第16話 サトシ1 -かませ犬-

 サトミサトシは三回目の二軍キャンプに参加していた。去年は二軍のイースタンリーグでも十五試合に登板して、防御率も二点台とまずまずの結果を出した。アメリカのウインターリーグにも参加させてくれた。春こそは一軍メンバーに選ばれるかと思ったが、いつものように球団は、外人やトレードで百勝投手を獲得してくるので、若手へ割り当てられる一軍の席の数は、どうしても少なくなる。それでも競争に勝ち残らなければ未来はない。


 同じ年に入団した選手の何人かは、すでに一軍のデビューを果たしている。焦りがないと言えば嘘になる。ともかく一日でも早く二軍で結果を出し、一軍コーチの目に留まり、引き上げられる必要がある。去年の秋には、寮にいた先輩の何人かが契約されず、引退した。自分にも長い時間が与えられているわけではない。今年こそはと意気込んでいた時に、突然連絡があった。一軍キャンプへの移動だった。


 ついに自分は認められたと、喜び勇んで一軍キャンプに合流すると、出てきたのはピッチングコーチではなく、バッティングコーチのクロバタケだった。




 サトシは、静岡の公立高校出身。高校時代は回転のいい浮き上がるような速球を投げ、変化球もスライダーとスローカーブ、ツーシームを投げ、コントロールも安定しているということで、地元では、県ナンバーワンのピッチャーとして有名だった。久し振りに公立校が甲子園へ行くかと期待されたが、夏の県予選では決勝で敗れ、惜しくも甲子園には行けなかった。それでも静岡で一番のピッチャーの名は、プロの編成にも知れ、スカウトも高校にやって来る。サトシの高校にプロのスカウトが来るのは数十年ぶりのことで、監督は対応の方法がよく判らず自分の方が緊張した。


 サトシもぼんやりとプロの選手になれればいいな、という程度に中学の時から思っていた。普通に大学受験の勉強をしていたので、新聞やネットにドラフト候補で名前が出ると、ちょっと舞い上がった。地元ではちょっとした有名人になったサトシは、学校でラブレターをもらったりもしたが、自分が女の子と付き合っていいのかも判らず、高校でガールフレンドができることもなかった。


 ドラフトでは、ドルフィンズが4位で指名した。即戦力というよりも、数年後の戦力として期待されての指名。サトシより速い投手はいたが、サトシは高校生としては器用で、コントロールも良かった。悪い言い方をすれば、全てがそれなりにまとまっているピッチャーだった。


 猛獣のような野球選手の中では、イケメンというわけではないが、優し気なカワイイ顔をしており、女子の人気はあった。優しい顔のエースのプロ入りは、地元では大きなニュースになったが、一年二年と二軍暮らしが続くと、段々と話題にもならなくなっていった。そしてついに呼ばれた一軍。チャンスは絶対につかむと、覚悟を決めて乗り込んだ。しかし、与えられた役目は、一年で十勝以上を目指す先発投手や、毎試合終盤の一回を0点に抑えるセットアッパーになることではなかった。サトシが連れていかれてのは、投手が並ぶブルペンではなく、室内打撃練習場だった。




 サトシは混乱していた。しかも打撃練習場は他には、コーチとブルペンキャッチャーしかいない。詳しいことを知らされていなかったサトシは、何が起こるのか、何か自分の選手生命にかかわるような試験が行われるのかと緊張した。


 練習場に入って来たのは一人の外人の少女と、ぽっちゃり体系の三十代の女性だった。少女はテレビで見たことがあった。南の島からオーナーが連れて来た女の子だ。実にトロピカルな感じで、テレビよりも可愛らしい子だなと思ったが、それ以上の感想はなかった。まさか、自分がこの子とからむことがあるとは夢にも思わなかった。


「いいか、ここでの練習のことは誰にも言ううんじゃないぞ。チームメイトにも秘密だ」

「はい、判りました」


 ともかく今日は、南国ギャルにボールを投げて打たせるということをするらしい。確かに仮にもプロとして連れて来た選手が、一球もバットにかすらないようでは、マスコミに何を書かれるか判らない。どうせ、女子選手が話題作りのためだというのは、みんな判ってはいるが、それでもさすがに全球空振りでは、選手登録した球団や監督の良識を疑われる。なんとかバントででも、バットに当てられるようにする練習に違いない。小一時間も野球ごっこに付き合えば、練習に戻してくれるのだろうと、サトシは軽く考えていた。


