第7話 チルチル4 -黄金の島-
次の日、またスズノスケたち四人組は、チルチルの家に交渉に出かけた。ペンションのエアコンが調子が悪く、寝付けないスズノスケは、全員にトランプの大貧民を明け方まで付き合わせたので、四人ともふらふらしていた。
契約金の話をすれば、絶対に乗ってくると思っていたのは大誤算だった。銀行もないような島に、ドルの札束があったところで、焚火の火種にしかならない。そもそもお金が沢山あったところで、買うものがない。
スズノスケは自分の無計画な行動は棚にあげて、弁護士をののしった。ののしったところで、この島に代わりの弁護士はいないので、いやでも使い続けるしかない。もう一度、チルチルの家まで出かけたが、会ってくれる気配すらない。家の近くで、また外人がやって来るのを見たロンは、チルチルに石を打たせて、こいつらの頭を砕いてしまおうかと一瞬思った。
仕方がないので、スズノスケは、明日は自分自身での最後の交渉を行い、それがだめなら、スカウト部長と弁護士を残して、先に帰ると勝手に宣言する。
「いいか、あんたらは交渉成立してから帰ってこい。それまではこの島から出るな」
あまりの残酷な命令に、二人は卒倒しそうになった。
スズノスケは、仕事を押し付けて、少し気が楽になったのか、釣りでもしようと、リゾート旅行でもないのになぜか持ってきたルアーフィッシングの道具を持って、ガイドを連れて釣りに出かけてしまう。通訳もいないのに、交渉もくそもないだろうと、残された二人は途方に暮れる。
川の魚は簡単に釣れて、スズノスケはえらく満足した。スカウトの仕事にやって来たのも忘れて、釣りに没頭していると、偶然にも網を持って漁に来たジョシュアが現れた。
スズノスケはもしかして川にでも突き落とされたら大変だと一瞬警戒したが、ジョシュアはちらりと見ただけで、漁を始めた。スズノスケは強情な親父めと、舌打ちしたくなったが、我慢し、少しジョシュアから離れたところでルアーを続けた。三十分ほどで更に五匹ほど、ヤマメに似た魚が釣れた。飽きたので、竿を仕舞おうとした時、後ろに目を丸くしたジョシュアが立っていた。
何がジョシュアを怒らせたのか判らないが。今度こそぶん殴られるかもしれないと緊張し、ガイドにとにかくあいつを落ち着かせろと命令した。ガイドは、いやいや少なくとも俺は殴られないし、と思ったが、「このおっさんは、あんたに殴られたくないみたいだよ」とジョシュアに伝えた。ジョシュアは「いや殴るんなら、もう石で殴って川に捨ててる」と言った。「それより、あのおかしな道具は何なんだ?」とガイドに質問した。
「ああ、あれか、あれはルアーという釣り方だよ。要は小魚とか虫とかに勘違いした魚が、あのへんてこりんな偽物の餌に食らいつくってわけさ」
「それから、あの糸が沢山出てくる道具は何だ」
「あれは、リールってやつ。遠くにルアーや餌を投げて、魚が食らいついたら、糸を巻き上げるの。これだと遠くの魚も釣れる」
ジョシュアにはリールのついた釣り竿は衝撃だった。これなら、竿が届かない先の魚も釣れるではないか。
スズノスケは、ガイドと話しながらじろじろと自分を見るジョシュアのことがいよいよ気味悪くなって、ガイドを呼び寄せた。
「なんだ、本当に川へ投げようと思ってるのか」
「いえいえ、彼が興味があるのは、社長ではなく、釣り竿です」
「釣り竿?」
「そうです。糸を巻き取る機械が付いたその釣り竿に目を奪われているんですよ」
スズノスケは、自分の使っている釣り竿をじっと見て、こんなもの欲しいのなら幾らでもゆずってやるさと思う。
「ああ、百本でも譲ってやるさ。あんたが娘さんを貸してくれるならね」
「一回使わせてみろ」
スズノスケもまさか、ジョシュアがその後嬉々として二時間もルアーをばげ続けるとは思わなかった。
