルの世界で最初のファンになった。チルチルはサトシのヒロインであり、アイドルだった。


 チルチルは背中を投手に見せ、ベースの反対を向く独特のフォームでツバキヤのボールを迎え撃つ。エース・ツバキヤもその初めて見る奇妙なフォームに一旦プレートを外した。思わず監督の方を見たが、監督の真剣な顔に、このおっさんたちはオーナーにいじめられ過ぎて、頭がおかしくなったに違いないと思った。何を言っても無駄に思えたので、さっさと投げて、仕事をできるだけ早く終わらせることにした。


 絶対当たるはずがないと、確信して投げた高めのストレート。ボールは悪くない。

 小さな体からは想像できない大きなスイング。しかもそれはモーターで加速したように振りぬかれた。バットの音が響いたのと同時に打球は遥か彼方に消えて行った。ツバキヤが振り返った時は、もうボールは場外に消えていた。サトシはベンチでこっそりとガッツポーズをした。


 監督とコーチはその一球で、ツバキヤをマウンドから下した。サギザワは呆然とするツバキヤの肩を叩いて、「気にすんな。まぐれまぐれ」とひきつった笑いで言った。ともかくツバキヤが、これで自信を失くしたり、すねたりしたら大変だ。ツバキヤは「なんなんすか。あれ」とぶつぶつ言いながら、ベンチへと消えて行った。


 チルチルは、せっかくサトシとは別のピッチャーのボールを打つことができたのに、たった一球で終わり、がっかりした。


「サトシ、ナゲテ」

 打ち足りないチルチルは、サトシをマウンドに戻らせて、打撃練習を続けようとうとした。サトシは家来のように「ハイ」と言って、マウンドに行こうとしたが、サギザワ監督は止めた。これ以上照明を点け続けると、記者たちに勘付かれるのを恐れたのと、ボールや電気代の経費がかさむのも無駄だと心配してしまった。


 サトシは、チルチルが自分の名前を呼んでくれたのが、少しうれしかった。まさか、自分の名前を憶えていてくれるとは思わなかった。もしかして、友達のいない異国で、自分と仲良くしたいと思ってるのではないかと想像したが、そんなことはあるわけないと思い直した。「いかんいかん、野球野球。野球がすべて」と自分をたしなめた。


 サトシは、宿舎のベッドでも、チルチルがチームのエースであるツバキヤから、どこまで飛んだか判らない大飛球を打った姿が、いつまでも頭の中で再生された。チルチルを考えると、少しときめいている自分がいて、「俺って、馬鹿じゃないの?」と、もやもやした。


 二月末になり、オープン戦が始まった。選手達は、キャンプ地を発ち試合のある球場へと移動していく。チルチルとサトシも沖縄を離れたが、行先は球団の室内練習場だった。サトシも、「もしかして一軍」の夢が完全に消え、さすがにがっかりした。後はチルチルが一軍のレギュラーになれば、自分は投手としてのトレーニングに専念できるわけで、やっと自分のための投球ができる。しかしそうなるとチルチルと会うこともできなくなる。どちらもいい話ではないなと思ってしまう。




 サギザワとクロバタケは、いつチルチルを試合に出そうかと、悩んでいた。埼玉ドルフィンズには、オーナーの好みでいろんなチームから集めて来たホームランバッターが沢山いる。皆が自分こそ四番だと思っている。最近はメジャーリーグの二番打者最強説などのおかげで、四番へのこだわりは昔ほど強くはないが、さすがに六番とか打たせれば、また文句も出てチームの雰囲気もおかしくなる。それに打つだけで守備が心もとない外野手が多いので、万一チルチルがDHのレギュラーとなると、自動的に一人はベンチに下げざるを得ない。一億円払って代打にしか使えないというのも、采配批判にはいいネタになってしまう。まずはチーム全体を納得させる結果が必要だ。