 バッティングコーチは、変化球を交えて真面目にウォーミングアップさせた。こんなお遊びに、わざわざ投げ込んで肩を作ることもない気はしたが、サトシはコーチに従って、スライダーやフォークを交えて、二十球ほど投げた。ベテランの一軍選手を追い抜くためには、キャンプの序盤で目立つ必要があるので、もうシーズンに入ってもいいような状態になっている。


「いいか、本気で投げろ。手加減しなくていいから」


 サトシは頷いた。そうか、野球の怖さ、凄さを思い知らせて、荷物をまとめて帰れという無言の圧力を与えるつもりなんだ。なるほど、これは野球人としてのプライドなのかもしれない。それなら自分もプロ野球選手として、選ばれた者の力を見せつける必要がある。


 チルチルがウインドブレーカーを脱いで、打席に立った。ベースの反対側を向き、サトシに背中を見せる不思議な構え。もはや野球ではないな。本当に真剣に投げる必要があるのかと、少し馬鹿馬鹿しくなったが、これも自分への試験かもしれないと気を取り直し、ストライクゾーンのど真ん中目掛け、ストレートを投げた。ボールは狙いよりもボール一個半内側に入った。それ以外は何の問題もなかった。


 次の瞬間、見たことのないスピードのライナーが、サトシの左上を通過した。


 サトシは驚いた。確かに甘い球だった。プロの主軸を打つバッターなら、スタンドまでもっていかれる可能性はあるボールではった。しかし、素人が振り遅れずジャストミートできるとは思えなかった。


「続けろ」

 クロバタケの野太い声が、室内練習場にこだました。

「はい」


 サトシは、意地になってど真ん中目掛けて投げた。素人の、しかも女の子相手に外角低めの角を狙って投げるなど、プライドが許さなかった。チルチルが回転するとまるで大きなプロペラに向って投げたように、ボールが跳ね返ってきた。またしても同じ軌道の弾丸ライナー。


「何、これ?マジ?」

 サトシは驚きを通り越して、パニックに陥りそうになった。


「いいか、コーナーを突け。本気で押さえる気で投げろ。手を抜くなよ」


 サトシは確かにど真ん中には投げたが、決して手を抜いたわけではなかった。そして、コーナーを突けという指示。コーチは俺のストレート程度では素人にも打たれると思っているのか。これは自分がプロの選手として、非常にまずい状態にあるということではないか。サトシは、これは何が何でもチルチルを空振りさせないと、本当にこの世界に居場所がなくなるかもしれないと、焦った。


 次に外角低めへのストレートを、真剣に投げた。コースはよかったが、狙いより少し低めにいった。もしかしたら、ボール一つ分ストライクゾーンから低めに外れたかもしれない。チルチルは、バットを低め遠くに伸ばした。それはチルチルにとって、一番バットスピードが上がる打法だった。全く反応できないスピードの打球が、気が付けば後方のネットに突き刺さり、地面にゆっくり落ちた。


 サトシはバッティング練習であることを忘れて、思わず自分の不甲斐なさにうなだれて、手を膝についた。もうやめたくなった。試合だったら、この惨めな結果に、ベンチに引き下げてくれるのかもしれない。しかし、これはチルチルのための練習であり、サトシは道具だった。道具は使われ続ける。どこへ投げても、どれだけ力を入れて投げても、結果は同じだった。


 この女の子は何なのだ。全く打ち損じがない。完璧だ。どんな素晴らしいバッターでも、打率四割を超えた選手は、プロ野球史上一人もいない。丸いボールに、円筒のバット。わずかなずれで、ゴロになったり、フライになったりしてしまう。しかし、目の前に立つ少女は点と点を、ノーミスでぶつける。


 クロバタケは、チルチルとママ・ティナを呼んだ。

「遠くへ飛ばすつもりで、もう少し上の方に打球を飛ばさせてみてくれないか」


 チルチルはクロバタケの指の動きや、日本語の一部で、コーチの要望が判ったようで、ママ・ティナが通訳終わるまでに、頷いて打席に戻った。次の内角高めのストレートは丁度壁と天井のつなぎ目に向って飛んだ。チルチルがねらった場所よりも、約一メートル高かった。まだ、バットとボールの芯を何ミリずらすと、狙った高さに行くのかを、チルチルは把握できていなかった。何十回か高さの打ちわけをすれば、だいぶ正確になるだろう。


 もしここが球場だったら、室内練習場の壁とネットに守られていなければ、今の打球は、フェンスを越え外野スタンドに突き刺さっているだろう。サトシはくちびるをかんだ。

 



 

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