その後、嘘のように話はトントン拍子で進んだ。村人と同じ数の釣り竿が送られることが約束された。スカウト部長と弁護士は、おいしい話しか口にしない。
「もしチルチルさんに会いたかったら、皆さんが飛行機に乗って、日本まで遊びに来ればいいんです。契約金がたんまりありますから。それに何十年も野球ができるわけではありません。必ず帰ってきます」
スカウト部長は、「どうせ一年で使い物にならず帰って来るんだから。道に十万ドルが落ちてたようなもんだよ。こんなラッキーな話はないぜ」と言いたかったが、勿論口にはしなかった。
たしかにチルチルの一家にとって、飛行機に乗って外国に行けるというのは、夢のような話だった。
「日本は黄金の国と呼ばれていたのですよ。黄金の国ジパング。チルチルさんは本当の黄金の塊を抱えて帰って来るかもしれない」
弁護士も調子のいい話をした。
大人たちの勝手な思惑とは関係なく、チルチルは漫画で見た野球のある遠くの島国に、すごく行きたい気持ちになっていた。文房具に書かれている可愛いキャラの多くは、日本で作られているのは知っていた。日本ではどこにでもそんなキャラが飾られているのだろうか、家の壁にはウサギのラブラビちゃんや、魔法少女ヒッキーちゃんの絵が描かれてたりするのだろうかと想像した。そして何より本物の野球とグラウンド。それを目にする最初で最後のチャンスかもしれない。もしかしたら、それは暫く家族と会えなくなる代償と引き換えにする価値のあるものかもしれない。
ベッドの中で、チルチルの心は、段々と海を越えていった。
ジョシュアは10万ドルと釣り竿セット、それにエンジン式の草刈り機10台という契約に舞い上がっていた。英語の契約書は、何が何だかわからなかったが、とにかくサインした。
スカウト部長はもう南の島でのおかしな出来事を忘れたかった。早く来季の編成に取り掛かりたかった。とにかくスズノスケが、早くこの子のことを忘れてほしいと祈った。お前らが使い物になるわけがないとちゃんと言わないからだと、おかしな逆恨みをされてもたまったものではない。
話がまとまってからから出発までは、球団も慌ただしかった。領事館も最初は、少女が野球選手として労働ビザを申請するのを鼻で笑って突き返した。
「女の子の野球選手?冗談にもほどがありますよ」
領事館の職員は人身売買か何かかと、思ったらしかった。やむを得ずスズノスケは、知り合いの国会議員のコネで外務省に頼み、特例的にビザは発行された。この議員には、今まで山ほど寄付をさせられたが、その値打ちはあったとほくそ笑んだ。
チルチルは出発の前の夜、フジタの夢を見た。
「いいか良く見るんだ。良く見ればお前に打てないボールはない」
フジタがバットを振ると、ボールは森のはるか先まで飛んで行った。チルチルは、「うん、判った」と思う。
家族の見送りは、マニラへ行く船の乗り場までだった。母親のアンは、娘が異国で一人暮らしをさせられるのだと思うと、やはり急に不憫になり、涙を流した。ジョシュアはアンの肩を抱き、きっとすぐに金塊を抱えて帰って来るさと、慰めた。
村人たちは笑顔でチルチルを見送ったが、もう一人チルチルの出発を、涙を堪えて見ている少年がいた。ずっと石を打つのに付き合ったロンだった。ロンは、一生チルチルと付き合うものだと思っていた。ずっとチルチルのために石を投げ続けてあげるはずだった。外国から来た金持ちの連中にチルチルを取られた気がして、とても悔しかった。ロンも決心した。
「僕も野球を覚えて、絶対チルチルに会いに行くね」
村のみんなが、小さくなる船上のチルチルの姿に手を振った。
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