 オープン戦は、開幕一軍入りを目指す当落線上選手にとっては、最後のチャンスになる。何が何でも活躍して、首脳陣の目に留まりたい。試合は相手チームとの戦いだが、本当は勝ち負けよりも自分がどれだけライバルより目立てるかの方が大事になる。オープン戦の序盤こそ試されていた若手も、公式戦が近付けば段々と淘汰されてゆき、名前の売れたスターたちがスコアボードに並ぶようになる。特に、埼玉ドルフィンズのような、メジャーリーガーやFA宣言したスター選手をかき集めたがるチームの若手は、一軍に入るチャンスを捕まえるのが大変である。


 いよいよ開幕もせまり、オープン戦も残り二試合となった。神戸ローゼズとの試合。ベンチ入りメンバーにチルチルの名前があった。


 チルチルは初めての新幹線に乗り、これ快適だと喜んだ。飛行機のように落ちる心配もないし、バスのように揺れない。できたら全ての球場にこの乗り物で移動できればいいのにと、チリチルは思った。


 神戸ローゼズは、前年一ゲーム差でクライマックスシリーズ出場を逃していた。打

線は長打を打てる選手が少なく、得点力には不安があったが、投手陣は中継ぎ、抑えは安定しており、序盤に点を取り、先行さえできれば、そのまま逃げ切れる力はあった。


 ローゼズのベンチ全員は、ベンチ入り選手の中にチルチルの名前を見て、たまげた。話題作りのためだけに入団したと思われた外人の女子が、まさか本当にベンチ入りするとは。


 オープン戦と言えども、入場料を取って見せるプロの試合である。おふざけで出場させたりしようものなら、それがオーナーからの命令であったとしても、さすがにゆるさないと敵の監督もメンバー表を見て憤慨した。試合前の練習中に、とても怖い顔で、サギザワの近くに歩いてくる。


「おい、まさか本当に出さねえだろうな。おふざけは無しだぞ」

 サギザワに釘を刺したと思ったところ、「いやいや、一度見てくださいよ。すごいっすから」と真面目の顔で言われたので、逆にきょとんとした。


 試合は2対2で、八回のドルフィンズの攻撃。ローゼズのマウンドには、セットアッパーで二年連続で50試合以上投げているシオセが投げていた。この日も二人連続でアウトにし、開幕に向けて準備が順調なのを見せた。


 そして九番のセカンドのところで、サギザワ監督は代打を告げた。ベンチからはショートパンツに膝当てをした少女が現れた。相手ベンチはざわつく。逆にドルフィンズのベンチは静まり返る。そして、ウグイス嬢は代打にチルチルを告げた。


「あの野郎、やりやがったな」

 敵の監督はベンチで舌打ちをした。

「かまわんから、一発ぶちかましたれ」

 ついつい、マウンドの投手に大声で怒鳴ってしまう。


 チルチルは、練習場でもう数十回のスイングを終え、体は十分に温まっていた。


 審判のプレイの声がかかり、チルチルはベースの反対を向いて立つ独特の構えで打席に入る。相手のベンチとまばらな客席からどよめきが聞こえる。驚いた投手はプレートを外し、相手の監督が怒ってベンチから出てくる。慌ててサギザワもベンチから飛び出る。


「ふざけんなよ。試合だぞ、こら」

「本気なんだよ。頼むから投げてくれよ。それで判るからさ」

 サギザワは相手チームの監督やコーチを逆になだめて、試合を再開させた。

 

 マウンドのシオセは、異様な雰囲気にとまどったが、審判に促され、練習が数球増えるだけのことだと、心を落ち着かせた。キャッチャーの指示は、ストレート。

 

 そう、練習と同じだ。普通に投げよう。



 シオセは、外角の低め目掛けて投げた。


 キーン。


 それまで聞いたことのないバットの音が響くと、ボールは一瞬でレフトの場外に消えた。チルチルはママ・ティナの声に押されて、あわてて小走りでベースを一周した。


 両チームベンチに困惑の静寂が訪れた。味方すら、チルチルに何と声を掛ければいいか判らなかった。数少ない記者席の記者の動きが慌ただしくなった。


 チルチルはその一打席で交代し、オープン戦を一打数一安打打率十割、本塁打一本の成績で終えることになった。

 


 


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