第12話 チルチル8 -キャンプへGO!-

 チルチルは理解した。ボールは大きさのわりに石よりも軽いが、明らかに反発力は高い。だから石よりも速く飛ぶので、落差も小さくなる。打球は狙っていた場所よりも、約10センチは上の方を通過した。危うく防護用のネットに作られた穴の上側の枠にかすりそうだった。ただ、一度打ったことで野球のボールの特徴を大体把握できた。何より、ボールは石のように凸凹が無いので、打つべき点が簡単に判る。次はもう少しうまく打てる。今度こそ四角い穴のど真ん中を綺麗に通せるはずだ。もう一度、打たせてくれないだろうかと、ヌマミズの方を恐る恐る見た。


 片やヌマミズは、見たこともないようなミサイルのような打球に声を失い立ち尽くしていた。自分が二軍の打撃コーチであることも忘れて、YouTubeにアップロードしたいくらいだった。穴に入ったのはまぐれだとしても、打球の速さはまぐれでは出ない。あの奇妙なフォームと、弾丸のような打球速度をもう一度見てみたい。


 ヌマミズは通訳のママ・ティナを手招きで呼び寄せ、もう二三球打たせてみてくれと頼んだ。ママ・ティナはチルチルに「もう、三球ほど打って見せろってさ。あのコーチを驚かせてやんなよ」とかごの中のボールを渡した。チルチルは一球を右手に持ち、後の二つはポケットに入れた。ちゃんと打てれば、今度こそ動くボールを打たせてくれるのかと、チルチルは期待を胸にボールを軟らかいティーの上にセットした。


 チルチルがスイングすると、一球目と同じように、一直線にネットの奥にあるピッチングマシンにボールは激突した。その瞬間に鐘をたたくような大きな音がした。


 ヌマミズはまたしても放たれた高速の打球を見て驚いた。しかも二球続けてあの小さな枠の中に入るとは。ゴルフのホールインワンが続くようなもので、運で片づけるには難度が高すぎる。三球目、四球目と同じようにネットの奥のマシンに打球が当たると、ついにヌマミズは、これは想像を超えた異常な事態が目の前にあることを知る。目の前の少女は間違いなく一点を狙い、有能な狙撃手のように打ち抜いている。


 ヌマミズは高さの違うスタンドを置いた。さっきよりも20センチほど低い位置にボールはセットされる。つまりさっきの打ち方と比べて、多少下からすくい上げるような軌道でバットを振らないと、ボールは同じ高さにには到達しない。つまり反復作業だけでは同じ的を打ち抜くことは不可能なのだ。


 しかし、チルチルは、違う高さのボールも、標的までレールが引かれているかのように、強烈な打球をマシンにぶつける。今度は球をセットするマシンのレールに直撃し、レールは大きく曲がり、別の修理が必要になった。


 バッティングコーチとしては、ヌマミズはチルチルをネットの前に立たせて、トスバッティングをさせてみるべきだった。しかし、あの初めて見る弾丸のような打球に恐怖を感じていた。万一あの少女のスイングとトスのタイミングが合わず、芯で捉えた打球が自分にぶつかったとしたら、当たり所によっては即死するに違いない。そんな恐ろしいロシアンルーレットに付き合いたくはない。


 ヌマミズは、二人に声を掛け、「今日のところは、もうバッティング練習は上がってよし」と伝えた。チルチルは練習にしては実に物足りないと思ったが、マシンの一部を打球で壊してしまったことは問題になるのではないかと、少しドキドキしていた。弁償しろと言われるのだろうか、はたまたクビになってしまうのだろうか。ママ・ティナに聞くと、あれを壊したくらいでクビになったりはしないさと、慰めた。チルチルは問題を起こしてチームを追い出されたらたまらんと、その日は練習を止め、逃げるように帰った。


 ヌマミズは、練習場から自分の車を停めた駐車場へ歩く途中、ずっと足が震えていた。俺は何と伝えればよいのだろう。余りにも動転していたので、自分の家の車庫の入り口に車のバンパーをぶつけてしまった。家の中に入ると、すぐにキャンプにいる二軍の監督に電話をした。


「とにかく、一度見てください。ううん、なんて言ったらいいか。そうミサイルみたいなんですよ。えっ。ふざけてないですよ。本当だって」

 



