第6話 チルチル3 -スカウト-

 チルチルは、まさか日本人の男が家まで追っかけてくるとは思わなかった。石を打って椰子の実を砕いたら驚かれてお金をくれた。もう一回同じように命中させたらまた驚かれ、手で蝶を捕まえたらまたまた驚かれた。自分のできることは、どうやらこの島だけでなく、よその国へ行っても、珍しいようだった。 


 日本人の男は、うさん臭いガイドを通じて、「名前は何だ、年は幾つだ、この島で生まれたのか、家族は何人だ」と、いろいろ聞いてくるので、うざったく思った。


「ナマエハチルチル。17サイ」とだけ日本語で答えた。

「よし、君はうちのチームに来なさい」


 うざい日本人は最後にそう言って、去って行った。チームって何のこと?チルチルには意味が判らなかった。




 スズノスケは、日本へ向かうジェット機の中でも興奮していた。ホテルで余りにも興奮しすぎて、危うく愛人のミミちゃんを連れて帰るのを忘れるところだった。そのせいで、ミミちゃんはずっと不機嫌なのだが、スズノスケの興味はミミちゃんのボディラインから、驚異の打撃力を持つ少女に移っていた。スズノスケは「まあまあ」とミミちゃんを適当になだめて、石を二百メートル打つ少女のことばかり考えていた。


 スズノスケの頭の中では、あの少女が、自分が大金を果たして命名権を買った球場で、場外ホームランをかっ飛ばすシーンが何度もリピートされていた。それはスズノスケにとっては、妄想ではなく、絶対に実現しなければならない未来だった。


 日本へ帰ると、早速、自分がオーナーとして君臨するプロ野球球団、東京ドルフィンズのお飾りの球団社長、何でも言うこと聞く監督、打撃コーチ、を集めて、自分の見た光景を熱く語った。コマのように回転し、石を二百メートル打つんだ。それだけでなく狙撃手のようにターゲットに百発百中で命中させる。動く蛇だって瞬殺なんだぜ。


 球団社長はやれやれと思った。監督が下を向いているのは、笑いをこらえているのに違いないのはすごく判った。スズノスケの巨大な妄想は、時々手が付けられなくなる。出鱈目なプロジェクトも、圧倒的な運の良さで大成功を収めてきた。スズノスケの持って生まれた才能は確かに認めざるを得ない。しかし、時々、一線を越えて暴走するドリームは、財布を預けられた者としてはたまったものではない。


 去年の春に、三年前に引退した43歳のメジャーの元打点王に、五億円を払って連れてきた時、グラウンドに現れたのが、相撲取りのような腹をした親父だったのには驚いた。案の定、一本のヒットを打つこともなく、テキサスの農園に帰っていった。そう言えば、三年前のエジプト旅行では、おかしな薬を飲まされて、神様の絨毯とかいう汚い敷物を三十万ドルで買い、会社の経営会議では、椅子に座らず絨毯にあぐらをかいて座っていた時期があった。


 監督のサギザワは、意見を求められたらどうしようとドキドキしていた。監督としては、数の限られた選手枠を、どこの馬の骨とも判らない素人には使いたくない。勿論、プロで通用するかは、実際にはプロになってみるまで判らないのは確かだ。しかし今度ばかりは度が過ぎている。


「俺、絶対連れてくるからよ。そしたらよろしく頼んだよ。ホームラン百本は打つから。大事に育ててよ」


 サギザワは自分に振られずに、ほっとした。勿論、スズノスケのプランに反対をするわけにはいかない。その瞬間に自分は失業者になる。ただ、余りにも無謀なスカウティングに、首を縦に振り続けていると、自分がオーナーの腰ぎんちゃくだと噂され、馬鹿扱いされるのも間違いない。バッティングコーチはもう青ざめている。なぜか打撃の問題は、監督ではなく全てバッティングコーチの責任だという考えが、スズノスケの頭の中にあるらしい。バッティングコーチからしてみたら、宝くじを一枚買わされ、もし一等でなかったらお前をさらし首にすると言われるようなものだ。


 あのコーチががスズノスケにすり寄って、たびたびご機嫌を取っているのも良く知っている。もしかしたら、俺に取って代わろうと思っているのかもしれない。もし、そうだとしたら、さっき引いた貧乏くじは、いい気味だとも思う。しかし、バッティングコーチの絶望的に泳いだ目を見ていると、ああ、そう言えば、こいつの奥さんは、先月二回目の手術をして、本当は大変なんだと思い出したりして、少し可哀そうに思えた。


 スズノスケは、言いたいことだけ言うと、会議をさっさと終了し、秘書に、早速またあの島に行く手配をするように命令した。そして、今度はスカウト部長と契約の弁護士を連れていくと言った。バッティングコーチとサギザワは、怪獣がいそうな南の島へ連れていかれずに済むと判り、少しほっとした。南の島の野球を知らない人々に、どうやって野球選手という仕事を説明するのかと不思議でしかたがなかったが、勿論、口には出さなかった。


 スズノスケは、秘書にプライベートジェットの手配をさせた。今度はさすがにミミちゃんを連れて行くわけにはいかないと思った。球団社長、サギザワ監督たちの敬意が感じられない顔を見ると、ちょっと腹が立った。




 空港のロビーで、島のガイドの男は、しめしめ、また金づるが来たと喜んでいた。旅行会社からの正規の報酬以外に、また500ドルほどもチップがもらえるかもしれないと思うと、心の中でワム!の「ウキウキ・ウエイク・ミー・アップ」が鳴り響いた。


 スズノスケがカバン持ちを引き連れて、ロビーに現れると、ガイドはこれ以上ない満面の笑みで、出迎えた。


「オツカレサマデス。ミスター。コーラ要りますか?先に食事がいいですか」

 スズノスケは、ガイドを無視し、連れてきた弁護士に全て任せた。ガイドはスズノスケが、前と違ってとても偉そうな態度になっているので、ちょっとムカついた。「あのマリファナ好きのデカパイは一緒じゃないんですか」と、嫌味の一つでも言ってやろうかとも思ったが、自分から金づるを切ってしまう必要もない。


 弁護士からガイドに事前に予定を話していたので、段取りをちゃんとしているのかと思ったら、車の手配以外は何もしていなかった。チルチルとファミリーとの面談の予約すら取ってなかった。弁護士もむっとして、「もし、相手に会えなかったら、どうするんだ」と、文句を言ったが、ガイドは笑いながら言った。

「いやあ、島の連中は絶対にどこにも行かないですよ。三百六十五日必ず村の中にいます。だって、他に行くところないもん」


 確かに、ガイドの言う通り、海を周りに囲まれと小さな島から、どこにも逃げようがない。この島から飛び立てるのは、羽根を持った鳥だけだった。


 借り切った島で唯一のペンションに着くと、荷物を下ろし、また同じ車で村を目指す。ちゃんとした地図もない村で、名前も判らない一家を訪ねる。スズノスケたちはガイドにまかせるしかない。何度か道を間違えて、チルチルの住む家に辿り着いたのは、夕方だった。


 高床の家の梯子を上ると、ドアは開けっ放しで、仕切りの無い大きな部屋に家族がそろっていた。チルチルは母親の手伝いをして、兄貴の作業服の繕いをしていた。


 チルチルは驚いた。お札をくれた変な外国人がまたやって来た。どうやら、この前くれた外国のお札は、島で使っているお金に変えると、一枚でサツマイモがバケツに三十個くらいは変えるらしい。ただ使えないお金は意味がないので、壁に画びょうで刺して飾っている。お札ではなく、野球の漫画を持って来てくれたら、どんなにうれしかっただろう。


 両親は、ガイドの男と一体何事かと話をしていたが、いきなりスズノスケが、チルチルを日本に連れて帰りたいというものだから、チルチルとその家族だけでなく、一緒にくっついて来たスカウト部長も大変に驚いた。


 かつて一度だけ三割を打ち、ドルフィンズの若大将と呼ばれた外野手は、練習嫌いで、結局痛風にもなり、本当の大将になる前に三十歳で引退した。しかし若大将時代の活躍を覚えていたスター好きのスズノスケが、無理やり彼を自分の球団のスカウト部長にねじ込んだのだった。


 いきなり入団交渉になるなら、自分をこんなところまで呼ばなくてもよかったのにと思うが、元若大将は割と自分に都合の良い考え方ができる人間で、きっと後から自分が入団テストを任せられるのだろうと、勝手に納得した。


 交渉は勿論決裂した。ジョシュアは、娘を他の国で働かせるなど、とんでもないと怒り、アンは最初この中年の日本人が、チルチルを嫁にくれと頼みに来たのかと勘違いして、卒倒しそうになった。夫婦二人とも怒りの導火線に火がついてしまい、話を聞くどころではなかった。


 ガイドの男は、万一ジョシュアが癇癪を起し、斧で頭をかち割られてはたまったものではないと思い、今日は村の悪魔祓いの日ですから、余所者とは話ができないそうですと、適当な話をして、今日のところは引き下がりましょうとスズノスケを一旦退却させた。


 ジョシュアは、ふざけた野郎たちだと、スズノスケたちが帰った後も怒っていた。それでも夜になると皆が落ち着き、家の中に静けさが戻った。  


 大人たちが大騒ぎをした後、こっそり話を聞いていたチルチルは、ベッドの上で、海の向こうの野球がある国のことを、想像していた。青空の下のグラウンドが目に浮かんだ。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る