 突然球団から連絡が入り、チルチルは二軍のキャンプ地である沖縄に呼ばれた。ついに野球の練習に入れてもらえるらしいと判り、チルチルは喜んだ。沖縄というのはチルチルの故郷と同じ南の島らしい。何より東京や埼玉のように寒くはないだろうとは思うと、それだけでほっとした。しかし、問題は飛行機だ。どうしても、飛行機で行かなければならないのか、船ではだめなのかとママ・ティナに聞いてもらうように頼んでみたが、球団に聞くまでもなく。「これからも何回も乗るから、慣れなさい」と一蹴されると、とても落ち込んだ。


 ママ・ティナはチルチルを連れ出し、近くのスーパーに、キャンプのための買い出しに行った。年頃の女の子だから、それなりの準備は必要だし、ママ・ティナ自身の準備もある。チルチルは初めて見るスーパー・マーケットに感激していた。窓のない建物の中なのにとても明るい。何よりいろんな物が置いてある。見たことのない野菜があり、一つ一つがプラスチックの容器にパックされているのも不思議だった。買い物客がみんなかごを乗せたカートを押しているのも何だか面白かった。


 買い物の途中、沢山の小さな綺麗な箱がチルチルの目に入った。そこはコスメコーナーで口紅やアイシャドウが並んでいた。母親が親戚の結婚式に行く時に化粧しているのを見たことはあるが、自分が口紅を塗るのは、まだ想像もできなかった。しかし、沢山の棚に並んだ化粧品を見ていると、確かにワクワクした。足が止まったチルチルを見て、ママ・ティナは吹き出した。

「女の子はおしゃれしなきゃ」


 ママ・ティナは、チルチルのドキドキを見透かしたように、化粧品の箱を幾つかカートに入れた。


 買い物からマンションの部屋に帰ると、ママ・ティナも準備のため、一旦自分の部屋に戻った。ママ・ティナを待つ間、チルチルは買ってもらったリップのことが気になってしょうがなかった。


 ママ・ティナが、地元の豆料理を作ってくれた。これで元気を出せということらしかった。夕食の後、シャワーを浴びると、ママ・ティナはチルチルを呼び鏡の前に呼び寄せた。ママ・ティナはさっき買ったリップをチルチルの唇に塗り、アイラインで二重瞼を更にくっきりさせた。。

「ほら、素敵になったじゃない」

 チルチルは自分が少し変わった気がして、とても嬉しかった。




 気流の乱れで機体が揺れるたびに冷や汗が出る。飛行機に慣れるのは無理だとは思ったが、ともかく野球のビデオを思い出し、ボールを打つイメージを頭の中で繰り返すことだけに集中し、飛行機のことを忘れようと努めた。那覇空港に飛行機が着陸すると、「今日も神様ありがとう」と思った。


 着陸したらしたで、球団の手配した車に乗り、また一時間半の道のりを走らなければならない。酔い止めの薬があるのを、車を降りた時に初めてママ・ティナから聞いたが、なんで早く教えてくれないのかと、ちょっとむっとした。


 南の島と言っても、沖縄はチルチルの故郷ほど暖かいわけではなかった。それどころか暖房がある場所が少ないらしく、ホテルの部屋も東京の方が暖かいくらいだった。仕方がないので、球団から支給されたウインドブレーカーを着て、部屋の中でジャンプしたり、バットをを持たずに素振りのまねごとをしたりして、暫く寒さをしのいだ。


 夕食になると、レストランに男たちが何人もホテルに入ってきた。みな普通の日本人よりガタイが良く、中には見たことのない大きさの外国人もいる。皆がチルチルを見ると、ひそひそとチームメイトと話し出す者が多く、中にはチルチルを指さしてニヤニヤするのもいた。チルチルは、私は見世物ではないとちょっと不愉快になった。


「あんたのチームメイトさ」


 ママ・ティナはチルチルに耳打ちした。


 ということは、彼らは身内なのだ。身内なのにこそこそと話をしたりして、随分感じが悪い連中だと思った。


「いいかい。気を付けるんだよ。昼間は真面目に野球をしていても、夜になると猛獣みたいになりかねない連中だから」


 チルチルは頷いた。もし私に何か悪さをしようとしたら、バットで脳天を真っ二つに叩き割ってやると決めた。ただ、ママ・ティナの心配は、現実には起こりえない。スズノスケが自ら見付けてきた選手に手を出したりしようものなら、一軍どころか、球団にいることすらかなわなくなるに決まっている。さすがにそこまでのリスクを負ってまで、チルチルにちょっかいを出そうとするバカはいなかった。


 ともかく、チルチルは野球でも野球以外でも、猛獣たちには負けない覚悟をした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る